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騎士団リスト
 19世紀末に出版された騎士団辞典といいたくなるような本を、ある大学図書館の奥底で発見した。実に多数の騎士団、或いは騎士修道会が掲載されており、騎士修道会に対するイメージを知る上で大変よいもののように思われたので、一部を翻訳してみることとした。全体は6章に分かれており、最初の三章はドイツ、テンプル、ヨハネの三大騎士修道会、次がイベリア半島の騎士団、イギリスの騎士団と続き、最後がその他の騎士団となっている。ここでは最後の章のその他の騎士団の一部について翻訳した。この章には221の騎士団の紹介がある。


ゴールデン・エンジェル騎士団
 この騎士団は実在するとしたら、残存する記録の上では最も古いキリスト教の騎士団である。この騎士団は312年にコンスタンティヌス帝が輝く空の中で天使が支える十字の幻影を見た後で創設したと言われている。この幻影の後で彼は旗に十字とギリシア文字のX,Tの字を入れ、その旗を軍の50人の士官と騎士に守らせた。

エティオピアの聖アントニウス騎士団
 伝説では騎士団は軍事と病院の両方の性格をもち、4世紀にエティオピアで創設されたと記録されている。メンバーは視覚障害者や運動機能障害者を看護し、保護する。そして周囲を囲む異教徒に対してキリスト教防衛の為に戦う。彼らは古代キリスト教の著述家が言及している名高きプレスター・ジョンが創設したと幾つかの史料が言及している。
 13世紀に欧州で同じ名前の騎士団が幾つか存在し、これらはコンスタンティノープルから移動してきたと信じられていた。

聖杯騎士団
 初期のフランスの著述家は王が戴冠する際に王に塗る油を入れてある聖杯を守護するために、5世紀の終わり頃にクローヴィスが作ったと言っている。この杯は奇跡が起こり鳩によって聖レミギウスにもたらされた。これに関する事件や出来事には伝説しかない。

白鳥騎士団
 この騎士団の歴史と同様に存在自体が大いに不確かである。幾つかの主張によると500年頃にフランダースで創設された。他の主張ではこの名前の修道会がここにあったことを疑っている。
 15世紀にこの名前の騎士団がブランデンブルクにあり、宗教改革で消滅したが、1843年にプロシア王フリードリヒ・ウィルヘルムによって再建された。

犬と料理人の騎士団
 この騎士団は500年頃に犬の紋章を持つモントモレンシー一族の祖先により創設された。料理人の騎士団はフィリップ一世の治世に作られ、二つの騎士団は合併した。しかし、確かなことはわかっていない。

円卓騎士団
 この太古の騎士団のよく知られた伝説は完全なものである事だけを言及すればよい。この騎士団の存在を証明するものはない。アーサー王は彼の王国を異教徒から守り、彼と共に円卓に座り、あらゆる権力を分かち合う24人の貴族と団結すると言った。

オーク騎士団
 722年頃にスペインでガルシア・シメネス率いるキリスト教徒軍がイスラーム教徒を攻撃した時に輝く十字架が到来し、その後に騎士団が十字架の到来を記念して創設された。

ストッキング(ラ・カルザ)騎士団
 この騎士団は何人かの著述家により737年頃に創設したと言われているが、1400年以降という者もいる。16世紀には幾人かの欧州の高位貴族がメンバーになり、本部はヴェネティアにあった。ここの騎士は片足に念入りに刺繍が施されたストッキングをはき、もう片足には無地のストッキングをはいた。

金の襟巻騎士団
 この修道会の起源と歴史については一時期ヴェネティアに存在していて記章が肩に掛けた擦り切れたスカーフであった以外は殆どわかっていない。

聖マルコ騎士団
 この騎士団がいつ創設されたかはわからない。九世紀にアレクサンドリアから聖マルコの遺物が持ち込まれ、騎士団はヴェネティアにあった。

ゲネト騎士団
 726年頃にカール・マルテルはサラセン人に対する一つの勝利の後で、この成功の記念として部下に栄誉を与え、騎士団の設立を宣言した。だが、あらゆる状況に鑑みると、これは大いに疑わしい。

フリースランド、或いは王冠騎士団
 フリースラント人は戦争でシャルルマーニュを大いに助け、武勇と献身ぶりを見せつけた。シャルルマーニュは802年にフリースラント人士官へ特別な顕彰を授け、皇帝の冠を記章にした騎士団へ彼らを加入させた。

シナイ山の聖カタリナ騎士団
 この騎士団は1063年に聖カタリナ聖堂とここを訪れる巡礼者を守護する為に創設された。

聖コスマスと聖ダミアノス騎士団
 聖コスマスと聖ダミアノスは病気の看護にその身を捧げた太古の聖人で、以後彼らを守護聖人として彼らの良き行いが受け入れられた。幾人かの著述家達が主張し、他の著述家達が否定しているが、この騎士団の団員は病気の巡礼者を看護し、彼らを守ることに身を捧げるべくエルサレムで極めて初期に任命されたとされている。

我らが淑女リリー騎士団
 ナバラ王ガルシア六世が1048年に危険な病から奇跡的に回復した記念にこの騎士団を創設した。彼自身が団長なり王国の貴族の一族がこの騎士団の騎士として加入した。

聖サウィニアヌス騎士団
 1118年にアラゴン王アルフォンソ九世がイスラーム教徒を追い出すとした彼の事業を支援する貴族達を騎士団で勇気づける為に、侵略者に対して戦う誓約をしたメンバーで創設した。
 騎士団は繁栄し、相当な広さの領土を手にしたが、1665年に弾圧された。

聖墳墓騎士修道会
 多くの古代の著述家によるとコンスタンティヌス帝の母、聖ヘレナが聖墳墓を発見してその上に教会を建設し、聖アウグスティヌスの修道院を創設しただけでなく聖墳墓と巡礼者を守る為に騎士修道会を創設した。幾つかのものはそれとは内容が異なり、最初のエルサレム司教たる聖ヤコブがこの騎士団を創設したとしている。他の記述は我々にゴトフロワ・ド・ブイヨンがその修道会を創設したとか、古の制度と会則を復活させただけとかと言い、他の記録ではその騎士団は存在していたが遙か以前に消滅したとする証拠を引用している。しかし、これら全て極端でありそうになく、証拠は作られたもので単なる伝説と見るべきだろう。1489年にローマ教皇イノケンティウス八世がフランスでの存在を話題に出して聖ヨハネ騎士修道会への併合を提案するまで、この修道会が注目されたことはない。1496年にローマ教皇アレクサンデル六世が総長に就任し、この時から名前だけの存在となり、教皇から授けられる名誉職となる。

聖ラザロ、或いは聖マウルス騎士修道会
 聖ラザロ騎士修道会は遙か昔しの古代からあると言われている。キリストが昇天した日の直後−−使徒時代にキリストの使徒をユダヤ人の迫害から守り、守護する為に創設されたと言われている!この伝説は厳粛に伝えることが厳しく求められた。
 聖バシリウスが370年頃にカエサレアでハンセン(癩)病患者やその他の病人の為に創設した病院で、聖ラザロに捧げられた初期の修道会にあたると言う主張がより確かなように見える。同病院はエルサレムでも開業しており、幾つかの史料では騎士修道会の創設が計画される前に最初の病院が病気の看護を始めていたと信じられている。
 パレスティナがキリスト教徒の手から失われるまで、総長は常にハンセン病患者だったと言われている。修道会は教皇や西欧諸候から承認を得て、女子修道院や病院、地所などをフランス、イタリア、その他の国に有した。
 1572年にグレゴリウス十三世がジェノバのカルヴァン派の攻撃からサボイを守る為に創設したサボイの聖マウルス修道会と合併させた。ここの修道騎士は一定の制限下で結婚することが許されていた。フランスのアンリ八世がカルメル修道会と合併させた。
 この修道会は体制を変えながら現在まで存続した。1818年に新たな会則が与えられ、1831年にフランスの名誉連隊に吸収される形で改編された。ここのメンバーには、イタリアにおける軍事や市民活動に応じて与えられ勲章や宿舎が異なる5つのクラスがある。

聖ブラシウス騎士団
 この騎士団は12世紀にアルメニアで創設された。

トーチ騎士団
 1149年にバルセロナの聖ラモン伯がイスラーム教徒からトルトサの町を奪い、その直後にこの場所が包囲された。住民は極度に減少し、男達は降伏の条件を考えていたこの時、女達はこの計画に反対するだけでなく、男物の服を着て兵士達に物質的な援助をすることでイスラーム教徒を撃ち破って退却に追い込んだ。
 これを記念して、ラモン伯は騎士団を創設してこの勇敢な女達を加入させ、彼らの祖先へこの栄誉を伝えることを許した。ラモン伯は、公共の場所ではどこでも女性が男性の上席に着くように命令を下した;彼女達はあらゆる税が免除され、彼女達が死んだ際に夫は彼女の衣服や宝石など全て身につけたまま埋葬すべきとした。

聖ヤコブの剣の騎士団
 1177年にポルトガル王アルフォンス一世によって創設された。

モント・ジョイ騎士団
 この騎士団の名前は騎士団の本部があったエルサレム近郊の山から取られている。スペインにも館があり、ここで騎士達はイスラーム勢力に対する戦争に参加した。
 この騎士団は最後にカラトラバ騎士修道会に吸収された。

聖ゲレオン騎士団
 聖ゲレオンは古代にケルンで三百人のキリスト教徒と共に殉教したと言われている。1228年に皇帝バルバロッサが聖ゲレオンの栄誉にあやかってこの騎士団を創設した。団員はドイツ生まれが条件とされた。

剣、或いはキリスト、或いは沈黙騎士団
 パレスティナがイスラーム教徒の手に落ちてキュプロスへエルサレム王リュジニャンのギー配下のキリスト教徒の大軍が退却した時にこの騎士団が創設され、トルコがキュプロス島を占領するまで存続した。

聖霊騎士団
 この騎士団はフランスのモンペリエで編成され、病気の看護や捨て子の扶養、旅行者の歓待を行っていた。後に1198年にローマの荘厳な病院を有する似たような騎士団と合併した。

刀剣騎士修道会
 1186年に献身的なドイツ貴族のマインハルトがリヴォニアで異教徒に対する宣教を始めた。彼はリガ司教区を作り、キリスト教の秩序の下で人々が彼に協力した。この騎士修道はドイツ騎士修道会と合併したが、再び分離して1561年に騎士修道会は総長ゴットハルト・ケットラーが解散して、クールラント公国が作られた。

我らが淑女ロザリー騎士団
 トレドの大司教ロデリックが1212年にイスラーム教徒の包囲に抵抗すべく創設した。

熊、或いは聖ガル騎士団
 シュバーベン公フリードリヒが1213年に皇帝に選ばれてスイスの聖ガルの大聖堂を訪れた際に、後援者に対する栄誉と報酬としてこの騎士団を創設し、帝国の権威を与えた。修道会の守護聖人はソレウレで殉教したテーバイ人軍団の一人、聖ウルウスと聖ガル大聖堂に祭られている聖ガルスである。騎士団はスイスが独立した時に解散した。

彼らが淑女マーシー騎士団
 アラゴン王ハイメ1世がフランスでモントフォート伯シモンに捕らわれて解放され、この苦難を忘れられず、イスラーム教徒の周りで永続的に惨めな奴隷として捕らわれているキリスト教徒を救う事を望み、苦しんだ。彼は1218年にバルセロナで騎士団を創設し、団員は施し物を集め、キリスト教徒の奴隷の買い戻しに自らの人生を費やした。最初の六年間に四百人が解放され、自分の国へ帰った。
 その後、騎士団の平信徒と牧師の団員の間で論争が起こり、前者が脱会してモンテサ騎士団に合流した。後者は三位一体修道会やマタイ修道会と合併した。
 この騎士団には女性の部局もある。

聖ドミニクス、或いはイエス・キリストの十字の騎士修道会
 聖ドミニクスがフランスやイタリアのアルビジョア派の広がりに対抗して1206年にこの修道会の土台を起こした。ここは女性による結社のようなものだった。

神母の騎士の騎士団
 ピチェンツァ司教バーソロミューが1233年に未亡人や孤児を保護し支援したり、家庭内の争いを治めるために創設した。

エニシダ騎士団
 フランスのルイ九世が1234年に王妃が戴冠した場所で創設した。

アッコンの聖ヨハネ騎士団
 この騎士団は巡礼者に施しをし、守護する為に創設された。パレスティナが失われた時にスペインへ移動し、テンプル騎士修道会に吸収された。

三日月騎士団
 ナポリ、およびシチリア王カルロがこの騎士団を創設したが、徐々に衰えた。1464年にアンジュー公ルネがテーベ人軍団の聖マウリチウスを守護聖人と与えた。団員は戦闘でめざましい働きを示せるなくてはならない兵士だった。

船と砲弾の騎士団
 フランス王ルイ九世がパレスティナへ十字軍へ行く途中にこの騎士団を創設した。拡大することも活躍することもなかった。

聖ゲオルグ騎士団
 ハプスブルク伯ルドルフが皇帝に選ばれた時にトルコの侵略から辺境を守る為に創設し、カリンティアのマイルステートのベネディクト大聖堂を与えた。団長は皇帝の後継者がなった。

聖ヤコブ騎士団
 1290年にホラント、ゼーラント、フリースラントの伯フロリスがハーグで彼の為に良き働きをした幾人かの貴族を表彰する為に創設した。

アルファマの聖ゲオルグ騎士団
 1201年にスペインで創設され、1399年にモンテサ騎士団に吸収された。

モンテサ騎士修道会
 テンプル騎士修道会解散後の1317年にテンプル騎士修道会の地位を占めるべくスペインでこの修道会は創設された。最も重要な支部はバレンシアのモンテサにあった。

梯子騎士団
 カスティリア王ジョアン二世が1316年頃にイスラーム教徒に対する防備の為に作ったが、いかなる重要な働きも成し遂げられなかった。

キリスト騎士修道会
 1319年にポルトガルで創設された。テンプル騎士修道会が鎮圧された時にポルトガル王ディニスは教皇の支配権を行使するとした布告を拒否してテンプル騎士修道会の財産と権利を継続させた。数年後に修道会の名前をキリスト騎士修道会に変えることで教皇は満足した。

イエス・キリスト騎士団
 1320年にアヴィニョンで教皇ヨハネ二十二世によって創設されたが、いかなる名声も得られなかった。

白鷲騎士団
 ウワディスワフが息子のカジミェシュとリトアニア大公ゲディミナスの娘アルドナの結婚に際して創設した。1702年にフリードリヒ・アウグストスが復活させた。1726年にロシア皇帝が記章を与えた。

ラ・バンダ、或いはスカーフ騎士団
 レオン・カスティリア王アルフォンス十一世が1332年に王自身と王国を守る為に創設した。騎士団への入団が認められた各々の騎士は教会で一晩中、寝ずに祈ることが求められる。団員は常に言葉と行動により王を守護する。武器や、武具、馬を王に奉仕する為に常に準備しておく。負傷の苦痛で叫ぶことは絶対にない。宮廷の女性に会ったら、必ず馬から下りて彼女への奉仕を申し出る。一人で食事をしてはならない。武器の使用を絶えず訓練する。必ず結婚か婚約する。王の望むいかなる活動でも行えるように準備を整えて、各月の最初の土曜日に王の前に武装して参内する。

大天使セラピム、或いはイエス騎士団
 この騎士団の創設日時については幾つかの不確かな情報しかないが、最も信頼できそうな情報によるとウプサラ攻城戦後の1334年に始まった。宗教改革の時に消滅したが、1748年にスウェーデンのフレデリク一世が再建した。

星騎士団
 フランス王ジャン二世がイギリスのガーター騎士団の真似をして創設したが、シャルル八世によって廃止された。

麦の穂、或いは白テン騎士団
 1351年にフランスのフランソワ一世によって作られた。

シチリアの星騎士団
 1351年にアンジュー家の公がアラゴン王によりナポリを追い出されて、騎士団がイスラーム勢力の代わりに立てられた。長くは続かなかった。

結び目騎士団
 1351年にナポリで作られ、短い期間存在していた。

受胎告知騎士団
 サヴォイア伯アメデーオが1392年に創設した。

アルゴナウティカ騎士団
 1382年にナポリ王カルロ世が貿易と航海を奨励する為に創設したが、彼が存命中の間だけ存続しただけだった。

愚者騎士団
 1380年にクレーブス伯アードルフによって創設された。その奇妙な名前に対する納得のいく解説はない。

スウェーデンのブリキアン騎士の騎士団
 1366年に創設された。団員はキリスト教を守り、王国を守護し、死を忘れ、未亡人や孤児を助け、看護を行うことを義務とした。

金の盾騎士団
 1370年にブルボン公ルイが創設した。

聖アントニウス騎士団
 1382年にババリア公にしてエノー伯、ホラント伯アルベルトがトルコに対する遠征を支援する為に創設した。

実在、或いは雌獅子騎士団
 ナポリ内戦のアンジュー公ラディスラーオとルネの治世の間、存在していた。

鳩、或いは聖霊騎士団
 1379年にカスティリア王ジョアン一世が創設したが、彼の死後、長くは残らなかった。

イエス・キリストの受難騎士団
 イギリスのリチャード二世とフランスのシャルル六世の間で和平がまとまり、聖地喪失後にパレスティナやレバントの他の全域でイスラーム教徒の傲慢や、裏切り、ギリシア人の嫉妬により最も悲惨な迫害を受けているキリスト教徒を守護し、救済する為に、この騎士団を創設して連合した。キュプロス島の法務官フィリップ・ド・メイサーは二人の君主をこの騎士団創設に駆り立てたものを以下のように説明している。「キリスト教徒支配の周りで始まった三っの致命的な罪、傲慢、どん欲、華美が原因で、神は信仰の敵たるイスラーム教徒の自由を許し、エルサレムと聖地を蹂躙させ、キリスト教王国の恥となり不名誉なこととなった。故にキリストの受難の記憶を新たにし、致命的な罪を根絶し、エルサレムと聖地の征服を目指し、信仰の敵を倒して狼狽させるべくこの騎士団を創設した。」
 騎士の人数は千名を超えた。僧衣は白だった。記章は金の縁取りをした赤い十字で、盾の中央に描かれた。

ブルゴーニュの聖ゲオルグ騎士団
 小さく、地域的な組織で、東方からもたらされたり、ルージェモント教会に埋もれていた殉教者聖ゲオルグの遺物を守るために1400年にミオラウスのフィルベルトによって創設された。
 記章は馬上の聖ゲオルグが竜を殺す図で、ガーター騎士団より小さかった。

やまあらし騎士団
 フランスのシャルル五世の次男ルイが息子のシャルルが誕生した際に創設した。騎士団の目的は彼のライバルであるブルゴーニュ公ジャンに対する復習を達成することで意味はない。これは記章の中のやまあらしと、モットウの中の「近くから、遠くから」と言う言葉に暗示されている。ここには二十五名の騎士がいた。団員は加入が許されるとやまあらしの絵が刻まれたカメオの指輪を受ける。それ故に時にはカメオ騎士団と呼ばれることもある。

竜打倒騎士団
 ドイツ皇帝ジギスムントがコンスタンツ公会議でヤン・フスとプラハのヒエロニュムスの断罪を行った業績を不滅とすべく1418年に創設された。

ラ・ヤラ、或いはリリー騎士団
 アラゴン王フェルディナントが1403年にイスラーム教徒に対する大勝利の際に創設した。
 聖母マリアの鏡ガラス騎士団とも呼ばれている。

金羊毛騎士団
 ブルゴーニュ公、フィリップ善良公が1429年にポルトガル王ジョアンの娘イザベルと結婚した時に創設した。名前は低地地方で大きな利益と収入をもたらす羊毛貿易にちなんで付けられた。1516年にシャルル五世が騎士団のメンバーを24人から50人に増やした。もっとうは「我らの働きに報償に値しなしものはない」である。
 羊毛の解説は異なる著述家により数多くあるが上記で述べたところに近い。金羊毛は以下を指して言う;ヤコブの多色羊の羊毛と、イアソンがコルキスから取ってきた金羊毛である。
 他の記述によると1430年にはフランスのどこもかしこも素晴らしい豊作で、これを記念して騎士団が創設されたとしている。そしてイアソン(Jason)という語と7月、8月、9月、10月、11月の頭文字(July,August,September,October,November)が同じところからフィリップが金羊毛を思いついてこの印を採用したとある。
 シャルル五世の死後、この騎士団の国籍についてオーストリアとスペインの間で論叢が起きた。そこで、両国に導入された。

聖ヒュー騎士団
 1447年の聖ヒューの日にユーリアー公ジェラールがエグモントのアーノルドに勝利した記念に創設した。
 消滅後、1709年にラインのプファルツ選定公ヨハン・ウィリアムによって再建された。モットウは「確固たる信仰」である。

塔剣騎士団
 1459年にポルトガル王アルフォンソ五世が創設した。

白テン騎士団
 1463年にナポリ王フェルディナントが彼の命と王位を狙う義兄弟の計画を察知した事を機に創設された。王は関大にも義兄弟を許しただけでなく、義兄弟をこの騎士団の最初の騎士にした。モットウは「私は不名誉より死を選ぶ」。

聖ミカエル騎士団
 大天使聖ミカエルはフランスでは国の守護神として常に大きな崇拝を集めていた。王は聖ミカエルの日、9月29日に宮廷を開放し続けてきた。
 騎士団は1469年にルイ十一世により創設された。最初の騎士団員は三十六人だったが、徐々に増加して三百人になった。多くの団員は身分が低い者だったが、ルイ十四世が貴族の血筋にない者が記章を付けることを禁止した。
 ノルマンディの聖ミカエル山に騎士団の最初の本部があった。モットウは「限りなく恐ろしい大洋」である。

ジェノヴァの聖ゲオルグ騎士団
 1472年にドイツ皇帝フリードリヒ3世により創設された。ドージェが団長だった。

象騎士団
 1478年にデンマーク王クリスティアン一世が息子ハンスと、サクソン公エルンストの娘クリスチアナの結婚を機に創設した。なぜ象がシンボルに選ばれたかは公になっていない。イギリス王ヘンリー八世はこの騎士団員である。現在、この騎士団は金羊毛騎士団やガーター騎士団と同様に高い尊敬を集めている。

ローマの聖ゲオルグ騎士団
 地中海やアドリア海で沿岸都市や貿易に重大な損害を与え非常に困難な窮状に追い込んだ海賊を討伐する為に、1498年に教皇アレクサンドル六世、一説によるとパウロ三世によって創設された。


F.C.Woodhouse著 Military Religious Orders of the Middle Ages SOCIETY FOR PROMOTING CHRISTIAN KNOWLEDGE 1879年」317から337頁より
人名の表記については「ドナルド・アットウォーター/キャサリン・レイチェル・ジョン著 山岡健訳 聖人辞典 三交社 1998年」参照

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