表紙へ  法典表紙へ

古代アテナイ最初の成文法:ドラコンの法

目次
 a.本文
 b.注釈
 c.参考文献
 d.史料

本文
 2世紀のギリシアの著述家プルタルコスはドラコンの法をこう伝える。「血で書かれた法」。「死刑しかない法」。
 「なぜ死刑なのか?」。この問いにドラコンは答えた。「小さな罪もこれに値すると思うし、大きな罪にはこれより大きな罰がないから。」と(1)
 これを初めて読んだ時、妙な感動を覚えたものである。何でも死刑。なんて簡潔明快で、断固とした法だろう。とっても、ビューティフル。けど、こんな国には住みたくないな。だって、優柔不断な僕は即刻死刑になりそうだから。

 ドラコンは前六二四年頃にギリシアのアテナイ初の成文法を書き上げた人物である(2)法が文として誰にでも見える状態になるということは、法の平等の前進を意味する。なぜなら、法が単に誰かの記憶や判断によっている場合には、その誰かの言葉そのものが法となり、その誰かが自由に法を操作できるが、文として明示されればそれを操作する余地は明示前より遙かに小さくなる。この当時のアテナイで言うのなら、その誰かとは貴族のことである(3)
 しかし、ドラコンの法は貴族優位に構築されており、この法が原因で貴族と民衆の対立が激化した。そこで、両者の調停者として現れたのがギリシア七賢人の一人、ソロンである。ドラコンの法が制定されてから三〇年後のことらしい。ソロンはドラコンの殺人に関する法以外は全て廃止し、より民主的な新たな法を施行した(4)

 ドラコンの法とはどのような内容だったのだろうか。残念なことに確実な部分としては殺人に関する法しか残っていない(5)不確かなものとしては国制機関の規定で、今で言うところの国会たる評議会と、これまた最高裁判所たるアレイオス・パゴス会議の規定、行政府に当たる各役人の選出方法とその選挙人と役人の資格規定、民会や評議会に欠席した場合の罰金の規定(6)怠惰法、窃盗法(7)と、ドラコンの法制定からソロンの改革に至る状況から体を抵当にした債務法が推測できるくらいである(8)

 確かな部分の殺人に関する法も多くの問題を抱えている。特に大きな問題が、この法には無意識殺人と合法殺人しか規定されていないのである(9)無意識殺人とは殺意なき殺人。例えば事故で相手を殺してしまった場合がこれに当てはまるだろう。合法殺人とは法に違反しない殺人。例えば正当防衛や死刑の執行等がこれに当たる。問題は意志殺人。殺意を持って相手を殺した場合であるが、この規定がない。色々な説が出ているが、どうも決め手に欠ける。罰の内容も只の追放、財産没収の上で追放、被害者の親族による私刑(実質的には死刑でしょう)、死刑とバラバラ。とりあえず多数説は死刑らしい(10)私はドラコンの法のイメージに最も似つかわしいのは死刑だと思うが、判断しようもない。
 意志殺人の規定については、欧米では意見が一致しないが、日本では意見が一致している。現存するドラコンの殺人法を記録した石版は二つに割れた形跡があり、下半分が失われている。意志殺人の規定はこの失われた下半分にある。そして、意志殺人の罰は無意志殺人と同様に追放だった。日本にはドラコンの殺人法の研究者は二人しかいないから、意見の一致は容易だったのだろう(11)
 それから、裁判所の問題がある。殺人法によると51人の裁判官で構成されたエペタイ法廷で裁判は行われたらしい(12)そして、ドラコンの法には従来からの裁判所たるアレイオス・パゴス会議の規定が全くなく、殺人はエペタイで裁かれたという(13)しかし、ドラコン以前からあらゆる裁判はアレイオス・パゴス会議が行っていた(14)裁判の役割がどうなっていたかが不明なのである。これも又、色々な説が出ている(15)
 確実な点は無意識殺人の場合は追放、合法的殺人は無罪で、無意識殺人の認定は五一人のエペタイが行うと言うくらいである。

 不確かな部分については、この不確かな部分の中にも何か確かな部分があるのではないかと考えるある研究者により、これを更にドラコン以前、ドラコンの立法、後の時代の捏造の三つのカテゴリーに分ける作業が行われ(16)別の研究者によりドラコン以前からソロンの改革に至る流れに注目し、ソロンの改革以前にドラコンの改革に見られる参政権の拡大が行われた点が指摘されている(17)これらの研究を見ると、ドラコン以前には貴族だけが参政権を握っていたが、ドラコンの改革により平民の富裕層にまで参政権が広がっている。
 ドラコンの国制をドラコン以前と比べてどうか、と言う評価をせずに単体で見ると、財産による参政権の格差が大きく、富裕者に極めて有利な国制に見える。更には、ドラコン当時は貨幣制がそれほど進展していないのに、財産の等級を貨幣量で規定している等々から、ドラコンの国制として伝えられたものは、寡頭主義者の捏造に過ぎないとの解釈が生まれた。現在ではこの捏造説が通説となっているが(18)全部捏造と退けてしまうのは、惜しい。なぜなら、捏造するにしても土台となったのはやはりオリジナルのドラコンの国制なのではと思えるからである。
 他に、私の知る限り誰にも救われない不確かな部分として、怠惰法や盗みに対する刑がある。怠惰法は古代の著述家の間でも誰が制定したか定まらない法だが、ドラコンが制定したとする著作家もいる。内容は両親を養わぬ者、遺産を食いつぶした者は市民権剥奪、定職に就かぬ者が訴えられて(19)怠惰の罪ありとされると死刑に処された。盗みの罰は何を盗もうと死刑。この辺りの法こそ、ドラコンの法が「血で書かれた法」と呼ばれたゆえんである(20)

 不確定どころか、古代の著述家さえ何も言ってないのが、債務法。これはドラコンの法制定からソロンの改革に至る、アテナイ市民の状況から推測されたものである。ドラコンの法制定後、貧富の差が拡大し、巨大な借財で奴隷に転落する市民が続出し、貧民の強い要求により行われたのがソロンの改革で、ソロンは殺人法を除くドラコンの法を廃止した。ここから、ドラコンの債務法には奴隷となることを条件とした債務を認める、或いは債務不履行の罰としての奴隷化が規定されていたことが推測されている(21)

 結局、ドラコンの法で分かっていることを最小限にまとめると、無意志殺人は追放、合法殺人は無罪、意志、無意志、合法の判断は51人のエペタイが行う。とこれだけである。

 逆に最大限にとってまとめると、最小限の部分に以下が加わる。
 刑法
  ・意志殺人罪は死刑。
  ・窃盗は死刑。
  ・怠惰の罪は死刑。
  ・両親を扶養せぬ者、
   遺産を食いつぶした者は市民権剥奪。
  ・民会や評議会に欠席せし者には罰金刑。
 債務法
  ・債務を履行せぬ者は債権者の奴隷とされるか、
   債権者により奴隷として売られる。
 参政権
  ・自費で武装可能な市民に参政権を与える。
  ・アルコン、財務官、将軍、騎馬長官は
   参政権を持つ一定以上の財産を持つ者から選挙で選ぶ。
  ・他の役人は参政権を持つ者から選挙で選ぶ。
  ・四〇一人評議会員は参政権を持つ者から抽選で選ぶ。
 司法権
  ・アレイオス・パゴス会議は
   法を養護する任務を持ち、
   役人を監視し、告訴を受け付ける。
 この中で、アルコンとは現在で言うと大臣で、九人いる。四〇一人評議会は民会で討議すべき事案を事前に先議する機関で、民会での議案はこの評議会で作られ、民会ではその議案を否決するか、修正して可決するか、可決するかを討議する。アテナイは直接民主制をとっており、民会には参政権を持つ全ての者が参加して、討議が行われる(22)

 ドラコンの法についての記述は極めて少ないが、それが古代ギリシアでも最も重要な地位を与えられているアテナイの、最初の制文法であり、アテナイ初期の国制を知る重要な手がかり故に、実に多くの説が錯綜し、通説が定まったかと思うと、新たな説がそれを打ち壊し、現在も論争は続いている。恐らく、結論が出ることはないだろう。
 しかし、調べていくうちに、調べ始めた頃のイメージとはだいぶ違ったものが現れ、最後はイメージを壊される。この法典は私の求める残酷だが、滑稽な法典とは言い難いようだ。いつの日かあまりの残酷さに打ち震え、滑稽さに笑い転げられる法典に出会えることを願いつつ。

注釈

  1. 「プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑摩書房 1987年」内「村川堅太郎訳 ソロン伝」125頁(Plutarch Solon 17)
  2. 「太田秀通著 東地中海世界 岩波書店 1977年」107頁
  3. 「伊藤貞夫著 古典期アテネの政治と社会 東京大学出版会 1982年」66頁。この考えは通説として通っており、同様の見解を示す研究者が「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」3頁の注3に列挙されている。
  4. アリストテレス著 村川堅太郎訳 アテナイ人の国制 岩波書店 1980年」21から24頁(Aristotels Ath.Pol 5.1-7.1)
  5. 「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」7から11頁に IG I3 104 を元にしたギリシア語原文と訳が掲載されている。
  6. 「アリストテレス著 村川堅太郎訳 アテナイ人の国制 岩波書店 1980年」20から21頁(Aristotels Ath.Pol 4.1-4.5)
  7. 「プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑摩書房 1987年」内「村川堅太郎訳 ソロン伝」125頁(Plutarch Solon 17)
  8. 「太田秀通著 東地中海世界 岩波書店 1977年」107から114頁
  9. 「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」7から11頁
  10. 「清宮敏著 ドラコンの殺人法−M.ガガーリンの近著をめぐって− 東北大学 歴史60号 1983年」64頁で清宮氏が前4世紀のアテナイの殺人に対する処罰を根拠とする死刑説が従来の通説であったむね報告している。
  11. 「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」20頁。清宮氏は「清宮敏著 ドラコンの殺人再考法−ポリスにおける法的規制の成立に関連して− 西洋史学136号 1984年」59と60頁で、意志殺人の規定はドラコンの殺人法にはなかったと言う説を支持していたが、「清宮敏著 ドラコンの故意殺人にかんする規定 東北福祉大学研究紀要21号 1996年」169頁でこの説を撤回し、前沢氏と同じ説を支持している。
  12. 「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」10と11頁
  13. 「プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑摩書房 1987年」内「村川堅太郎訳 ソロン伝」128頁(Plutarch Solon 19)
  14. アリストテレス著 村川堅太郎訳 アテナイ人の国制 岩波書店 1980年」19から21頁(Aristotels Ath.Pol 3.6,4.4)
  15. 「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」26から37頁で、裁判所の役割に関する様々な説の検討が行われている。
  16. 「秀村欣二/三浦一郎/太田秀道編 古典古代の社会と思想 岩波書店 1969年」内「太田秀道著 ドラコンの国制」95と96頁
  17. 「M.T.W.Arnheim著 Aristocracy in Greek Society THAMES AND HUDSON 1977年」47から49頁。
  18. 「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」4頁の注7。「秀村欣二/三浦一郎/太田秀道編 古典古代の社会と思想 岩波書店 1969年」内「太田秀道著 ドラコンの国制」81と82頁。「M.T.W.Arnheim著 Aristocracy in Greek Society THAMES AND HUDSON 1977年」48頁。The Oxford Classical Dictionary Third Edition OXFORD 1996 のDraco の項目。
  19. 「ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳 ギリシア哲学者列伝 上巻 1984年」53頁(D.L Sol.1.55)
  20. 「プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑摩書房 1987年」内「村川堅太郎訳 ソロン伝」125頁(Plutarch Solon 17)
  21. 「太田秀通著 東地中海世界 岩波書店 1977年」113と114頁、「W.G.フォレスト著 太田秀道訳 ギリシア民主政治の出現 平凡社 1971年」170から178頁。
  22. 「伊藤貞夫著 古典期アテネの政治と社会 東京大学出版会 1982年」81と82頁。

参考文献
伊藤貞夫著 古典期アテネの政治と社会 東京大学出版会 1982年
 64から66頁を見ると、ドラコンの成文法がアテナイでいかなる地位を占めるかがよく分かる。簡単に言うと民主制への第一歩と言うところである。187から190頁にドラコンの殺人法から読みとれる、フラトリアの状況が述べられている。古典期にはフラトリアは力を失っていたというのが通説だが、古典期になってもフラトリアを重視しているドラコンの殺人法が効力を持つと言うことは、必ずしもフラトリアが効力を失ったわけではない、との主張がある。

秀村欣二/三浦一郎/太田秀道編 古典古代の社会と思想 岩波書店 1969年
 71から100頁の「太田秀道著 ドラコンの国制」でアリストテレスの「アテナイ人の国制」を根拠としてドラコンの作り上げた国制がどのような物であったかを検討している。「アテナイ人の国制」に現れるドラコンの国制は後の時代に捏造されたものだと考えられている。しかし、論者はそのような中にもドラコンの法本来の要素が含まれていると考え、当時に作り得た部分と、当時にはあり得ない部分とを選別、検討し、ドラコンの国制を導こうと試みている。結論としてドラコンの国制として示されるものに役人の選出方法、等級による参政権の差別化、民会や評議会欠席寺の罰則、エペタイ法廷の創設、殺人法がある。国家組織や参政権の規定を見るに、これがドラコンの国制だとすると、参政権が貴族から富裕階層の平民へと大きく広げられたことになる。この論文を見ると過酷な法で知られたドラコンのイメージとは異なる、民主制へ道を開く改革者としてのドラコン像が浮かび上がってくる。そして、ドラコンの殺人法以外の原典史料の訳が列挙されており、ドラコン調査の道しるべとしても重宝する。

太田秀通著 スパルタとアテネ 岩波書店 1970年
 113から117頁にドラコンの立法についての概説がある。最初にプルタルコスが「ソロン伝」で伝えた過酷なドラコン像が概説され、次ぎにアリストテレスの「アテナイ人の国制」から読みとれるより民主的な方向への国制改革が概説される。ドラコンについて伝えられている話が分かり易く、平明な文でまとまっており、ドラコン入門として概説書として非常に役立つ。

太田秀通著 東地中海世界 岩波書店 1977年
 106から115頁にソロンの改革と絡める形でドラコンの法が定められた背景や、その法による社会の変化やソロンの改革への影響等が論じられている。アテナイは貴族優位の貴族社会であったが、武器を自弁できる裕福な者達が台頭してきて、彼らの圧力によりドラコンが法を成文化し、彼らの参政権が認める法を作った。しかし、ドラコンの法は極めて厳しく、恐らく債務規定も過酷なものであったと推測され、それが原因で貧富の差が拡大し、債務奴隷に転落する市民が続出し、ソロンの時代には貧者と富者との対立が激化していたと、論じられる。ここから、ドラコンの債務規定とは、身体を抵当にして借財が出来、その執行が厳格であったと推測できる。ソロンの改革とドラコンの法の関係を概観するのに都合がよい。

W.G.フォレスト著 太田秀道訳 ギリシア民主政治の出現 平凡社 1971年
 170から188頁のキュロン事件からソロンの改革に至る過程で、ドラコンの立法の位置づけが行われている。ドラコンの法が後世から見れば粗野であるが故に過酷に見えたであろうが、法を成文化したことで法を改善する可能性が増大した点が指摘されている。ソロンの時代に増大したと言われている負債奴隷に焦点をあて、その負債奴隷の問題を奴隷側と彼らを使っていた富裕者の2点から検討している。その検討結果として、負債奴隷の立場を明確に定式化したのがドラコンの法であったとしている。

前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年
 ドラコンの法、特に殺人の法について、この法の実際の施行がいかに行われていたかを検討し、ドラコンの法の意義を検討している。意志殺人の規定がなぜないのかについての問題に対しては、失われた下半分に記載されていて、オリジナルでは最初の一文は意志殺人に関する一般規定であったと論じている。法の施行は貴族が関わる殺人の裁判はアレイオス・パゴス会議で裁かれ、貴族が関わらない殺人は王と四人の王の補佐と最高行政官たるアルコンが主催するプリュタネイオン法廷で裁かれた。そして、ドラコン以前には殺人にも犯人と肉親による示談や、肉親による復讐が認められていたが、ドラコンの法により全ての殺人が法廷で裁かれることになり、法廷を通さずして示談や復讐は認められなくなった。但し、無意識殺人と合法殺人については、五一人のエペタイが審理した。ここで無意識殺人か合法殺人かの認定も行われた。ドラコンの法の意義は、殺人の意志、無意識、合法の区分分け、殺人に対しての裁判の強制、無意識や合法殺人に限られるとはいえ貴族と平民が同じ手続きで裁判を受けるようにした点にあるとまとめている。ドラコンの殺人法の裁判手続きについての研究を調べるのに都合が良い。更に、原文とその訳も付いている。

清宮敏著 ドラコンの殺人法−M.ガガーリンの近著をめぐって− 東北大学 歴史60号 1983年
 基本的には M.Gagarin Drakon and early Athenian homicide law Yale University Press 1981 の紹介である。ドラコンの殺人法に意志殺人がないのは、無意志殺人の規定が、無意志殺人と同時に意志殺人をも規定しているからだとする。意志殺人の最初の文は日本語に訳すとたいてい「またもし何人かがその意志なくしてある者を殺害したときは、追放されるべし。」と訳されるが、この文頭の「またもし」が曲者だという。これは「たとえ・・・だろうと」とも訳せる。そこで、前記の文を「たとえ何人かがその意志なくしてある者を殺害したときだろうと、追放されるべし。」と訳せば、無意志殺人も意志殺人と同様に追放とすべしと規定していると解釈でき、この規定が暗に意志殺人をも含む規程だとできる。従来の通説は意志殺人は死刑だったとしているから、これは通説の変更を迫るものである。
 もう一つは、法の起源に纏わる仲裁説と反仲裁説の論争がある。裁判の起源を仲裁説は私的な争いの仲裁に見る。反仲裁説は復讐とか私刑等を国が強制的に介入して止めさせたことに見る。ドラコンの法は仲裁説では殺人に関する争いは全て公権力の手に委ねられ私刑や復讐などは消滅していると捉えられ、反仲裁説では私刑や復讐を公権力が監視し、許可したり禁じたりしていると捉えられる。仲裁説では国が罰を与えるから私刑はいらないとなるし、反仲裁説では国の有罪宣告は私刑の許可でもあるとされる。しかし、ガガリーンの説は刑に服している、追放だと国に帰ってこない限り犯罪者は国が保護するが、帰ってきたら私刑にされようが復讐されようが国は関知しないとする。そして、犯罪者がおとなしく刑に服しているかどうかの監視は犯罪者に私刑を与えたい、復讐したいと考える者が行うだろうとの配慮があったという。国が罰を与えるから私刑はいらないが、犯罪者がおとなしく罰を受けないのなら私刑に処されようが関知しないと言うわけである。

清宮敏著 ドラコンの殺人再考法−ポリスにおける法的規制の成立に関連して− 西洋史学136号 1984年
 ドラコンの殺人法が、なぜ無意志殺人と合法殺人しか規定していないかを論じている。法制史の研究の問題点として法は常に体系的に制定されると言う意識が研究者にはあるらしい。ドラコンの法に対しても同様の見方が有力であった。ドラコンの法とは体系的と言うよりは慣習法に補足したり、一部を成文化したりの行き当たりばったりの代物で、意志殺人も慣習法の中で最も深く根付いていたから、特に成文化する必要がないと判断されて記録されなかった。無意志殺人と合法殺人はドラコンが意志殺人に補足する形で制定したものだから、この二つの殺人だけがドラコンによるものとして記録された。しかし、論者は合法殺人についてはドラコンが制定したのかどうか疑問があり、もしかするとドラコン以前に制定されたものかもしれないと疑問を抱いている。

清宮敏著 ドラコンの故意殺人にかんする規定 東北福祉大学研究紀要21号 1996年
 最新の研究を元に、ドラコンの殺人法の規定に意志殺人がなぜ無いかの主力説の5つを検討し、「清宮敏著 ドラコンの殺人再考法−ポリスにおける法的規制の成立に関連して− 西洋史学136号 1984年」の意志殺人の規定は記録されなかったという主張をとりさげ、「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」が採用した意志殺人の規定は失われた下半分にあるとした説を幾つかの留保付きで支持する旨、表明した論文。ここでも、前沢氏と同じ典拠からの原文と訳が付いている。

M.T.W.Arnheim著 Aristocracy in Greek Society THAMES AND HUDSON 1977年
 47から49頁にドラコンの改革についての解説がある。多数説がアリストテレスの「アテナイ人の国制」のドラコンの改革を捏造と見る中、ドラコンの改革が、ドラコン以前からソロンの改革に至る民主制拡大の流れを説明するのに適合する旨が論じられる。但し、ドラコンの実在の有無は問題ではなく、ソロン以前に平民への参政権の拡大と財産による参政権の等級分け等のドラコンの改革と類似の改革が行われたという点が重要だとしている。ドラコンの実在については留保している様に見受けられる。

史料
アリストテレス
Aristotels Pol 1274b

 また、ドラコンの法律がある、彼はすでに存在していた国制のために法律を定めたが、その法律のうちには、いやしくも誌すに足るほどの独得なものは何もない、ただし、刑罰の重さによって過酷である点は別である。
「アリストテレス著 山本光雄訳 政治学 岩波書店 1961年」120頁より

Aristotels Ath.Pol
4

(一)最初の国制は大要このようなものであった。この後久しからずしてアリスタイクモスのアルコンの時[六二四/三年]ドラコンが掟を制定した。彼の制度は次のようであった。(二)参政権は自費で武装し得る人々に与えられていた。彼らは九人のアルコンと財務官とを十ムナを下らない、負債のない財産をもつ人たちから選び、その他の余り重くない役は自費で武装し得る人たちから選ぴ、将軍と騎兵長官とは百ムナを下らない、負債のない財産と正妻から生まれた十歳以上の子供とを示し得る人たちから選んだ。前年のプリュタネイスと将軍と騎兵長官とは彼ら〔新任の将軍と騎兵長官〕からその執務報告の審査までの身分保証を求め、そのために将軍や騎兵長官と同じ等級の人々の間から四人の保証人を受け取る。(三)また参政権のある者の間から抽選で選ばれた四百一人が評議する定めであった。評議員その他の役には三十歳以上の人々の間で抽選を行ない、すぺての人々が一巡するまでは再任を許さない。一巡すると再び最初から抽選する。評議員の一人が評議会或いは民会の開かれるときに会に欠席すると、五百メディムノス級の人は三ドラクメを、騎士級の人は二ドラクメを、農民級の人は一ドラクメの罰金を払う定めであった。(四)アレイオス・パゴスの会議は法律の擁護者で役人が法に従い治めるように監視していた。不法な目に遭った者は、どの法が犯されているかを示してアレイオス・パゴスの会議に弾劾を提起し得た。(五)しかし、すでに述ぺたように借財は身体を低当にして行なわれ、また土地は少数者の手にあった。
7.1
彼(ソロン)は国制を定め、その他の法律を発布したが人々はドラコンの掟を殺人に関するものを除き廃止した。
41.2
数えてみるとこれは第十一回目の変化であった。原始状態の最初の変革はイオンとその仲間が一緒に定住した時で、この時はじめて四つの部族に分かれ、部族長を定めた。第二の、すなわち以上に次ぐ最初の変革は国制の形式を持つものでテセウスの時に行われ、王政から幾らか遠ざかったものであった。次にはドラコンの時ので、この時はじめて法律の起草も行われた。
「アリストテレス著 村川堅太郎訳 アテナイ人の国制 岩波書店 1980年」4は20から21頁、7.1は25と26頁、41.2は73頁より

デモステネス
Demosthenes 20.157-158

 未訳

Demosthenes 21.43
 未訳

Demosthenes 23.22
 殺人に関するアレイオス・パゴス法律の一−−人が意図的な殺害および傷害、ならびに放火および毒物投与によって人を殺したならば、アレイオス・パゴス評議会はその裁定を行うこととする。
28
 法律−−殺人犯を、第一回転柱掲示板に公布されているように、われわれの国土内で殺すこと、および略式逮捕で連行することは許されるが、暴行、科料請求をすることは許されず、違反すれば被害の二倍額の科料に処されることとする。望む者は誰でも、公職者たちのもとにそれぞれの権限に応じた訴えを持ち込めることとする。ヘーリアイアー(大法廷)は判決をくだすこととする。
37
 法律−−アゴラ・エポリアーと競技会とアンピクテュオーン聖儀とを避けている殺人犯を人が殺したかその死因となるならば、その者はアテナイ市民を殺した場合と同じ刑罰の適用を受け、エペタイたちの法廷がこれに判決をくだすこととする。
44
 法律−−人が、財産を没収されないまま国外へ出た殺人犯の誰かを国境外で追跡、拉致もしくは連行すれば、われわれの国土内でそうした場合と同等の刑罰を追うものとする。
51
 法律−−禁じられている場所に亡命者が戻ってきた場合に、その亡命者について訴状提出した者に対して殺人事由で訴訟を提起してはならぬこととする。
 この法律は、アテナイ人諸君、私が比較のために引用した、殺人に関する他の法律と同じくドラコンの法律なのですが、彼の言う意味をよく調べてみなければなりません。
53
 法律−−人が運動競技中に非有意に殺したか、あるいは待ち伏せしている相手を倒して殺したか、戦闘で誤認して殺したか、あるいは妻、母、姉妹、娘もしくは自由身分の子を儲ける為の側妾と同衾中の男を殺したならば、その者はそのことゆえに殺人犯として国外追放処分を受けてはならない。
60
 法律−−人が暴力をもって不正に拉致ないしは連行しようとする相手を、ただちに自衛のために殺した場合には、その死に対する刑罰はあってはならぬこととする。
62
 法律−−人が公職者としてであれ、一般市民としてであれ、この掟を無効にする原因となるか改変するならば、その者とその子供および財産は市民権を剥奪されることとする。
82
 法律−−人が暴力的に殺されたならば、親族は、彼らが殺人罪で裁判を受けるか殺害者を引き渡すまで、その死者のために外国籍人質を抑留できることとする。外国籍人質は三人まであって、それ以上ではないこととする。
86
 法律−−また同一の法律が全アテナイ人に適用されないかぎり、個人のためにのみ立法してはならぬこととする。
「デモステネス著 木曽明子/杉山晃太郎訳 弁論集4 京都大学学術出版会 2003年」14、16、17、20、23、26から28、30、32、42、44頁より
注:デモステネス弁論の23 の各引用は全てドラコンの殺人法からの引用と考えられている。「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」25頁。

Demosthenes 43.57
 未訳

Demosthenes 47.52-73(58-59,67)

 未訳

ディオゲネス・ラエルティオス
D.L Sol 1.55

また彼(ソロン)はいくつかのたいへん立派な法律を定めたように思われる。たとえば、両親を扶養しない者は市民権を剥奪されるべしというのがそれである。のみならず、父祖からの財産を蕩尽した者も同様の処罰を受けることになっている。さらに、定職につかずにぶらぶらしている者は、誰でも望む人がこれを訴えてもよいとされた。ただしリュシアスは、ニキダスを弾劾した演説のなかで、その法律を定めたのはドラコンであり、ソロンは姦通した者には議会で発言することを許さないという法を定めたのだと言っている。
「ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳 ギリシア哲学者列伝 上巻 1984年」53頁より

プルタルコス
Plutarch Solon
17
一七 彼(ソロン)は先ず殺人罪に関するものを除いてドラコンの法をすべて廃止したが、それは処罰が苛酷で大き過ぎたためであった。ほとんどすべての罪人に対して死刑というただ一つの処罰きりなかったからである。怠慢の罪ありとされたものも死刑にされ、野菜とか果実を盗んだものも聖財を盗んだ者や人殺しと同様に処罰される始未であった。それで後世デーマデースはドラコンはインキではなくて血で法律を書き上げたという文句で有名になった。ドラコン自身が、なぜ大部分の犯罪に死刑という懲罰を定めたのかと訊ねられたとき、小さな罪でもこれに当ると思うし、大きな罪にはこれより大きな罰がないから、と答えたと言われる。
19
大多数の人はアレイオス・パゴスの評議会は、上述のように、ソロンが設けたと言う。そしてドラコンがアレオスパゴス会議議員については一度も言及していないで、殺人罪に関連していつもエフェタイに訴えているのが、この人々への有力な証拠をなしている。
「プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑摩書房 1987年」内「村川堅太郎訳 ソロン伝」17は125頁、19は128頁より

前409/8年のアテナイの碑文
IG I3 104

フレアリオイ区のディオグネートスが書記にして、ディオクレースがアルコンたり。評議会と民会が決議せり。アカマンティス部族が当番評議員、ディオグネートスが書記、エウテュディコスが議長にして、……ネースが提案せり。ドラコンの殺人の法を法記録委員は記録すぺし、[法文を]パシレウスから評議会の書記とともに受け取りし後に、石碑の上に。そしてストア・バシレイオスの前に建立すぺし。契約官は法に従いて請負契約を結ばせ、同盟財務官は費用を提供すべし。
第一アクソーン
またもし何人かがその意図なくしてある者を殺害せしときは、追放さるぺし。{たとえある者が、殺害の意志無くして他の者を殺害したにせよ、彼は国外に退去しなければならない。}
バシレイスは、<自ら手を下した者であれ>殺人を教唆した者であれ、[その者に]殺人の罪を申し渡すぺし。
エフェタイが判決を下すぺし。和解は、[被害者に]父・兄弟もしくは息子たちがおりし場合、[彼ら]全員の合意により行なわるぺし、ただし反対せる者[あらば、彼の意向]が優先さるぺし。これらの人々がなき場合は、従兄弟の息子および従兄弟の範囲までの親族すぺてが和解に同意せしとき、[和解は]行なわるぺし。ただし反対せる者[あらば、彼の意向]が優先さるぺし。上述の者たちの一人としてあらざる場合、[殺人犯が]その意思なくして殺害をなし五一名のエフェタイがその意思なくして殺人を犯せりとの判決を下せしときは、フラトリア成員一○名の同意あらば[殺人犯の]帰国は許可さるぺし。これらの者たちを五一名は家柄に徒って選出すぺし。また[この法の施行より]以前に殺人を犯せし者もこの法に服すぺし。公告は殺人[容疑]者に対してアゴラで徒兄弟の息子および徒兄弟の範囲までの親族が行なうぺし。起訴は、徒兄弟の息子たち、義理の息子、義理の父およびフラトリア成員たちが共同して行なうぺし……殺人の罪あり……五一名は……殺人の判決を受けし……もし何人かが殺人犯を殺害せしとき、もしくは殺害の責任あるときは、殺人犯が国境ののアゴラ、競技会およびアンフィクテュオニアの神域に立ち入ることなくば、アテナイ市民を殺害せし者と同一の法に服すぺし。エフェタイが判決を下すぺし……この地にて……暴行を開始せし者……殺害せし……エフェタイは判決を下すぺし……自由人……もし暴力により不法に強奪を行なわんとする者もしくは連行せんとする者をその場で殺害せしときは、その者に何らの咎めなし……(省略)……
第ニアクソーン
……以下欠
「前沢伸行著 ドラコンの殺人の法とアテナイ市民団 法政史研究35 1985年」9から11頁より。一部現代漢字に変更。
注:{}内は近年有力な説を出したガガーリン氏の解釈の訳。「清宮敏著 ドラコンの殺人法−M.ガガーリンの近著をめぐって− 東北大学 歴史60号 1983年」64頁より

表紙へ  法典表紙へ

inserted by FC2 system