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ドブリン騎士修道会の史料 (Bruder von Dobrin)
ドブリン騎士修道会は1225から8年に創設され、プロイセン南部のドブリンに本拠を置いてプロイセン人改宗事業を進めていたが、1228年にシュトラスブルクの戦いで大敗し、1235年にドイツ騎士修道会に併合された。


ドスブルクのプロシア年代記 2.C4
 公は、かの地が気の毒なまでに苦しみ、公がかの地を守護できない状況を見たが故に、ブラザー・クリスティアン、プロシア司教、何人かの高貴なる者の助言に基づき、当時リヴラントにあったのと同じような赤い剣と星の付いた白マントを纏う自称キリストの騎士修道会の保護下にかの地を置き、多くの異教徒の地がキリスト教の強い信仰に支配された。そして司教は卑しからぬ身分のブルノという名の者と、他14名の者にこの修道会の僧服を纏わせた。更に公は兄弟達にドブリンという名の城を建設し、後に彼らはドブリンの修道会と名乗るようになる。公はスツァドロヴィスと呼ばれるクヤワインの地のアロットかエイゲンクートも彼らに与えた。公と兄弟達は主の助けにより不信心の地を征服して全てを同じように分け合うことで意見の一致を見た。プロシア人はそれを聞き知り激怒した。多くの武装した部隊と共にプロシア人はドブリン城を何度も攻撃し、兄弟達の中に城の防御施設の外に勇気を持って出る者が誰もいなくなる程に敵視した。結局、最後には、4,5人のプロイセン人が大胆にも城の近くで略奪を行う程になった。

 注.
 「Petri de Dusburg著 Klaus Scholz/Dieter Wojtecki訳 Chronicon Terrae Prussiae Darmstadt 1984年」59から61頁のドイツ語訳より。


ドブリン騎士修道会の名簿(Bruder der Bru:der von Dobrin)

  1. ブルノ(Bruno)ドブリン騎士修道会総長(Hochmeister)
  2. コンラット(Konrad)
  3. ヨハネス(Johannes)
  4. アンドレアス(Andreas)
  5. ゴス(Goz)
  6. ヴェーアンヘア(Wernher)
  7. アルブラント(Albrand) 

注.
 「Friedrich Benninghoven著 Der Orden Der Schwertbruder BOHLAU VERLAG KOLN GRAZ 1965年」466から468頁より。   
 全員、メクレンブルク出身と考えられている。メクレンブルクは現在のドイツ北東部のバルト海沿岸地帯にあたる。
 この名簿はプロシア文書集(Preussisches Urkundenbuch Marburg)No.1.1.73,74を根拠としている。
 Friedrich Benninghoven は、他にメクレンブルク文書集(Mecklenburgisches Urkundenbuch  Schwerin)No1.511を根拠に9名の名前を挙げている。メクレンブルク文書集No.511の解説によるとこの文章はドブリン騎士修道会への寄進文章となっているが、作成された年がドブリン騎士修道会消滅後の1240年であり、寄進先も聖母マリア修道会とある。故にNo.511文章はドブリン騎士修道会ではなく、ドイツ騎士修道会への寄進文章と考えられるので、この文章に現れる9名は除外した。

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