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フロワサールの年代記 ラ・ロッシュ・デリアンの戦い
エドワード三世妃フィリッパの従者のフロワサールがの戦いに参加した者から聞いて書いた記述である。
ここでは、1347年6月20日にイギリスのブルターニュ派遣軍とシャルル・ブロアが激突したラ・ロッシュ・デリアンの戦いの部分だけを翻訳した。

ラ・ロッシュ・デリアンの戦いで、ロード・シャルル・ブロアが捕虜になる。
この時、彼らは宿営地をたたむかたたまないか会議を続けていた。
ここには女伯が送ったガーナーと呼ばれる、ロード・カドゥーダルが100名の装甲兵と共にいた。彼は直ぐに来ることを妨害された。
彼は帰還するのが止めになったとの結果を知らされた時に、「行くのか」、と言い。
「諸君は素速く武装し、馬に乗り、馬を持たぬ者は歩行でついてこい。
我らは敵の所へ行き、我らが征服するであろう敵をよく見て士気を盛り上げよう」といった。
彼らは直ぐに馬を轢いて来て出発し、歩行の者がそれに続いた。
だいたい日の出の頃、彼らがロード・シャルルの軍の所に来た時、眠りを妨げるいかなる邪魔も想像だにできず、敵はくるまって寝ていた。
イギリス人とブレトン人は直ちに切りまくり始め、テントや大テントをぶち壊し、殺された者は皆意表を突かれた。
彼らは不安を感じず、見張りも立てていなかった。
そのせいで、ロード・シャルルの党派は敗退し、ノルマンディーとブルターニュの諸侯は夜の間に捕虜に獲られた。
ラ・ロッシュ・デリアンの包囲が起こされ、ロード・シャルルはエンヌボンへ連行された。
それにも関わらず、以前に彼が確保した町と要塞は彼なしで持つ堪えた。
それはブルターニュの女公と呼ばれている彼の妻が積極的に戦争を継続したからである。

「Jean Froissart著 Thomas Johnes訳 Chronicles LONDON 1852年」182から183頁より翻訳

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