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レポート2

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目次
 1.ドイツ騎士修道会の女性達


1.ドイツ騎士修道会の女性
 ドイツ騎士修道会にとっては重要な女性がお二人いる。このお二方がいなければドイツ騎士修道会は存立しえなかったであろう、というのは言い過ぎだろうが、そういいたくなるほどに重要な人物である。お一人は修道会創設以来の守護聖人たる聖母マリア様である。マリア様はドイツ騎士修道会だけでなく、他の修道会でも守護聖人として採用されている。例えば、エルサレムには「エルサレムの聖母マリア病院」と言う名の修道会が存在している。
 もう一方はドイツ騎士修道会の前身となったと言われている「エルサレムのドイツ人の聖マリア病院」を創設したとあるドイツ人夫妻の一方たる、老婦人である。このドイツ人夫妻はドイツ語以外、分からないドイツ人巡礼者の為に病院を創設したと言われている。夫妻はおそらく世俗貴族である。夫妻には多数の協力者がいたようで、この病院で働く者達は修道士として聖アウグスチヌス修道会の会則を守り、白衣に黒い十字の僧衣を纏っていたと言われている。ドイツ騎士修道会はこの病院を自身の前身とは認めておらず、現在に至るも正式な歴史の中にこの病院を組み込んでいない。なぜなら、この病院は聖ヨハネ騎士修道会に帰属しており、自らの出自が自立していたものだとしたいドイツ騎士修道会としてはこの病院が前身だと言う事になると非常に都合が悪い、というところである。
 守護聖人が女性で、創設者にも女性がいるのに、ドイツ騎士修道会での女性の扱いは悪い。会則の31章によると、女性は勇気を失わせる有害な要素として位置づけられ、原則として女性を修道会に受け入れる事が禁止されている。28章においても旅先などで女性と接触する事をできる限り避けるように指示するような文言がある。修道士である以上、当然他の修道会と同様に結婚は禁止されている。基本的に修道会は女性との接点を断っていたと言える。
 他の修道会、特に病院を持つ修道会などでは下部組織として女子修道会を持つ場合が多い。例えば、聖ヨハネ騎士修道会では初期から病院業務の補佐としてシスターを受け入れてきたが、12世紀に入り女子修道会を創設している。ドイツ騎士修道会でも会則の31章によると病院業務の補佐としてシスターを受け入れる事が認められている。シスターの受け入れはコムトゥールの許可だけでよく、シスターは他の男性会士とは別の宿舎で暮らすこととなっていた。おそらく、当初は女性患者の看護が主要な任務だったろうが、その後は召使いとして或いは会士の内縁の妻のカムフラージュとして利用されたであろうことが想像できる。但し、人数は極めて少なく、14世紀の段階でドイツ騎士修道会に所属していたシスターは1割に満たず、ヨーロッパ中の修道会所領に分散していたために、女子修道会の創設には至ってない。各所領で個別に必要に応じて数人単位で受け入れていたに過ぎなかったようだ。
 32章によると結婚している者を受け入れる事も認められている。この場合、妻も会に受け入れられる。しかし、このような人々は他の会士との接触は制限される。おそらく、シスターと似たような扱いを受けたのだろう。
 ドイツ騎士修道会は女性をネガティブに捉えて余り積極的に受け入れようとはしなかったようだ。これも当時のキリスト教の価値観に照らして妥当な対応と言ったところだろう。この辺りは当会の女公様の言うような性に対する恐れ、とか言うようなこともあったかもしれない。特に若い頃から修道会に入り、女性と縁遠い生活を長く続けて性を悪しきものと教えられてきた者などに、性に対する恐怖があったであろうことは想像に難くない。かくゆう私も、幼い頃より修道士と似たような生活をして教育を受けていたせいか、老年に入った今に至るも性に対する大きな恐怖がある事は否めない。

参考文献
阿部謹也著 ドイツ中世後期の世界 未来社 1974年」36、37、47頁
山田作男著 プロイセン史研究論集 近代文藝社 1994年」150、151頁
「Alan Forey Military Orders and Crusades VARIORUM 1994」第4章
「Jurgen Sarnowsky Medicants,Military Orders,and Regionalism in Medieval Europe ASHGATE 1999」130頁
http://orb.rhodes.edu/encyclop/religion/monastic/tk_rule.html 「ドイツ騎士修道会の会則(現在閉鎖中)」

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