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ヒッタイト最後の王シュッピルリウマ2世

シュッピルリウム2世が完成させたヤズルカヤ神殿の20神のレリーフ

目次

  1. ヒッタイト帝国の最後
  2. 史料集
    1. シュッピルリウマ2世即位に関する文書
    2. ヒッタイト帝国の食糧危機を示すと考えられている文書
    3. キュプロス島の戦い
    4. ウガリト王国の危機
    5. ヒッタイト帝国の滅亡

ヒッタイト帝国の最後
 ヒッタイト帝国がなぜ滅亡したのか?何が起きたのか?現在、解っていることは少ない。説は色々あるが決定的なものはなにもない。
 まず、最も有名な説は謎の民族「海の民」が滅ぼしたとする説である。海の民は北から現れ、最初にミュケーナイ諸王国を滅ぼし、次にヒッタイトを滅ぼし、シリアを南下してエジプトに到ったところでエジプトに撃ち破られて停止したというのである。
 これに関係する説に軍事革命説というのもある。戦車を中心とした軍制の東地中海諸国は重装歩兵を中心とした軍制を持つ蛮族に滅ぼされたという説である。これは「海の民」説を前提とした説であり、海の民がなぜオリエントの諸大国を撃ち破ることが出来たのかを説明するものに過ぎない。
 次の説は東地中海全域を揺るがす地震があったとする説である。この地震により東地中海地域の主要な都市は破壊され、諸国は滅亡したというのである。
 自然災害説としては大干ばつ説もある。食糧危機が原因で国家体制が不安定になり、ついに諸国は滅亡したとする説である。
 東地中海全域を覆う交易ネットワークの崩壊により、経済システムが崩壊し、ついには諸国が滅亡の憂き目にあったとする、システム崩壊説というのもある。
 以上の説はミュケーナイ諸国の滅亡、ヒッタイトの滅亡とを結びつけて、その原因、或いは関係を説明しようとした説だと言える。しかし、どの説も史料的裏付けが取れたとはとても言えないのが現状である。
 ヒッタイトの滅亡原因だけを説明する説としてヒッタイト王家の力が不安定だった点を指摘する説がある。ヒッタイトは内紛により弱体化したところへ外敵の侵略を受けて滅亡寸前に陥ったことが幾度となくある。シュッピルリウマ2世の治世の文章を見る限りでは、この時期国内が不安定になり、従属国が反抗的になっていた様子がうかがえる。ここからシュッピルリウマ2世の治世に内紛が起き、そこへ外敵の侵略を受けて滅亡してしまったと考えられるのだ。しかし、この説も周辺諸国の状況を無視してヒッタイトのみに着目して組まれた説に過ぎず決定的とは言い難い。
 結局のところ何が起き、なぜヒッタイトが滅亡したのかは解らない。
 シュッピルリウマ2世の存在が確認できたのは1950年代に入ってからだという点を考えると、文章が発見されていない、或いは翻訳できていないだけでシュッピルリウ2世以降もヒッタイトは存続していたのかもしれない。とすら考えたくもなる。

参考文献
 「Trevor Bryce The Kingdom of The Hittites CLARENDON PRESS 1998」374から379頁
 「中村光男著 ヒッタイト史研究の現状 歴史評論543 1995年」5から6頁

史料集

シュッピルリウマ2世即位に関する文書

ヒッタイト帝国の食糧危機を示すと考えられている文書

キュプロス島の戦い

ウガリト王国の危機

ヒッタイト帝国の滅亡

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