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第九代総長ボッホ・フォン・オステルナ小伝
(1252から1256年)



紋章
「Hans-Georg Boehm Hochmeisterwappen des Deutschen Ordens 1198-1618 FRANKONIA 1990」31頁より

ボッホ・フォン・オステルナはニュルンベルク近郊のシュナイタハタールの自由貴族オステルナ家の出身である。1228年1月、入団と同時にニュルンベルク・コムトゥールに就任している。裕福な家系の出であったので入団と同時に役職に就くことができたのだろう。1239年にはプロイセンで何らかの役職に就いている。おそらくプロイセン長官付きの副官か何かだろう。
 1241年にドイツ騎士修道会はローマ教皇庁の要請に基づき対モンゴル十字軍に部隊を派遣することになり、プロイセン長官の代理としてボッホが派遣されることになった。ボッホは2月21日にトルンでローマ教皇庁から派遣された使節と対モンゴル対策を話し合った。そして、4月5日に対モンゴル十字軍はリーグニッツの戦いで壊滅した。ボッホもそこで戦死し、4月9日にブレスラウに埋葬されたという伝承もあるが、実際は負傷してブレスラウで治療を受けていた。
 1242年にチュード湖の戦いで修道会軍が大規模な損害を被ると、それが間接的な引き金になり、プロイセンで大規模な反乱が発生した。そして、1244年にはプロイセンにおいてもレンゼンの戦いで修道会軍は壊滅的な損害を被るった。ボッホは修道会内では軍事の専門家として知られていたらしく、プロイセンの反乱鎮圧を期待され、プロイセン長官に就任推された。ボッホ就任に伴い戦局は逆転し、1246年の一連の戦い、シュヴィツポンメルエレンで勝利を収め、1247年には反乱の首謀者たるポンメルエレン公スヴァントポルクを和平交渉に席に着かせることに成功した。ボッホは和平交渉を教皇庁の使節に任せると、プロイセン長官を辞任し、ドイツの修道会領へ派遣される。どういういきさつで辞任したのかは分からない。ドイツ帝国内の修道会領でどのような役職に就き何をしていたのかもほとんど分かっていない。和平交渉は1249年にプロイセン人の権利を保障する内容を含む、修道会側としては都合の悪い「クリストブルク条約」という形で実現したが、同年の内に条約は破棄されて再び戦いが勃発している。
 1252年5月4日に前代のグンター・フォン・シュワルツベルクの死去に伴い総長に選出された。この選出過程も、どこで就任したのかも分かっていない。1253年6月6日に修道会本部があるアッコン近郊のモンフォール城にいた。前任の引継と、中東地域のことを五大長官へ委任するために短期間滞在しただけである。ボッホの関心はプロイセンに集中していたので、中東のことは二義的なことと捉えていたようだ。
 ボッホはプロイセンの支配体制の確立と領土の拡大を狙い、就任早々の1252年にはメーメル地方の取得に成功したが、直ぐにはプロイセンに行くことは出来なかった。1253年の間はバライ・コブレンツ、ベーメンの整備に専念し、プロイセン長官ディートリッヒ・フォン・グルニンゲンにプロイセンでの交渉を任せていた。1253年にはポンメルエレン公スヴァントポルクを屈服させて和平を樹立したが、リガ大司教との交渉が不調に終わり、ザムラントへの介入も不調に終わった。そこで、ボッホはプロイセンの反乱や周辺で起こっている、マソヴィエン公ジーモヴィツなどのポーランド諸候と、ガリーチ公ダニエルなどのロシア諸候、リトアニア大公ミンダウガウスなどの戦いを利用して領土拡大を謀る。修道会はポーランド諸候と友好関係を保ちながら、リトアニア大公ミンダウガウスからも領土の寄進を受け、ローマ教皇庁の進める和平交渉にも積極的に介入した。
 1254年にボッポはベーメン王オタカル2世率いる十字軍と供にプロイセン入りし、ザムラント征服を押し進めた。この時来訪した十字軍は6万人と伝えられているが、実際は数千人程度だったと考えられる。それでもザムラントの住民から見れば大変な大軍で、ザムラントはほとんど戦わずして修道会の支配を受け入れた。1255年にベーメン王の協力でケーニヒスベルクを建設することでザムラントの支配体制の土台を作ることで征服を完了した。
 プロイセン征服が一段落した1256年にボッホはローマに行き、総長を辞任した。どうもこの辞任は半端強制されたものだったようだ。ボッホは次の職を求めたが、数年の間、他の職に就くことはできず、平団員として過ごしている。1264年にようやくレーゲンスブルクのコムトゥールに就任でき、1267年11月6日にここで死去して、埋葬された。



ボッホの時代のドイツ騎士修道会のバルト海地域の所領

注.参考文献

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