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ヘンリー・ナイトンの年代記 ラ・ロッシュ・デリアンの戦い
14世紀後半に書かれた年代記で、著者のヘンリー・ナイトンはレスターの修道士である。主にイギリスの史料を基に年代記を書いたようである。
ここでは、1347年6月20日にイギリスのブルターニュ派遣軍とシャルル・ブロアが激突したラ・ロッシュ・デリアンの戦いの部分だけを翻訳した。

ラ・ロッシュ・デリアンの戦い

ブリタニーのラ・ロッシュ・デリアンでの戦い
洗礼者聖ヨハネの祝日前の水曜日(1347年6月20日)に、このようにブリタニーのラ・ロッシュ・デリアンで戦いが行われた。
サー・シャルル・ブロワは30000人の戦闘員でラ・ロッシュ・デリアンを攻城した。
そしてイギリス王の名においてブリタニー指揮官となったトマス・ダグワースは市民が他の都市から来る間に別の方向から襲いかかるチャンスを掴み、
彼らと共に来て突撃した。最後にイギリス軍により敵は叩き潰され、多くは捕虜になった。

シャルル・ブロワの捕獲。
ブルターニュ公の地位を強奪したシャルル・ブロワはロード・ロシュフォールが捕らえられた。
ロード・ローヘクと共に36人の騎士、ロード・ラバル、ロード・ロハム、ロード・デルバルと彼の息子、ロード・シャトーブリアン、ロード・クィンティン、ロード・マルトストロット、
ロード・ルージェ、サー・ラルフ・デ・モントフォート、500名の装甲兵が殺された。

「henry.Knighton著 G.H.Martin編訳 Knighton's Chronicle 1337-1396 CLARENDON PRESS 1995」81頁より翻訳

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