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ドイツ騎士修道会年表

注.1
太字は総長の就任
注.2
斜体は中東での出来事(例えば、アッコン陥落とか)。

年表

1127年 とあるドイツ人夫妻がドイツ人巡礼の為にエルサレムにドイツ館と呼ばれる病院を開く
1143年 ローマ教皇ケレスチヌス二世がドイツ館をヨハネ騎士団の下部組織であると確認する文書を発する。
1189年 ドイツ皇帝フリードリヒ1世、フランス国王フィリップ2世、イギリス国王リチャード1世が十字軍に出発する。
アッコン包囲戦開始。
1190年 アッコン近郊でリューベックとブレーメンの市民が作った野戦病院をシュバーベン公とエルサレム王が病院として承認する。
1191年 アッコンを占領、病院の本部をアッコン城内に移す。
1192年 リチャード1世とサラディンの間に停戦協定が結ばれ第3次十字軍が終わる。
1198年 病院から騎士修道会へ昇格し初代総長にハインリッヒ・ワルポット・フォン・バッセンハイムが就任する
1199年 ローマ教皇インノケンティウス3世から正式に承認される。
1200年 第2第総長にオットー・フォン・ケルペンが就任する。
1202年 刀剣騎士団が創設される。
1209年 第3第総長にハインリヒ・バルトが就任する。
第4第総長にヘルマン・フォン・ザルツァが就任する。
1211年 ハンガリー王アンドラーシュ二世からハンガリーへの進駐要請が来る 。
1218年 教皇使節ペラギウス率いる第5次十字軍に総長自ら率いてドイツ騎士団も参加する
1219年 第5次十字軍がナイル河口の都市、ダミエッタを占領する。
1220年 総長はフリードリヒ2世の戴冠式に出席する。
ローマ教皇ホノリウス3世からハンガリーのブルツェンランドに関する特許状を受ける。
1221年 マンスーラの戦いに敗退した十字軍と共に降伏し、総長も捕虜となるが、同年内に釈放される。
1225年 ハンガリーから追放される。
1226年 マソヴィエン公コンラートからプロイセンへの進駐要請が来る。
この件に関し、ドイツ皇帝フリードリヒ二世から特許状(リーミニ金印勅書)を受ける。
刀剣騎士団がドイツ皇帝フリードリヒ2世からリブラントを授与される。
1228年 本部としてアッコンの近くにモンフォール城を建設する。
フリードリヒ2世の十字軍開始。

マソヴィエン公コンラートからクルム地方の正式な贈与状を受ける。
ドブリン騎士団がマソヴィエン公コンラートからドブリン城塞を贈られ、本格的な活動を開始する。
シュトラスブルクの戦いで、ドブリン騎士団とマソヴィエン公コンラートの連合軍がプロイセン人に敗れる。
1229年 フリードリヒ2世は戦わずしてエジプトのスルタンと、エルサレム返還を含む有利な条約、「ヤッファ条約」を結び、フリードリヒ2世はエルサレムでエルサレム王として即位する。ドイツ騎士団は十字軍諸侯の反対の中、フリードリヒ2世を支持する。
1230年 その他の十字軍士と供にプロイセンへ進駐する。
1233年 マイセン辺境伯ハインリッヒの十字軍がプロイセンに来訪する。
1234年 ローマ教皇グレゴリウス九世からプロイセンにおける特許状(リエティ勅書)を受ける。
1235年 ドブリン騎士団を併合する。
1236年 マイセン辺境伯ハインリッヒの十字軍がプロイセンに来訪する。
ザウレの戦いで刀剣騎士団がリトアニア軍に大敗する。
1237年 刀剣騎士団を併合し、リヴラントを手に入れる。
1239年 第5第総長にコンラート・フォン・チューリンゲンが就任する。
1240年 ブラウンシュバイク公オットーの十字軍がプロイセンに来訪する。
第6第総長にゲルハルト・フォン・マールベルクが就任する。
1241年 モンゴル軍がポーランドへ進攻し、それに対したドイツ騎士団含む西側連合軍がリーグニッツの戦いで敗退する。
ロシア侵攻を開始し、プスコフを占領する。
1242年 プスコフをアレクサンドル公ネフスキーに奪還される。
ペイプス湖の戦いで、アレクサンドル公ネフスキーに大敗する。
ポメラニアの支配者スヴァントポルクが反乱を起こし、プロイセン人がこれに呼応して蜂起、第1次反乱が始まる。
1244年 第7第総長にハインリッヒ・フォン・ホーヘンローエが就任する。
1245年 オーストリア公、リヒテンシュタイン、カジミェシュ公の十字軍がポメラニアに攻め込み、スヴァントポルクを敗る。
1246年 リューベック市民の十字軍がザムラントに来訪する。
デンマーク領リヴラントをデンマークから譲られる。
1248年 フランス王ルイ9世率いる第7次十字軍が出発する。
1249年 プロイセン人とドイツ騎士団はクリストブルク条約を結び講和し、第1次反乱が終結する。
第8第総長にグンター・フォン・シュワルツベルクが就任する。
第7次十字軍がエジプトに上陸し、ダミエッタを占領する。
1250年 第7次十字軍がマンスーラの戦いで敗退して降伏し、第7次十字軍が終わる。
1252年 第9第総長にボッホ・フォン・オステルナが就任する。
ブランデンブルク辺境伯の十字軍がプロイセンに来訪する。
1253年 ポメラニアの支配者スヴァントポルクと和平条約を締結し、反乱は終結する。
プロイセン全域の支配を確立。
1255年 ベーメン王オタカル2世の支援でケーニヒスベルクを建設する。
1256年 第10第総長にアンノ・フォン・ザンガースハウゼンが就任する。
1260年 ドゥルベの戦いで、リトアニア軍に敗北。
プロイセン人が蜂起し、第二次反乱が始まる。
ドイツ騎士団はこれに呼応してクリストブルク条約の失効を宣言する。
1264年 リトアニア軍がザムラントへ侵攻。
ブラウンシュバイク公アルベルトの十字軍がプロイセンに来訪する。
1267年 ベーメン王オタカル2世の十字軍がプロイセンに来訪する。
1271年 モンフォール城が陥落し、本部をアッコンに移す。
1272年 マイセン辺境伯ディートリヒの十字軍がプロイセンに来訪する。
1273年 第11第総長にハルトマン・フォン・ヘルドルンゲンが就任する。
1274年 プロイセン人を一時鎮圧するが、直ぐに大規模な反乱が起こる。
1276年 マリエンブルクを建設する。
1277年 リトアニア・プロイセン連合軍がクルマーラントへ侵攻。
1283年 リトアニア軍がザムラントへ侵攻。
プロイセン人を鎮圧し、プロイセン全土を平定。
第12第総長にブルヒャルド・フォン・シュヴァンデンが就任する。
1290年 総長がヨハネ騎士団との合併を企てて失敗し、総長はヨハネ騎士団に鞍替えする。
1291年 第13第総長にコンラート・フォン・フォイヒトヴァンゲンが就任する。
アッコンが陥落し、中東最後の十字軍国家が滅亡したので、本部をヴェネチアに移す。
1297年 第14第総長にゴットフリード・フォン・ホーヘンローエが就任する。
1295年 リガ市で内戦が勃発する。
1299年 リガ市がリトアニアと組み、リガのドイツ騎士団の司令部を破壊する。
1303年 第15第総長にジークフリート・フォン・フォイヒトヴァンゲンが就任する。
1304年 ハンブルク伯ヴェルナー他の十字軍がプロイセンに来訪する。
1307年 スポンハイム伯ヨハネス他の十字軍がプロイセンに来訪する。
1308年 ポーランドとブランデンベルク辺境伯との戦いにポーランド側として参加し、東ポメラニアを占領するが、この地が原因でポーランドとの関係が悪化する。
1309年 本部をヴェネチアからマリエンブルクへ移す。
1311年 第16第総長にカール・フォン・トリアーが就任する。
1316年 雑多な小貴族達の十字軍がプロイセンに来訪する。
1317年 ミヒェラウ地方を購入する。
1322年 リトアニアにドルパットを破壊される。
1323年 中央ドイツの人々による十字軍がプロイセンに来訪する。
リトアニアにメーメルを奪われる。
1324年 第17第総長にヴェルナー・フォン・オルセルンが就任する。
中央ドイツの人々による十字軍がプロイセンに来訪する。
1327年 ポーランドとの国境紛争が繰り返される。
1329年 リトアニア軍にリガを奪われる。
ボヘミア王ヨハンの十字軍が来援し、リガを取り戻す。
1330年 ポーランドと休戦する。
1331年 第18第総長にルター・フォン・ブラウンシュヴァイクが就任する。
1335年 ヴェール伯とアルンスベルクの対プスコフ十字軍に来訪。
第19第総長にディートリッヒ・フォン・アルテンブルクが就任する。
1342年 第20第総長にルードルフ・ケーニヒ・フォン・ヴァイツァウが就任する。
1343年 ポーランドと講和が成立し、ポーランドは東ポンメルン放棄を決定する。
1345年 リトアニアがザムランとリブラントを攻撃
ボヘミア王ヨハンとハンガリー王ルイの十字軍が来訪。
第21第総長にハインリッヒ・デューゼマー・フォン・アルフベルクが就任する。
1346年 デンマークよりエストランドを購入する。
1348年 フランスとイギリスの十字軍がリトアニアに対してストラヴェンで勝利。
1352年 第22第総長にヴィンリッヒ・フォン・クニップローデが就任する。
1360年 デンマーク王がゴトランド島のハンザ都市ヴィスビを占領し、第1次デンマーク戦争が起こり、ドイツ騎士団はハンザを支持する。
1362年 リューベックを中心としたハンザ艦隊がデンマーク艦隊に破れる。
1368年 ハンザ艦隊がデンマークの首都コペンハーゲンを襲撃し、デンマーク王が和を乞う。
1370年 デンマークとハンザ同盟との間に和平条約が締結され、第1次デンマーク戦争が終わる。
ルダウの戦いでリトアニアを敗る。
1377年 オーストリア大公アルブレヒト3世の十字軍が来訪する。
1380年 前リトアニア大公の息子ヤギェウォと同盟する。
1381年 マルク伯の対ロシア十字軍が来訪。
1382年 ヤギェウォがリトアニア大公になる。
第23第総長にコンラート・ツェルナー・フォン・ローテンシュタインが就任する。
ヴィツナ地方を購入する。
1384年 ツァウジュ地方を購入する。
1385年 ポーランド・リトアニア連合成立
1386年 リトアニアがキリスト教へ改宗する。
1391年 後の英王ヘンリー四世、ヘンリー・ボバリングの十字軍が来訪。
第24第総長にコンラート・フォン・ヴァレンロードが就任する。
1393年 第25第総長にコンラート・フォン・ユンギンゲンが就任する。
1398年 ザリンヴェルダーの和約により、リトアニアと休戦する。
1399年 ドイツ騎士団・リトアニア連合軍がヴォルスクラ河の戦いでキプチャク汗国に敗退する。
海賊同盟ヴィタリエン兄弟団をデンマーク領のゴトランド島から駆逐し、ゴトランドを占領する。
ドブリン地方を購入する。
1402年 ノイマルク地方をドイツ皇帝ジギスムントから差し押さえるが、ポーランドがこれに抗議する。
1404年 ローマ教皇がリトアニアに対する戦闘の禁止を宣言する。
サマイテン地方を購入する。
ポーランドとラキアンツの和約を結び、ポーランドはノイマルク地方に対する要求を撤回する。
1407年 第26第総長にウルリッヒ・フォン・ユンギンゲンが就任する。
ゴトランド島をデンマークに返還する。
1409年 サモギティア人の反乱。
ドイツ皇帝ジギスムントと同盟を結ぶ。
ポーランドに宣戦布告。
1410年 ドイツ皇帝ジギスムントがポーランドに宣戦布告。
タンネンベルクの戦いで、ポーランド・リトアニア連合軍に敗退する。
第27第総長にハインリッヒ・フォン・プラウエンが就任する。
マリエンブルク城が包囲されるが、ポーランド・リトアニア連合軍は城を落とせず撤退する。
1411年 トルン条約で、領土を戦前の状態に戻すと言う条件で休戦が結ばれる。
1414年 総長が他幹部のクーデターにより罷免され、エルビングの代官に左遷される。
第28第総長にミヒャエル・キュヒマイスター・フォン・シュテルンベルクが就任する。
ポーランド軍がプロイセンへ侵攻し、飢餓戦争と呼ばれる戦いが起こる。
1422年 第29第総長にパウル・フォン・ルスドルフが就任する。
ポーランド・リトアニア連合軍がプロイセンへ侵攻し、メルノゼーの講和でリトアニアがサマイテン地方を取得する。
1426年 対フス派十字軍に参加する。
ハンザ同盟とデンマークとの間に第2次デンマーク戦争が勃発したが、ドイツ騎士団及びプロイセン諸都市は参加せず。
1431年 リトアニアとポーランドが対立し、リトアニアとドイツ騎士団が同盟を結びポーランドと戦う。
1433年 フス派のタボール派がプロイセンに侵攻する。
1435年 ヴィウコミエシュの戦いで大敗し、ブレストでポーランドと講和条約を結ぶ。
第2次デンマーク戦争終結。
1440年 プロイセンの諸都市が騎士団に反発し、プロイセン同盟を締結する。
1441年 第30第総長にコンラート・フォン・エルリックスハウゼンが就任する。
1450年 第31第総長にルードヴィッヒ・フォン・エルリックスハウゼンが就任する。
1454年 プロイセン内のシュテンデ(都市民や団員以外の騎士を中心とした身分制議会)がポーランドの支援で蜂起し、13年戦争勃発。
1462年 プックの戦いでシュテンデに敗れる。
1464年 エルビング海戦でシュテンデに敗れる。
1466年 第2次トルン条約により、首都マリエンブルクや、東ポメラニアをポーランドへ割譲し、総長はポーランドの封建家臣になることで、13年戦争終結する。
本部をマリエンブルクからケーニヒスベルクへ移す。
1469年 第32第総長にハインリッヒ・ロイス・フォン・プラウエンが就任する。
1470年 第33第総長にハインリッヒ・レフレ・フォン・リヒテンベルクが就任する。
1477年 第34第総長にマルチン・トルホゼス・フォン・ヴェッツハウゼンが就任する。
1482年 リガ市との戦争が始まる。
1489年 第35第総長にヨーハン・フォン・ティーフェンが就任する。
1491年 リガ市との戦争が終わる。
1497年 ポーランド王の対トルコ十字軍に参加する。
1498年 第36第総長にヘルツォーク・フリードリヒ・レフレ・フォン・ザクセンが就任する。
1511年 第37第総長にヘルツォーク・アルプレヒト・フォン・ブランデンブルクが就任する。
1515年 ドイツ皇帝マクシミリアンがプレスブルク=ウィーン条約でポーランドと同盟する。
1517年 ロシア大公ワシーリと対ポーランド同盟を結ぶ。
1520年 ポーランドと開戦するが、プロイセンの諸都市はポーランド側に付き、騎士団は敗北する。
1521年 ドイツ皇帝カール5世の斡旋によりトルンでポーランドとの休戦条約が結ばれる。
1523年 総長がルター派(新教)に改宗する。
1525年 ポーランドを君主として認め、プロイセン公国が成立し、ドイツ騎士団領プロイセンは消滅する。


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