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地図で見るスパルタ史

目次
 第一次メッセニア戦争 前740から715年頃
 第二次メッセニア戦争 前660年代前半から650年代後半
 アルカディア戦争からスパルタの覇権確立迄 前600年から490年頃
 対僭主戦争 前550年頃から前6世紀後半
 ペルシア戦争 前500年頃から前478年

第一次メッセニア戦争 前740から715年頃

スパルタは隣国のメッセニアへ侵攻し、アンペイア市を占領した。
アンペイア市を橋頭堡としてメッセニア北部を転戦し、
最後はメッセニア軍をイトメ山要塞に追い詰め、
ここを陥落し、メッセニア北部の征服を完了した。

第二次メッセニア戦争 前660年代前半から650年代後半

スパルタはアルゴスへ侵攻し、ヒュシアイの戦いに敗れる。
この敗北が原因で、メッセニアがスパルタに対し反旗を翻す。
アルゴスの支配者フェイドンはメッセニアの反乱を支援し、
第二次メッセニア戦争が勃発する。
スパルタがメッセニアに釘付けになっている隙に、
アルゴスはアルカディア諸国と同盟してエリスを降してオリュンピアを征服し、
アイギナ島の戦いでアテナイを撃ち破ってサロニカ湾を支配し、
アルゴス湾を南下してアルゴスからキュテラ島に至る範囲を支配下に収める。
コリントスの内紛に乗じてコリントス征服を目指したが失敗し、
フェイドンが死去してアルゴスの勢いは止まる。
アルゴスがペロポネソス半島全域に支配を拡張している頃、
スパルタはメッセニア北部の反乱を鎮圧し、余勢を駆ってメッセニア南部をも征服し、
メッセニア全域の占領に成功する。

アルカディア戦争からスパルタの覇権確立迄 前600年から490年頃

メッセニア征服後、スパルタはアルカディア地方の征服に乗り出す。
オルコメノスやテゲアに幾度かの敗戦を喫しながらも、
最終的にはアルカディア地方全域の支配に成功する。
エリスも前六世紀初頭頃にはピサを降して、オリュンピアの支配を取り戻した。
スパルタはアルカディア地方征服後、
アルゴス湾南部のアルゴス領へ侵攻し、キュテラ島に至る範囲を占領し、
アルゴスへも侵攻し、ヒュシアイでアルゴス軍を撃ち破る。
それから五〇年後に再びアルゴスへ侵攻し、アルゴスに傀儡政権を樹立する。
アルゴス征服後、メッセニアで反乱が起こり、反乱軍はヘイラ山要塞に立て籠もったが、
直ぐに鎮圧された。

対僭主戦争 前550年頃から前6世紀後半


スパルタは前6世紀に各地で台頭してきた僭主(独裁者)を攻撃し、廃位に追い込み、その都市に親スパルタ派の有力者による寡頭制を布くように強いている。
攻撃目標の多くは島国で、この時期スパルタ海軍がエーゲ海で優位を保っていた様子がうかがえる。

ペルシア戦争 前500年頃から前478年


イオニアで反ペルシアの反乱が勃発し、アテナイは反乱を支援したが、イオニア反乱は直ぐに鎮圧された。
ペルシアは反乱を支援したギリシア本土を攻撃すべく、エーゲ海をおし渡ってアッティカの心臓部を直撃すべくマラトンに上陸したが、アテナイ軍に撃ち破られた。再度アテナイ攻撃を行うべく、アテナイ近郊に上陸を試みたがこれも失敗し、第一回目の遠征は失敗に終わる。
約10年後、今度は陸海に軍を分け、エーゲ海岸沿いを遠征路として選び、遠征路上に十分な物資の集積所を幾つか築き大軍でギリシアへ侵攻した。
スパルタ・アテナイを中心とするギリシア連合軍は陸ではテルモピュライで、海ではアルテミシオンでペルシア軍を迎え撃ったが、両戦域で退却を余儀なくされ、アテナイはアテナイ市の放棄を決定した。
ペルシア軍は無人のアテナイ市を占領し、ギリシア連合艦隊が集結していたサラミスへ全艦隊を差し向けた。
ギリシア連合艦隊はサラミスでペルシア軍を撃ち破り、残存ペルシア艦隊はペルシアへ退却した。
翌年、ギリシアに残留していたペルシア陸軍もプラタイアイでギリシア連合軍に撃ち破られ壊滅し、ペルシア帝国のギリシア侵攻作戦は完全に潰え去った

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