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ドイツ騎士修道会資料集 参考資料

目次
 文献
 論文

注.
ドイツ騎士修道会に関連する記述のみ紹介(紹介というよりは感想文)。
各項目毎に著者名の50音順に表示。
国外の著者については国内の著者の後にアルファベット順に表示。
著者複数の場合は、最後尾に表示し、表題をキーとして配列。
著者名の次に出版年代をキーとして配列。
値段は参照した本に提示されたもで、現在の価格と異なる可能性あり。

文献

  1. 魚住畠良著 ドイツの古都と古城 山川出版 1991年 ¥2300
     53から65頁にドイツ騎士団のプロイセンにおける中心地、マリエンブルク城の紹介がある。簡単な騎士団の歴史も紹介されている。もちろん城そのものの歴史や見取り図も掲載されている。1460年のマリエンブルク城攻囲の絵とそれに纏わるタンネンベルクからトルンの和約に至る歴史もある。余り役に立情報はないが、城を中心に記述された物語として面白い。  

  2. 伊藤政之助著 世界戦争史 西洋中世編 戦争史刊行会 1938年 ¥10(現在古本市場では1万円位)
     998から1001頁にモンゴルのポーランド進攻を扱った章があり、この戦いにはドイツ騎士団もポーランド側として参加した。これも物語みたいな記述で、余り役に立たない。  

  3. 小島敦夫著 海賊列伝 誠文堂新光社 1985年 ¥2000
     ハンザに深く関わったバルト海の海賊シュトルテベッケルの伝記があり、その中でドイツ騎士団が彼とどう関わったかの記述がある。まず、彼の妻は騎士団の有力者の娘で、彼は騎士団の保護を受けていた。しかし、最後はこの有力者に裏切られる形でハンザに捕まり生涯を終える。まあ、ドイツ騎士団と海賊との関わりがかいま見えるちょっとした伝記というところ。資料的には余り信頼性は高くないようだ。  

  4. 櫻井利夫著 中世ドイツの領邦国家と城塞 創文社 2000年 ¥−
     14世紀のトリール大司教バルドゥイーンの城塞レーエンを使った領域支配政策を論じている。領邦を一つのまとまりとするために、一つの城塞を支配の基点とし、城塞の周囲に土地を持つ騎士や準騎士などの土地を買い上げてそれを元の持ち主に城塞レーエンとして与え、彼等をブルクマンとして邦臣とし、城塞一帯の地を支配するという形である。その際、城塞の開城権や築城権、上級裁判権などの領邦高権は手元に残し、領邦支配を確実にしたようだ。最初の2項目では城塞を通しての領域支配を行政文書や年代記を引用しながら具体的に幾つかの城塞の例を検討している。次の章ではシュミットブルクを巡る争奪戦を通して、城塞の入手について検討している。領邦国家形成に城塞が果たした役割を見ることが出来る。  

  5. 鈴木徹著 バルト三国史 東海大学出版会 2000年 ¥2800
     6から18頁にドイツ騎士団が活動していた頃のリトアニア史がある。当初は北で守って南へ伸びると言った感じである。ドイツ騎士団との関係が主で、リブラント方面の騎士団領の歴史がリブラントの地図2枚とリトアニアの地図1枚を使って解説されており分かり易い。  

  6. 高橋理著 ハンザ同盟 教育社 1980年 ¥1000
     ドイツ騎士団はハンザの一員であり、ハンザ史はドイツ騎士団史を知る上で重要な位置を占めている。その最も手頃な概説書がこれ。ヘルマン・フォン・ザルツァとハンザの盟主都市リューベックの関係や(86頁)、ドイツ騎士団がハンザに属して琥珀で巨利を儲けた話しや(121頁)、1362年のデンマーク戦争でハンザに組した話し等(105頁)、ハンザとドイツ騎士団との関係を示す記述が僅かに点在している。  

  7. 高村象平著 ドイツ・ハンザの研究 日本評論新社 1959年 ¥470
    高村象平著 ハンザの経済史的研究 筑摩書房 1980年 ¥2600

      ハンザとイギリスの貿易戦争に纏わる記述でプロイセン都市グループ、特にダンチヒがイギリス商人を迎え入れたり、ドイツ騎士団総長がイギリス商人にイギリス商人の代表部の設置を許可するなど、ハンザに逆らう政策も採っていたようだ。しかし、ダンチヒの商人にはイギリス商人が危険な存在にも見えたらしく、ハンザの方針に倣ってイギリス商人の締め出しを画策したが、失敗したようだ。他に、オランダ商人がバルト海へ進出したときもドイツ騎士団はハンザの方針に反して、オランダ商人との取引を拡大し、逆にハンザ都市への穀物輸出を制限している。ドイツ騎士団はハンザとはいえ、商人と言うよりは生産者の位置にあるので、ハンザ商人とはしばしば利害が対立したようだ。ハンザが関わる貿易戦争にドイツ騎士団がいかなる反応を示したかが見て取れる。  

  8. 富田矩正著 ドイツ中世民族抗争史 交倉書房 1999年 ¥−
     メクレンブルクの東方植民について論じた本で、プロイセンとは基本的に関係ないが、東方植民の一般形態の模索が行われており、プロイセンにおける東方植民との比較も行われている。メクレンブルクでは、まず武力侵攻と教化があり、ある程度両方が完了してから植民が行われたらしい。従って、植民自体を見ると極めて平和理に進んだように見受けられる。それと、武力侵攻で原住民の大半は駆逐されたとするのが従来の見方であったが、実際にはかなり多くの原住民が残っていたようだ。プロイセンでは植民中に何度となく、大規模な現地人の反抗が見られたが、これは植民と武力侵攻とを同時に行ったプロイセン独得の現象で、武力侵攻を先にやったメクレンブルクでは植民時には現地人の抵抗は殆ど見られないようだ。そして、植民は武力侵攻から植民まで、大地方領主主導でかなり一貫した計画の元に進んでいたようだ。東方植民を考える際の一つの指標になるように見受けられた。  

  9. 鳥山成人著 ロシア・東欧の国家と社会 恒文社 1985年 ¥4500
     369から409頁にリトアニア・ポーランド連合の歴史が両国の内部事情を中心に解説されている。両者の合同はドイツ騎士団の驚異に対して結ばれたものらしいが、これはむしろリトアニア側の事情だったらしい。危機が去るとリトアニアはポーランドからの離脱を試みるようになる。モスクワ大公からの驚異が迫るとまた合同に傾いた。ポーランドは一貫して合同、どちらかというとポーランド有利の合同を画策していたらしい。両者は合同で一枚岩の如くに結束したみたいに見えていたが、実際は王家と諸侯、リトアニアとポーランドでバラバラだったようだ。ドイツ騎士団衰退期のポーランド、リトアニアの内部事情を解説した文としても読める。

  10. 阪東宏著 ポーランド史論集 三省堂 1996年 ¥−
     119から157頁に14から16世紀にかけて行われたポーランド王選挙の分析がある。ポーランド王は世襲ではなく、選挙で選ばれる。基本的には主に大諸侯で構成された国王評議会で選出し、全国議会で承認を受けるという形が取られる。全国議会は地方議会で選ばれた地方の有力者で構成されていたらしい。時代と共に全国会議の力が強まり、大諸侯の国王評議会と、民衆の全国会議と言う形で二院政が構成されていったと読みとれる。ドイツ騎士団との戦いでもこの全国会議派勢力は力をふるい、戦いの寸前に王に迫って様々な特許を勝ち取っているらしい。ドイツ騎士団と戦っていた当時のポーランドの議会制の発達を概観できる。  

  11. 野崎直治著 ヨーロッパ中世の城 中央公論社 1989年 ¥620
     城に纏わる法を概説した書で、主にドイツの城が扱われている。城塞の簡単な歴史に始まり、城塞を中心に展開した地方司法組織や、築城権、開城権等の城の所有者に纏わる権限や、城塞知行、別の言い方をすると城塞守備員の給料が様々な例を使って解説している。ドイツ騎士団も城塞については封建法に従っていたようなので、この本での解説はドイツ騎士団の城にも適用できるだろう。この本を見る限り、城塞守備員或いは、その代理が城塞の外で戦う義務はないようだから、城塞守備隊が野戦に参加することは無いのではと思える。  

  12. 森護著 英国王室史話 大修館書店 1986年 ¥3800
     186頁にヘンリー四世が1390から1392年迄、ドイツ騎士団の元でリトアニア遠征に参加したとあり、190頁によるとこのリトアニア遠征の際に感染した病気が原因で死去したとある。この当時、ヘンリー四世はダービー伯である。北方十字軍に参加したイギリスの若い貴族達の一例と言ったところだろう。  

  13. 久光重平著 西洋貨幣史 中巻 国書刊行会 1994年  ¥−
     562から563頁にドイツ騎士団の発行した貨幣についての解説がある。1シリング貨ばかり作っていたようだ。初期の見栄えの余りよくない貨幣と、それ以降作られたそれなりにできの良い二種類の貨幣の写真が掲載されている。  

  14. 安田喜憲著 森と文明の物語 筑摩書房 1995年 ¥680
     108から126頁に中世の森の状態と森に対する人々のイメージが解説されている。イギリスの記述が主であり、ドイツ、特にプロイセンの状況は不明であるが、森に対する恐怖心が中世人全般の心性であるとするなら、ドイツ騎士修道会が入植した時期にプロイセンの森もイギリスの森と同様に失われていったであろうと想像できる。  

  15. 山中謙二著 西洋中世史 有斐閣 1952年 ¥300
     263から270頁に12から15世紀の北欧東欧の状態を解説した章があり、ドイツ騎士団も簡単に触れられている。ハンガリーとポーランドでモンゴルに敗れ、最後はポーランドに押し潰されたと言う程度。  

  16. アーサー・ケストラー著 有賀寿訳 コペルニクス すぐ書房 1977年 ¥1400
     コペルニクスはポーランドのトルンに1473年に生まれ、生涯の殆どをポーランドですごしており、ポーランドとドイツ騎士修道会との戦争の影響も被っている。基本的にトルンはポーランドに対しても、修道会に対しても独立の立場をとっていたようで、1519年前後の戦禍を僅かに受けただけのようだ。この戦争でコペルニクスは修道会とポーランド間の和平締結の為の調停に関わっている。コペルニクスは自著出版に際して修道会最後の総長で、コペルニクスが関わった当時はプロイセン公となっていたアルブレヒトの後援を受けたようだ。コペルニクスはポーランドが修道会から被った経済的被害についての論文を書いており、この論文は現存している。修道会との関わりで見ると、トルンでこの時代を生きた多くの教会関係者の一人という程度のように見受けられる。  

  17. アンリ・ピレンヌ著 佐々木克巳訳 ヨーロッパの歴史 創文社 1991年 ¥9270
     401から421頁のスラブ諸国とハンガリーを論じた章にドイツ騎士修道会が関わった事件の解説が散在している。ドイツ騎士修道会の到来と定着はこの時期に起こった東欧へのドイツ拡張の一つのエピソードに過ぎないと捉えている。ドイツ騎士修道会はプロイセン人を根絶し、リトアニアへの戦争は単に人狩りを楽しむものであったとし、修道会支配とは騎士寡頭政治であり、経済の独占であったとしている。戦前の主流をなす考えを典型的に踏襲しており、大変分かり易い。原著が書かれたのが第一次大戦中のようなので当時のドイツ騎士修道会に対する主流説を知るのによい。  

  18. アンリ・ボグダン著 高井道夫訳 東欧の歴史 中央公論社 1993年 ¥4800
     65から72頁にフス戦争に関わった国々の対応がボヘミアを中心にしてと、ハンガリーを中心にしてとの二つの部分に分けて概説されている。主にフス派の人々ではなく、それに対した各国の要人の動きが解説され、フス戦争の流れはそれに絡まる形で記述されているに過ぎない。87から90頁に15と16世紀のポーランドの概史があり、ドイツ騎士団もそれに絡む形で記述されている。この時期はドイツ騎士団の衰亡期にあたり、ポーランドに対してドイツ騎士団が軍事的にも政治的にも敗退を続け、最終的にはポーランドの一公国になる迄が、ポーランド史の中から見えてくるような感じである。  

  19. H.G.ウェルズ著 長谷部文雄/阿部知二訳 世界史概観 下 岩波書店 1966年 ¥530
     1から6頁にフリードリヒ2世と教皇との関係を中心にした記述があり、11と12頁にリーグニッツの戦いとその当時のモンゴル情勢に纏わる記述がある。フリードリヒ2世を「あきれた十字軍騎士」と呼んだり、「近代人の最初の者」と呼んだりと、評価が定まっていないようである。  

  20. コーシマ・カーロイ著 田代文雄訳 トランシルバニア 恒文社 1991年 ¥2800
     1211年にドイツ騎士団がハンガリー王より与えられた土地が現在のトランシルバニアである。50と51頁にドイツ騎士団がここに呼ばれた時期の記述がある。63から73頁にドイツ騎士団へ積極的な援助を与えていたジギスムント時代の記述があり、その中にフス戦争の記述も散見される。ちょっとした読み物といった感じで、大した情報はない。  

  21. ジェイムズ・A・ミッチェナー著 工藤幸雄訳 ポーランド 上巻 文藝春秋社 1989年 ¥1942
     ワールシュタット(リーグニッツ)やグルンヴァルト(タンネンベルク)の戦いが、ポーランド側の視点から詳細に描写されている。あくまでも、ポーランド側の視点で描かれているので、ワールシュタット(リーグニッツ)の戦いでは好意的に描かれているドイツ騎士団も、グルンヴァルト(タンネンベルク)の戦いでは悪意に満ちた描かれ方になる。この様に、親ポーランドへと偏りがあることは否めない。小説だからそれでいいんだけどね。  

  22. シェンキェヴィチ著 柴田錬三郎編訳 十字軍の騎士 皆成社 1951年 ¥150
     「クゥオ・ワァディス」で有名なポーランドのノーベル賞作家シェンキェビッチがドイツ騎士団とポーランドとの戦いを描いた作品。舞台は騎士団とポーランド国境地帯で、ストーリーは騎士団を悪役にした騎士冒険物。騎士団は最後にポーランド軍に粉砕されてしまう。しかし、ハッピーエンドではなく、それなりに悲劇的な終末が用意されている。

  23. ステファン・キェニエーヴィチ編 加藤/清水訳 ポーランド史(1) 恒文社 1986年 ¥9000(全2巻揃いで)
     だいたい86から172頁にドイツ騎士団が活動していた頃のポーランドの記述がある。ポーランドがドイツ騎士団とプランデンベルクの侵略を再三に渡って受けていた点が強調されているように見受けられる。ポーランドとリトアニアの同盟も対ドイツ騎士団対策にある。タンネンベルクの戦い以降はドイツ騎士団の脅威は去り、リトアニアとの関係も壊れていったようだ。当時のポーランド周囲の地図やタンネンベルクの戦いの戦況図があり、便利である。ドイツ人とポーランド人の対立や融合と言った感じで、民族主義的な色彩が強いように見受けられる。

  24. セバスチャン・ハフナー著 川口由紀子訳 プロイセンの歴史 東洋書林 2000年 ¥4500
      19から26頁にドイツ騎士団が支配した時期のプロイセンについての記述がある。武力を使った植民活動を行い、原住民の大半を絶滅させた。しかし、ここに植民した者達は騎士団と対立するようになり、ポーランドと手を結び騎士団支配を打ち壊してしまう。このような流れで騎士団の歴史を概説している。  

  25. A.J.トインビー 「歴史の研究」刊行会訳 歴史の研究第三巻 経済往来社 1969年 ¥−
    261から265頁にドイツ騎士修道会が西欧文明の辺境に対する圧力の先端としてプロイセン人やリトアニア人に対したとの解説がある。ドイツ騎士団の簡単な戦史もある。トインビーの文明圏論の挑戦と応戦の一例と言ったところ。これをそのまま受け入れるにはかなり極端な単純化が必要に思える。  

  26. ハンス・K・シュルツェ著 千葉徳夫/浅野啓子/五十嵐修/小倉欣一/佐久間弘展訳 MINERVAライブラリー22 西洋中世事典 ミネルヴァ書房 1997年 ¥3800
     215から218頁で、ドイツ騎士団のプロシアにおける概史と城についての概説がなされている。ドイツ騎士団が支配や戦闘で如何に城に頼っていたかがよく解る。  

  27. フェルディナント・ザイプト著 永野藤夫/井本昭二/今田理枝訳 図解 中世の光と影 下 原書房 1996年 ¥3800
     353から355と365頁にちょっとした北方十字軍の紹介があり、これらの頁が含まれる十字軍の章では思想的な面を中心に様々な十字軍の紹介がなされている。思想的な面を理解する手掛かりは与えてくれる。415から417頁にドイツ騎士団とボヘミア王オタカルが協力した話と、482から485頁にドイツ騎士団の簡単な概説がある。ドイツ騎士団と戦ったフス派の話もある。501から506にフス派の成り立ちが解説され、515から528頁に皇帝ジギスムントがフス派に対した話がある。  

  28. フリードリヒ・フォン・ラウマー著 柳井尚子訳 騎士の時代 法制大学出版局 1992年 ¥4800
     280から400頁にドイツ騎士団創設に関わったドイツ皇帝ハインリヒ四世や、フリードリヒ二世に纏わる話が、主に戦いや政争に焦点を当てて記されている。フリードリヒ二世とドイツ騎士団長ヘルマンとの関わりも僅かながら記述されている。ヘルマンが皇帝の外交官の様に見える。フリードリヒ二世を好意的に描いている。但し、資料的根拠は全く示されぬまま美辞麗句が続き、どうにも信頼性が高い様に思われない。しかし「レジーヌ・ペルヌー著 福本秀子訳 十字軍の男たち 白水社 1989年」の280から297頁と比較してみると、フリードリヒ二世の人間像が如何なものかがよりよく見えてくる。両書を読み、歴史像とは資料の選び方と読み説き方で幾らでも、変わるものだと感心させられる。ちなみに本書の著者はドイツ人で、ペルヌー氏はフランス人である。  

  29. ミッタイス著 世良晃志郎訳 ドイツ法制史概説 改訂版 創文社 1971年 ¥5500
     おおよそ187から431頁にドイツ騎士団が活動した時期のドイツの法についての解説がある。大まかには時代毎に章分けがなされ、その章の中にその時代の主要な事柄に纏わる法の解説が行われている。中世だけあり、裁判権に纏わる記述が多い。但し、ドイツ語の専門用語が極めて多く内容を理解するのは容易ではないが、逆にその専門用語を調べるのに有用である。ドイツ騎士団が活動した時期のドイツは諸侯領毎に殆ど独立した法体制や裁判体制が築かれていたらしい。

  30. ヤン・アダムチェフスキ著 小町真之/坂本多訳 コペルニクス 恒文社 1983年 ¥2800
     ポーランドでコペルニクス生誕500周年の記念として出された伝記で、コペルニクスをあらゆる学業にたけた愛国主義的な英雄として紹介している。その過程で、同時代のポーランドの芸術家や学者を紹介し、背景としてドイツ騎士修道会とポーランドとの戦争を解説している。全般的に民族主義的な色合いが強いできになっている。関連する場所や物品の写真や同時代や若干後世の絵画が多用されており、写真絵画集として見応えがある。

  31. リチャード・バーバー著 田口孝夫訳 騎士道物語 原書房 1996年 ¥3200
     260から271頁にドイツ騎士団のプロイセンでの活動についての概史が記述されている。これをみると、プロイセンの地を併呑するのがいかに困難だったかが読み取れる。タンネンベルクの戦いについての記述が最も長く、この戦いがいかに重要だったかを窺わせる。概史として極めて有用な本だ。  

  32. レジーヌ・ペルヌー著 福本秀子訳 十字軍の男たち 白水社 1989年 ¥3010
    レジーヌ・ペルヌー著 福本秀子訳 十字軍の女たち パピルス 1992年 ¥5400

     最初の書では280頁から297頁に、第二の書では233頁から241頁にフリードリヒ二世の記述があり、ヘルマンも彼の取り巻きみたいに登場する。かなり非好意的にフリードリヒ二世を捉えているが、描き方が極端に過ぎるように感じる。「フリードリヒ・フォン・ラウマー著 柳井尚子訳 騎士の時代 法制大学出版局 1992年」が逆の描き方をしているので、両著を比較して見た方がよいように思われる。  

  33. 入交好脩編 西洋農業経済史研究 日本評論社 1948年 ¥200
     65から84頁にプロイセンにおけるドイツ人植民者の村の二、三の問題について検討した「高村象平著 中世プロイセンの独逸植民村落に関する若干の問題」が収録されている。プロイセンの植民村は修道会の中央が誘致したものではなく、地方の代官とも言うべきコムトゥールが植民請負人などに委託して誘致した物で、この請負人は村建設後にそこの村長に納まる。請負人にはある程度の資産を持ち新たな事業を起こそうとする企業家精神が旺盛なものが多かったようだが、中には植民に失敗して多額の借金を抱えて逃げ出す者もいたようだ。修道会は新たな植民村には補助金なども出し、植民村は修道会にとっても将来に対する投資のような存在だったようだ。植民村と現住プロイセン人の問題も扱われている。プロイセン人は基本的に植民村に居住することができない。理由は民族的なものではなく、両者の徴税方式や社会形態の違いにあったようだ。植民村では個々人に対してではなく、土地に対して課税が行われ、人の関係も地域的まとまりで構成されている。プロイセン人では氏族単位に課税が行われ、人の繋がりも血縁的なものが主となっている。しかし、プロイセンの氏族社会が弛緩し、プロイセン人が血縁関係から地域的な地縁関係を受け入れるに従い、プロイセン人が個々人として植民村に移住することが可能となっていったようだ。今となっては幾分古い論文になってしまったが、プロイセンの植民村についての基本的なところを抑えるのには十分使えるだろう。  

  34. 西澤龍生編 近世軍事史の震央 彩流社 1992年 ¥4800
     1483から169頁に主に十六世紀のドイツ傭兵隊長についての論文がある。十五世紀末から傭兵の企業化が進んだように見受けられる。雇用主は支払いを土地で行うこともあったようだ。ドイツ騎士修道会も傭兵に対して土地による支払いを行い、それがプロイセンの騎士団支配の弛緩の一因と見られている。この土地による支払いは一般的な現象だったようだ。ドイツ騎士団についての記述は皆無だが、同時期の傭兵についての経営状況を知るのに使える。  

  35. 井上浩一/栗生沢猛夫著 世界の歴史11 ビザンツとスラブ 中央公論社 1998年 ¥2524
     359から360頁にドイツ騎士団のプロイセン招致の話があり、361から36頁にワールシュタットの戦いがあり、365から370、387から398頁のポーランドの項目でポーランドとの関わりが、419から421頁にノボゴロドとの関わりが散見される。極めて簡略な記述だ。  

  36. 大類伸編 世界の戦史4 十字軍と騎士 人物往来社 1966年 ¥490
     102から182頁で中東の第一回十字軍から十字軍国家滅亡迄を時間の流れに沿って解説している。ドイツ騎士団が中東ではいかに重視されていなかったかが、記述の少なさからよく解る。この本だと173頁のフリードリヒ2世を支持した話しかなく、兵力も少なかったことが言及されている。  

  37. NHK取材班編 大モンゴル2 角川書店 1992年 ¥2800
     140から147頁にリーグニッツ(ワールシュタット)の戦いの記述がある。この時、モンゴル軍に襲われたサンドーミッシュの町に今でも行われているモンゴルに纏わる祭りも紹介されている。祭の写真やリーグニッツの古戦場跡、両軍の装備の写真、年代記や教会絵画の写真等々、図版が紹介されていて見応えのある本である。  

  38. 聖心女子大学キリスト教文化研究所編 東欧・ロシア文明の回廊 春秋社 1994年 ¥3090
     28から33頁にドイツ騎士団のハンガリー誘致から世俗化迄の概史がある。中世ドイツ東方植民の最後のクライマックスとして位置づけられた感じである。

  39. 田中陽兒編 ロシア史1 山川出版 1995年 ¥−
     133頁にドイツ騎士団がバルト海域へ到来した13世紀のロシアの勢力図があり、150から153頁にアレクサンデル・ネフスキーに関する記述があり、ドイツ騎士団のノボゴロド侵攻に纏わる話も僅かにある。178から182頁に14世紀のリトアニアの歴史が記述されており、ドイツ騎士団との関係も記述されている。リトアニアはドイツとモスクワ公という二つの敵に挟まれていた。それでも、最大勢力範囲はバルト海から黒海に及び、実に広大である。14世紀末から15世紀にかけてはドイツ騎士団との戦いに忙殺されて、東方では余り積極的な行動はとれなかったらしい。ドイツ騎士団が敗れ去った16世紀以降にモスクワとリトアニアの抗争が本格化したらしい。ドイツ騎士団も末期には盛んにモスクワ公国にアプローチしていた。  

  40. 山田欣吾/成瀬治/木村靖二編 ドイツ史一 山川出版 1997年 ¥5619
     ドイツ騎士団とフリードリヒ二世の関係、ドイツ騎士団の簡単な構造等、色々な情報がちりばめられている。  

  41. 伊東孝之/井内敏夫/中井和夫編 新版世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史 山川出版 1998年 ¥3500
     13世紀から16世紀にかけてのポーランド王国統一過程でドイツ騎士団が如何に関わっていたかが52から119頁に鏤められている。ドイツ騎士団は当初プロシア人制圧を期待されてポーランド側から招聘されたが、その後、ポーランドにとり如何に面倒な敵手となったかが解る。  

  42. ジョン・ゴス編 小林章夫監訳 ブラウンとホーヘンベルフのヨーロッパ都市地図 同朋舎 1992年 ¥9800
     16世紀に作られた世界の都市図集からの選集で、ドイツ騎士修道会に関わる都市も幾つか掲載されている。48と49頁にダンチヒ、56と57頁にケーニヒスベルクとリガがある。地図は正面から見た景観図と上空から見た鳥瞰図の二種あり、それぞれの地図には都市の紋章が掲載されている。全て鮮明なカラー図版なので極めて美しい。

     
  43. バラクロウ編 宮島直機訳 新しいヨーロッパ像の試み 中世における東欧と西洋 刀水書房 1979年
     中世の東欧を政治、経済、文化、宗教の観点から論じた章で構成されており、ドイツ騎士団は西からの来訪者として各章に少し現れる。政治の章では、78頁にハンガリー招聘の、80から83頁でプロシアでの概史があり、宗教では124頁にポーランドとの関わりが解説され、経済では169頁でドイツ騎士団がおさえていたドイツ北部の貿易ルートが騎士団の敗北で変化したとの記述がある程度である。  

     
  44. David Nicolle著 Arms & Armour of The Crusading Era 1050-1350 GREENHILL BOOKS 1999年
     1050年から1350年に作られた武器や防具の絵や図、彫刻、実際の武器などのスケッチ集である。収録されている図や彫刻史料は千点に達し、各々の史料の武器の部分だけを取り上げ、幾つかのスケッチに分けてまとめられている。全体は年代順ではなくその武器が作られたと思われる地域に分けてまとめられている。スケッチ自体は簡単な線画で描かれ、この本の一/三のスペースを占めており、全体の半分は各図の解説である。史料の出典解説よりもその図に現れる武器そのものの解説の方が多いように見える。ドイツ騎士修道会に最も関連が深いのは図版の頁では最後の頁にあたるバルト諸国の武器だろうが、残念なことに槍先と剣の柄しかない。ドイツ騎士修道会の装備は主にドイツか中東の十字軍国家と同じようなものと考えればよいように思うが、気候的な点を考えるとスカンジナビア半島諸国と同じかもしれない。但し、当時はどの国も防具はチェーメールアーマーと大盾、武器は剣と槍が主要なもののように見えるので、地域による差というのは小さいのかもしれない。  

     
  45. F.C.Woodhouse著 Military Religious Orders of the Middle Ages SOCIETY FOR PROMOTING CHRISTIAN KNOWLEDGE 1879年
     この本はマンチェスターの教区司祭が書いたもので、騎士団紹介本と言った感じである。三大騎士修道会については聖ヨハネに200頁、テンプルに50頁、ドイツに30頁が割り当てられており記述の規模にだいぶ差がある。残り60頁でイベリア半島の騎士団と、イギリスの騎士団、それ以外の騎士団の記述を行っている。スペインとイギリスの各騎士団にはそれぞれ1頁が割り当てられ、それ以外には1から10行くらいの記述があるに過ぎない。基本的に創設から消滅までの概史が記述されている。その他の騎士団には中世に創設されたものだけでなく、19世紀に創設されたものまで実に広範囲に渡って紹介されている。三大騎士修道会以外の部分の記述の方が価値があるように思えてならない気がする本である。  

     
  46. Nicholas Hooper/Matthew Bennett著 Illustrated Atlas Warfare The Middle Ages 768-1487 CAMBRIDGE 1996年
     中世の戦争をカラーの地図と当時の絵で解説した本で、ドイツ騎士修道会が関わったエジプトへの十字軍が110から113頁にあり、フス戦争が136から138頁にあり、モンゴルの東欧への到来が62から63頁にあり、修道会が主導した北方十字軍が60と61頁に記されている。154から169頁には中世の戦争に纏わる騎士とか傭兵、武器、船などの解説がある。記述は簡易で極めて読みやすい。  

論文

  1. 阿部謹也著 西ドイツの東方研究と西欧理念 思想495 1965年
     東方植民の研究史、特に研究者の思想的な背景に焦点を当てて論じた論文で、第二次世界大戦以前と以後の研究の差異を知ることが出来る。以前はドイツ民族の東方への勢力圏拡大と捉えた研究が主だったようだ。これはとりもなおさずナチスの東方侵攻の歴史的な理由付を目的とした研究で姿勢である。大戦後、東方植民の平和的な側面が強調され、西欧の東進という考え方が現れたようだ。これはヨーロッパが東西に分かれたことに対する西の対応を背景としていたらしい。どちらも現在が過去に対する研究に強く影響している。ドイツ騎士団は東方植民の先兵として捉えられることが多々ある。故に、この東方植民に対する研究姿勢はそのままドイツ騎士団研究に対する姿勢ととることが出来る。  

  2. 高村象平著 独逸騎士修道会の盛衰とその事業 日独文化4−12 1943年
     修道会の勃興の原因を東方植民の斡旋と貿易事業に見て、その両方の視点からプロイセンにおける修道会の発展と滅亡を概説した論文。植民事業にエネルギーの多くを費やしていた時代は修道会の発展期であり、リトアニアがポーランドと同盟してキリスト教へ改宗してしまうと大義名分を失い、植民活動が衰退し、修道会のエネルギーは傭兵を中心とした軍事力の増強に向かうことになり、修道会の国力そのものを弱体化させるに至たったというところである。貿易については当初、単なる消耗材などを手に入れる為に行われていたが、貿易の拡大により利益拡大を目指した貿易へと変貌していった。その際、ドイツ・ハンザと手を組むことでより貿易を拡大させることができた。分かり易いが、古い認識に基づいた概説といった感じである。政治活動の主軸が植民から軍事へ、貿易が必需品取得から利益獲得へと変わっていき、その結果として修道会は衰退へ向かったという流れで書かれている。  

  3. 鳥山成人著 ポーランドの貴族共和政 北大史学7 1960年
     ポーランドの貴族による共和政の始まりと、終わりを論じた論文で、関係する部分は14世紀から16世紀の貴族共和政の始まりのところ。この頃ポーランドでも他の国々と同様に身分制議会が現れているが、他の国と違い諸侯の力が強く、諸侯以外の都市民や富農層の力が抑えられ、国王は世襲ではなく諸侯の選挙で選ばれ、更に外国の有力諸侯を迎えることが多い。故に、国王は国内強力な基盤を持たず、即位すると諸侯の支持を取り付けるために特許を乱発した。それで、諸侯の会議が国政の中枢に収まり、貴族共和政とも呼ぶべき体制になったと言うことらしい。  

  4. 伏島正義著 十三世紀のゴットランド社会−−ゴットランド法典にみる人民・平和・土地−− 西洋史学111 1978年
     十三世紀のゴットランド島民の社会をゴットランド法典から検討した論文。全体は奴隷の状態、フェーデ(決闘)防止策、土地所有関係の三つに分けられて検討が進められている。検討方法は法典の条文を一つ一つ解釈し、その解釈全体をまとめ上げる手法が使われている。奴隷は期間限定の債務奴隷が主だが、現実には一度奴隷になったら生涯奴隷に留まるようだ。フェーデは和解の促進と、対象者の逃亡を助ける事で防止しようとしていたらしい。土地は個人所有だが、完全な個人所有とを言えず、どちらかと言えば親族全体を含めた家の所有に期していた様に見受けられる。しかし、個人所有が進み、その影響で一部有力者の手に土地が集中する傾向が現れていたらしい。ゴットランド法典の訳が豊富に使われており、原典史料としても使える。だが、史料に密着しての検討のせいか全体像が見えにくく、分かりがたい部分が多々ある。  

  5. 諸田実著 騎士領の構造と [Zwing und Bann] の意義 福島大学商学論集27−2 1958年
     16世紀の農民反乱時の農民達の要求文たる12箇条を元に当時成長してきた騎士領について論じている。騎士領の成長には当時ある程度の地域を覆って存在していた大荘園が分解していきその分解の結果として騎士領が現れてきたとする説を退け、騎士領という小荘園が大荘園内に成長して全体を食い荒らす形で騎士領が発展したという説を採っている。この論文で言う「Zwing und Bann」とは騎士領の中心たるブルク(城)の支配地域をいい、ブルクの支配とはブルク内部に留まらず騎士領全域に及んだことが指摘されている。前記の12条ではこの騎士領の発展に伴い農民に対する賦役が増大した旨が書かれており、農民達はこの賦役の増大に抵抗した蜂起したことが見て取れる。従来のように諸候のような大領主に治められている時より、より小規模な騎士層に治められる時の方が農民に対する負担は増大したと言うことのようだ。これはドイツ騎士修道会領にも当てはまる。「阿部謹也著 グーツヘルシャフトの形成とルター派の浸透(1,2) 一橋大学一橋論叢 52巻1,2号 1964年」によると農民反乱時にはドイツ騎士修道会領でも同様の問題が起こり、農民はグーツヘル(騎士層などの小領主)の支配を嫌ってランデスヘル(大諸侯や修道会総長などの大領主)に訴えている。グーツヘルシャフト形成に関する一つの考察と言った感じである。  

  6. John France著 Recent Writing on Medieval Warfare:From the Fall of Roman to c.1300 THE JOURNAL OF MILITARY HISTORY 65 2001年
     だいたい3世紀から13世紀迄のヨーロッパの軍事に関する1980年代以降に書かれた著作や論文を紹介した論文で、基本的には年代順にテーマ毎に紹介が綴られている。テーマはローマ滅亡前後とかカロリング朝、十字軍など時期的にまとめたもの、剣と鎧とか要塞等、戦争に関わる建造物や装備などの物に関したもの、海事史等と行った具合に多岐に及んでいる。十字軍に関わる形でイスラーム勢力についての著作も紹介されている。ドイツ騎士修道会そのものを扱った章はないが、十字軍や海事史などのところで関連がある著作が紹介されている。軍事関係の著作のカタログと言った感じである。  

  7. Forey著 The Military Order of St Thomas of Acre ENGLISH HISTORICAL REVIEW 92 1977年
     ドイツ騎士修道会とだいたい同じ頃に創設された聖トマス騎士修道会の概史を論じた論文で、創設から消滅までの歴史を概観できる。聖トマス騎士修道会についてはここを。この論文は主に行政史料、特に土地の取得や裁判に関する史料から読みとれる歴史像を描いているように見受けられる。だいたい年代順に記述を進めてはいるが、創設、騎士修道会への改編、聖地での活動、所領の取得状況、教皇庁との関係、経済状況、テンプル騎士修道会との合併問題、聖地とイギリスの会士の対立等々、ある程度テーマ毎にまとめて記述する形が取られており、所々で年代が戻ったりもしている。私の知る限りでは殆ど唯一の聖トマス騎士修道会の概史であり、聖トマス騎士修道会を調べる上では必読の論文だと言える。というより、聖トマス騎士修道会については他に殆ど文献が見あたらないと言うのが現状のようだ。  

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