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ドイツ騎士修道会資料集 原典史料

注.
ドイツ騎士修道会に関連する記述のみ紹介(紹介というよりは感想文)。
各項目毎に著者名の50音順に表示。
国外の著者については国内の著者の後にアルファベット順に表示。
著者複数の場合は、最後尾に表示し、表題をキーとして配列。
著者名の次に出版年代をキーとして配列。
値段は参照した本に提示されたもで、現在の価格と異なる可能性あり。

  1. オラウス・マグヌス著 谷口幸男訳 北方民族文化誌 渓水社 1991年 ¥21500
     16世紀にスェーデン生まれの司教が記した本で、北欧諸国の様々な伝説や、宗教、歴史、自然、動物などが紹介されている。北欧神話も記されている。鶴と小人の戦争とか、熊の子を産んだ女王の話とか、荒唐無稽な話も多々ある。そして、比較例として古代ギリシアやローマの様々な著作に現れる話を数多く持ち出している。プリニウスが最も多いように見受けられた。問題は脱線が多く、北欧の話をしている内に他の地域の話へ飛んで何処の話をしているのか分からなくなったり、道徳的な説教になったりする。著者はローマ教皇庁に関わっているだけあり、新教を非難する記述も多々ある。ドイツ騎士団が活動した地域の風俗を知るための原典史料として位置づけられているようだ。  

  2. ルター著 ルター著作集編集委員会 ルター著作集第一集第五巻 聖文舎 1967年 ¥2000
     309から335頁に、ルターが1523年にドイツ騎士修道会へ送った公開状が掲載されている。ルターは最後の総長アルブレヒトからの依頼で修道会の改革案を作成した。それがこの公開状である。アルブレヒトはこれを受けて修道会を公国に再編し、新教へ改宗した。公開状の内容は修道士に妻帯を禁止したローマ教皇庁の批判を軸にして妻帯を奨励する内容となっている。具体的な改革案は妻帯の許可だけだが、改革の第一歩を記したと言うところなのだろう。この訳には、この公開状が記されるに至った状況も解説されている。

  3. 中村喜和訳 ロシア中世物語集 筑摩書房 1970年 ¥980
     240から251頁に、チュード湖の戦いでドイツ騎士団を敗ったアレクサンデル・ネフスキー伝が掲載されている。この伝記は十三世紀に書かれたと考えられており、チュード湖の戦いの原史料でもある。チュード湖の戦いの記述は極めて簡略で、ドイツ騎士団相手と思われるプスコフ市の争奪戦の記述もある。この史料を読む限りでは、アレクサンデルの方針は東のモンゴルとは友好を保ち、西のスェーデンやドイツ騎士団とは戦うとしたものらしい。

  4. レーベヂェフ編 除村吉太郎訳 ロシア年代記 原書房 1979年 ¥6500
     511から659頁に13から14世紀初め頃に編纂されたと言われている「ガーリチ=ヴォルイニ年代記」に収録されている。この年代記はちょうど騎士団到来時頃のロシア情勢、特にポーランドやハンガリーと境を接するガーリチ候国やキエフ候国の記述がある。ドイツ騎士団を直接記した部分はないが、ロシア諸侯とポーラント、ハンガリー、リトアニア等の関係や闘争等が記されている。当然ながらモンゴル諸国との関係も記述されている。しかし、モンゴルがハンガリーへ侵攻した話はあるが、ポーランドへ侵攻した話がないのは残念である。ドイツ騎士団に着目すると見えないが、ロシア側から見るとポーランドもロシア方面で色々とトラブルを抱えていたらしい。この本は元版が1940年代と古く、ポーランドをリャフと言ったり、ハンガリーをウゴルと言ったり、読み方が通常と異なり、年代の数え方も特殊なので非常に読みづらい。518と519頁の間にある地図を見ながら読むとよい。  

  5. ヨーロッパ中世史研究会編 西洋中世史料集 東京大学出版会 2000年 ¥3200
     135から241の中世盛期のドイツと諸項目や280から379頁の中世末期に関連史料が散在している。145から146頁にフリードリヒ二世の法があり、146から148頁には特許状もある。298から300頁にドイツ騎士団の衰亡を決定的にしたトルンの和約があるが、残念なことに部分訳である。 中世世界の概形を見定めるための基礎史料集としては使えそうである。只、残念なのが出典についての情報が乏しい。  

  6. − ノヴゴロド第一年代記1−6 ロシア研究12,13,15−18 1978,80,83,86,89,91年
     11から14世紀のノヴゴロド市の記録である。この翻訳は14か15世紀に作られた写本に基づいて作られたもので翻訳者は十数名に上る。固有名詞の多くは原語表記の為に他国の歴史を学んだ物にとっては馴染みのないものが多く、読み難い。ドイツ騎士修道会はネムツィと言う名で呼ばれているようだ。エストニアはチュヂと呼ばれ、リトアニアはリトヴァとなっている。この辺りの語を追いかければ問題はなさそうだ。記述の大半は戦争や政治的なもので一般的な年代記と言った感じだ。この訳が掲載されているロシア研究にはノヴゴロド年代記に関わる論文が多数掲載されておれ、この年代記の訳を中心に紙面が構成されている印象を受ける。ノヴゴロドにドイツ騎士修道会が関わった事件で最もよく知られているのはチュード湖の戦いだが、これは第6回目の最初の方にある。  

  7. Petri de Dusburg著 Klaus Scholz/Dieter Wojtecki訳 Chronicon Terrae Prussiae(プロシア年代記) Darmstadt 1984年 (ラテン語・独語)
     1190から1330年のドイツ騎士団の歴史を記した、ドイツ騎士団の公式記録みたいなもので、ドイツ騎士団研究の基礎史料の一つ。著者のドスブルクは、ドイツ騎士団の司祭をしていた人物らしい。執筆年代は1326年で、1326年以降の部分は後に別の人物により追加された分である。この年代記の要約が前記の「山田作男著 プロイセン史研究論集 近代文藝社 1994年」に収録されている。  

  8. Hans-Georg Boehm編 Hochmeisterwappen des Deutschen Ordens 1198-1618 FRANKONIA 1990年
     17世紀に作られた年代記の総長の紋章が書かれた頁だけを集めた紋章集である。初代総長のハインリヒ・ワルポットから第42代総長マキシミリアン・フォン・オーストリアの歴代総長の紋章がカラーで掲載されている。一つの紋章につき一頁を費やしているので図が大きく見やすい。残念なことに解説が殆どない。序に簡単な修道会の概史あるくらいである。前代総長のアルノルト氏の祝辞も送られており、一応修道会公認の紋章集である。紋章をざっと見た感じでは修道会のシンボルが黒十字と鷲の紋章の組み合わせであろう点が推測できる。初期を除き殆どの総長の紋章に黒十字と鷲の組み合わせがある。  

  9. Jerry C.Smith/William L.Urban編 The Livonian Rhymed Chronicle INDIANA UNIVERSITY 1977年
     1180から1290年のリヴォリアにおけるドイツ騎士修道会の活動の記録である。記録者は不明だが、13世紀中頃に実際に軍務についていた修道騎士の一人だと推測されている。記述は通常の年代記と異なり、年代毎にその年の出来事を記録するとした形ではなく物語のようにエピソードからエピソードへと記述する形が取られている。著者が実際に活動した時期の記録は1279年以降にあたるらしい。記述は戦闘の記録に終始している。チュード湖の戦いの修道会側史料としても知られている。  

  10. Herbert Helbig/Lorenz Weinrich編 Urkunden und Erzahlende Quellen zur deutschen Ostsiedlung im Mittelalter 1(中世のドイツ東方植民の文書と伝承史料1) Darmstadt 1975年 (ラテン語・独語)
     東方植民に関する資料集で、この本ではオランダからの植民、メックレンブルク、ポンメルン、プロシア、リヴラントの東方植民の史料が収録されている。ドイツ騎士団関連では、ドイツ騎士団領プロイセンやリヴラントの章に多数掲載されている。リヴラントの章では刀剣騎士団の発足者、アルベルト司教の文書も掲載されている。他には、385から391頁にポンメルンの章にポンメルン領主のオリヴァ修道院への寄進にドイツ騎士団が関わった事が書かれた文書がある。  

  11. Herbert Helbig/Lorenz Weinrich編 Urkunden und Erzahlende Quellen zur deutschen Ostsiedlung im Mittelalter 2(中世のドイツ東方植民の文書と伝承史料2) Darmstadt 1970年(ラテン語・独語)
     原文(ラテン語やら古ドイツ語やら色々)と現代ドイツ語との対比訳で構成された東方植民に関する資料集で、この本ではシュレージェン、ポーランド、ベーメンのメーレン、オーストリア、ハンガリーのトランシルバニアへの東方植民の史料が収録されている。ドイツ騎士団関連の史料は少ないので、どんな史料が掲載されているか抜粋する。まず頁数と文書の作成年を、次にこの本における史料Noを、最後に概要を記す。
    シュレージェンの章 135と136頁 1233年 No.17
      プロイセン管区長が領地を現地の領主や司教に貸出す文書。
    ポーランドの章 215頁 1224年 No.49
      ポーランドの領主からドイツ騎士団へ500フーフェの土地を寄進する文書
    ハンガリーのトランシルバニアの章 533から535頁 1211年 No.143
      ハンガリー王のドイツ騎士団招聘の文書
    見落としがあるかもしれないが、私の見た限りでは以上の原典資料が掲載されている。  

  12. Hrsg.v.W.Hubatsch編 Quellen zur Geschichte des Deutschen Ordens(ドイツ修道会の歴史の史料) Gottingen 1954年 (ラテン語・独語)
     原文(たいていはラテン語)とドイツ語による対比訳で構成されたドイツ騎士団史料集。ドイツ騎士団にとり重要な部類に入る史料の中で、比較的短い原典史料を集めている。更に、一部史料は編者による省略がなされている(例えば「シュタトゥーテン」なんか、大幅に省略されている)。残念ながら現在は絶版。更に、この本のドイツ語は対比訳故に読み難い  

  13. − Preussisches Urkundenbuch(プロイセン古文書集) Marburg 1882−2000年 (ラテン語・独語)
     プロイセンに纏わる古文書を集めた資料集で、1882年から出版が始まり、現在に至るも完結していない。内容はラテン語か中世低地か高地ドイツ語の原文と現代ドイツ語の解説で構成されている。但し、1と2巻のドイツ語は飾り文字が使用されている為に読み辛く、史料の訳がなく、中世ラテン語文章などは当時のラテン語文章の特徴である誤記や他言語の流用などが多く読み難い。解説の一部には間違いと思われる物もある。巻毎に索引があり、検索は比較的容易である。収録史料は一巻が1140から1257年、2巻が1257から1335年、3巻が1335から1345年、4巻が1346から1351年、5巻が1352から1361年、6巻が1362から1371年に作成された文書となっている。各巻は1から3冊で構成され、最後の1冊は索引集となっている。6巻の索引集はまだ出版されていない。現在までに出版された文章はちょうどドイツ騎士修道会がプロイセンで活動した時期に当たり、そのせいもあり史料の多くは修道会関係の文書で占められている。この文書集成立の経緯は「阿部謹也著 民間史学による地域・民族・世界の歴史認識−−ドイツ史研究の一つの反省−− 歴史評論270号 1972年」に簡単な解説がある。大学などの研究機関が主導したのではなく民間の郷土歴史家主導で編纂が始まったのである。  

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