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フロワサールの年代記 ナヘラの戦い
エドワード三世妃フィリッパの従者のフロワサールがナヘラの戦いに参加した者から聞いて書いた記述である。
ここでは、1367年4月3日に
フランス王の後押しを受けたカスティリア王エンリケとイギリスの黒太子の後押しを受けたペドロ1世が激突したナヘラの戦いの部分だけを翻訳した。

ナヘラの戦い

いかした場面に日が昇る。そよ風に旗が揺れ、太陽の光で騎士の鎧が輝き、いろんな軍旗や三角旗に、それらの元にある高貴な軍はそれを見て喜ぶ。
軍は前進を開始したが、交敵前に、ウェールズ公は天を見上げ、手を合わせて祈りを捧げた。
「我を造りし、イエス・キリストの真の父よ、汝の慈悲深き恵みにより、この日、私と私の部下達に勝利をお与えください。汝はそれをよく知るものなり。我はこの戦いを行うのに十二分な大胆さを持っている。正義と理性の支持で王座から逐われた彼を王に復する。」
祈りの後で、太子は右手でドン・ペドロを指して言った。「さー、今日君は見るだろう。カスティリア王国のあらゆるものが君のものになるところを。」
続いて叫んだ。「聖ジョージの名において、旗手、前進せよ!」
二つの軍は前進し、ランカスター公とサー・ジョン・チャンドスの部隊はベルトラン・ド・ゲクランとマーシャル・オーデンハム率いる少なくても4千名の装甲兵と交戦した。
最初の激突、盾に槍が激しくぶつかり、両陣営が相手を認識するのに暫く時間がかかった。
武器によって偉大な功績が成し遂げられ、馬に乗らぬ多くの騎士は再び立ち上がることはなかった。
他の部隊は早足で戦いに参加し、ウェールズ公と共に、ドン・ペドロ、ナバラ王でもあるドン・マルティーノ・ド・ラ・カラはドン・テロとドン・サンチョの部隊を攻撃した。
しかし、太子が攻撃に入った時、ドン・テロ率いる二千の騎馬隊は一撃も加えずに直ぐにパニックに陥り、混乱して逃げ出した。
この敗走原因は説明が付かないが、敗走すると直ぐにカピル・ド・ビシャとロード・クリッソンが部隊を撃破し、
続いて彼らはドン・テロの部隊の歩兵に襲いかかり、多くを殺すか傷を負わせた。
太子とドン・ペドロの部隊は次に四万の歩兵と騎兵を有するエンリケ王を攻撃した。戦いは両陣営を激しく痛めつけた。
スペイン人とカスティリア人は石を投げつけるスリングを使いヘルメットをまっぷたつにする。
これで多くの者が倒された。イギリスの弓兵は破滅的な威力を持って応射した。
「エンリケ王のカスティリアよ!」と叫び声が上がると「ギュイエンヌの聖ジョージよ!」と叫び返された。
ベルトラン・ド・ゲクラン率いるフランス人とアラゴン人は勇敢にイギリスの攻撃に抵抗した。
サー・ジョン・チャンドスは自身の旗の下であり得ないほどの勇敢さで、戦の最先頭に飛び出し、馬もなく、敵に囲まれた。
大胆さと度胸で広く名を知られたマーティン・フェルナンデスと言う名のカスティリアの大男がサー・ジョンを殺すと決意して襲ってきた。
しかし、サー・ジョンはチェイン・メールの下に持っていたナイフを忘れていなかった。
彼はそれを引き抜き、彼に襲いかかってきた敵を突き殺した。敵は既に彼の上にあった。サー・ジョンは飛び起き、部下が彼の周りに集まってきた。
血生臭く恐ろしいこの戦いはナヘラとナバレットの間で戦われた。エンリケ王の近くにいた者共は王に倣って戦っていた。
しかし、1部隊が回れ右して逃げ出すと、王は彼らに叫んだ。
「我が主よ、私は諸君の王だぞ。諸君は私をカスティリア王に据え、諸君は私を見捨てるくらいなら死ぬと誓ったではないか!
神の名にかけて私にした諸君の誓いを果たせ。私の為に私は諸君の為に行うだろう。
私が諸君を私の陣営だと見ていられる間、私は寸土たりとも敵に与えずに済むだろう。」
エンリケ王はこれやこれと似たような言葉で三度部下を鼓舞し、戦場で彼自身の行いにより部下の戦意を大いに盛り上げたのだった。
この大会戦で多くの者が殺され、負傷し、逃げ出した。
最初にイギリス軍はスペイン人のスリンガーにより多くの被害を被ったが、しかし、直ぐに弓兵の激しい反撃で混乱状態に陥った。
エンリケ王の部隊はよく戦ったが、イギリスとガスコーニュ人は彼らよりも熟達した戦士だった。彼らは皆、確かに十二分に全力で戦った。
スペインやカスティリアから来た千名近くの装甲兵は多くの者を勇気づけた。そして確かなのは、偉大なる主人公は当然ながら彼らの中で最高の幾人かの戦士であった。
ドン・ペドロは兄弟を見付けようと切望し、馬を駆って叫んだ。「カスティリア王を自称する売春婦の息子は何処だ?」
スペイン側ではベルトラン・ド・ゲクラン指揮下の部隊の働きが最高だった。イギリス側では、ランカスター公の元にいたサー・ジョン・チャンドスの働きが際だっていた。
ポワティエの戦いで太子と共にあったランカスター公の如く。サー・ジョン・チャンドスこそ最高の称賛に値する。
この日、彼の言によると彼はまったく捕虜を獲らなかったが、全神経は戦いに集中していた。
それでも、彼の部下達は数え切れないほどの捕虜を捕らえた。フランスやアラゴンから来た者共は全て捕虜になるか殺された。
自身が生き残ることよりもエンリケ王の叫びに答えて忠誠を示すことを選んだ王の追従者1500名以上が命を落とした。
ベルトラン・ド・ゲクランの部隊が敗退した後にイギリスの3つの部隊は合流し、スペイン人は長くは持ち堪えることは出来なかった。
彼らは戦列を乱して、混乱してナヘラや町の向こうに流れる河へ向かって敗走した。
エンリケ王は虚栄心から慌てて発した言葉で部下達が敗北していくのを見て、町が包囲されそうだったので、町へ向かわずに他の道から逃れた。
ここで王は賢明さを見せた。さもなければ彼は捕らえられ無慈悲に殺されていただろう。
イギリス人とガスコーニュ人は無慈悲に逃げまどうスペイン人を打ち倒し、多くの者が流れが速くて深い河へ飛び込み、走り抜けるよりもおぼれ死ぬ方を選んだ。
サンティアゴ騎士団長とカラトラバ騎士団長、この二人の僧侶は勇敢な装甲兵で、敗走の過程でナヘラへ逃げ込んだが、
イギリス人とガスコーニュ人が町を占領し、略奪して巨万の富を手にする過程で捕らえられた。
スペイン人は大規模な体勢でここに来たが、戦闘後は自身の財産を守ろうとして、抵抗しなかった。
彼らは完全に敗北し、特に川岸で恐ろしいことが起こっていた。私の聞いたところによると彼らと馬の血で河の色が完全に変わったそうである。
この戦いは1367年4月3日の土曜日に行われた。
スペイン陣営は500と16人の装甲兵が殺され、7500人の兵士が殺されたが、この数には溺れ死んだ者の数が入っていない。
一方、イギリス陣営は40人の兵士と4人の騎士が死んだだけである。

「Jean Froissart著 John Jolliffe編訳 Froissart's Chronicles PENGUIN BOOKS 2001年」 199から203頁より翻訳

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