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フロワサールの年代記 クレシーの戦い
エドワード三世妃フィリッパの従者のフロワサールがクレシーの戦いに参加した者から聞いて書いた記述である。主にイギリス側の者の証言から書いたようだが、故郷のエノーのつてからフランス側に立って戦ったエノーの者の証言も参考にしている。
こここでは、1346年8月26日に
フランス王とイギリス王が激突したクレシーの戦いの部分だけを翻訳した。

クレシーの戦い

同じ土曜日、フランス王は早く起きて宿泊していたアブピルの聖ペテロの修道院で群衆の声を聞いた。
ここに彼と共にボヘミア王、アランソン伯、ブロア伯、フランドル伯、ロレーヌ公他、主要な全ての貴族がいた。
ここにはアブピルにいる全軍を収容するには充分な広さがなく、彼らの多くは聖リクウィアーに収容された。
日の出と共に王は軍の準備を整え、5マイル前進したところで、ここで戦闘態勢に入り馬だとうまく行進出来ないから歩行で前進しましょう、との助言を受けた。
王は、ロード・モイン・バステルブルク、ロード・ノイヤー、ロード・ボージョ、ロード・アンスルの4人の勇ましい騎士を前進させた。
彼らは遙か前を進み、容易にイギリス軍の位置を把握した。
イギリス側は彼らが偵察に来たことに気がついたが、それに注意を払わず、攻撃せずに帰してやった。
偵察隊が戻ってきて群衆を押しのけて王の元にたどり着いた時、王はいった。「報告はないか?」
偵察隊は互いに顔を見合わせ、誰一人として話し出そうとはしなかった。
しまいに王はボヘミア王カールの家臣で、多くの功績を立て、キリスト教世界で最も勇敢で堂々とした騎士の一人として知られていたロード・モインに問いかけた。
「サー」、ロード・モインは言った。「陛下の望み通りに、私が報告しよう。但し、他の同僚方の意見も伺いたい。
我らは敵を充分に偵察できるように前進した。敵は三つの部隊に分かれて展開し、明らかに陛下を待ち受けている。
軍を停止させて今日の残りの間、ここに留まるのはよくないと私は思う。陛下の後続が到着して軍が戦闘準備をするのは遅くになるだろう。
陛下の軍は疲労し、混乱を起こすだろうが、敵は元気な上に警戒しており、何をすべきか完全に理解している。
翌朝に戦列を布く方がよい。偵察はより容易になり、最も有利な攻撃ができる場所を発見できる。陛下も敵が陛下を待ち受けていると確信しているでしょう。」
王は二人のマレシャンを騎乗させて命令を与えた。「旗手を止めよ。これは神と聖デニスの名にかけて王の命令である。」
前衛は停止した。後衛は前進を続け、前衛と同じところに前進するまで止まらず、前衛は後衛に押し出されてしまう。
この混乱は自尊心が原因で、全ての者がマレシャンの言葉を無視して仲間を凌駕しようと思っていた。
貴族達は自らの力を見せつけたくてたまらず、そのせいで王もマレシャンも彼らを止めることができなかった。彼らの無秩序な前進は敵が見えるところに来るまで続いた。
前衛がしっかりと止まればより良かったが、彼らは敵が見えた途端に完全に混乱を来し、戦わねばならぬのに後方に警告を発しながら退却して、戻ってきた。
ここは彼らが前進を望んだ場所で、少数が前進していたが他の全ての者は後方に留まっていた。
アブピルとクレシーを結ぶ道は人で溢れ、敵から8マイル以内に来ると、剣を引き抜き、「殺せ、殺せ」と叫び声を挙げた。
この日の混乱を思い浮かべることができる全ての出来事、特にフランスの混沌を調べることができる人もそれほど暇がある者もいなかった。
私自身の知識のほとんどはこの混乱を見たイギリスの者や、王の側にいたサー・ジャン・エノーの部下から聞いたものである。

イギリス側は3つの部隊に分かれて、静かに足を立てて落ち着いて座っていた。フランス軍の接近が見えてきた時、戦列を布いた。
太子の部隊は前方にいて、弓兵は三角形に布陣し、背後に装甲兵がいた。
ノーザンプトン伯とアランデル伯は第二の部隊を指揮し、太子の側面に良好な状態で布陣し、必要なら支援できる状態にあった。
諸君はフランス陣営の王、公、伯、諸侯がまともな前進が出来ず、勝手気ままな行動をしていたであろうことを理解できただろう。
フィリップ王はイギリス軍が視界に入ると直ぐに、血が沸き立ち始め、闘志が燃え上がった。
王はマレシャンに号令を発した。「ジェノバ兵前へ!神と聖デニスの名にかけて戦いを始めよ!」
ここには約15000のジェノバのクロスボウ兵がいた。しかし、彼らは直ぐには戦闘準備が出来る状態になく、もの凄く疲れていた。
なにせ、完全武装でクロスボウを担いで15マイル以上も行進していたのだ。彼らはコンスタブルに戦える状態にはないと言った。
これを聞いたアランソン伯が言った。「誰がこんな無頼を雇った!此奴らは必要な時に役に立たん!」
その間、もの凄い稲光を伴う暴力的な嵐が荒れ狂っていた。雨が降る前に、両軍の間を鴉のとんでもない大群が飛び抜けた。これは暴風雨到来の前兆である。
何人かの知ったかぶり野郎がこれは大会戦、恐ろしい惨劇の予兆だ、とか吹いた。
嵐は直ぐに過ぎ去り、太陽が顔を覗かせ、フランス兵の目にまぶしい光が直接差し込んで来たが、この時イギリス兵は太陽を背にしていた。
ジェノバ兵は幾つかの手順に則り、イギリス軍を攻撃する準備を整え、イギリス兵を驚かそうともの凄い大声を発したが、イギリス軍は気にもせずにその場に留まっていた。
再び大声で騒いで、少し前進したが、イギリス軍は動かなかった。三度目はあらん限りの大声を上げて、前進し、クロスボウを準備し、射撃を開始した。
イギリスの弓兵は少し前へ出て、一斉に矢を空へ放った。それは吹雪のようだった。
ジェノバ兵はこれほどの弓兵と戦った経験が無く、彼らがそれを感じ取った時には、矢が鎧や、頭、胸当てを貫き、驚きが広がった。
何人かの者はクロスボウの弦を切り、他の者はクロスボウを地面に投げ出し、皆回れ右して逃げ出した。
フランス軍本隊の騎乗した装甲兵達はジェノバ兵の様子を眺めていた。その後、ジェノバ兵が逃げ出してくると、ジェノバ兵の前に立ちはだかった。
混乱して逃げ出したジェノバ兵を見たフランス王は激怒して叫んだ。「殺せ!この無頼どもを皆殺しにせよ!奴らに我らのやり方を教えてやれ、奴らに救いはない!」
次の瞬間には諸君は装甲兵の周囲に転がるジェノバ兵達を見ただろう。逃げだそうとした者達は全て殺された。
イギリス軍は同じような力強さで矢の雨を降らせ続けた。敵の集団を撃ち続けた。矢は装甲兵と馬の上に降りそそぎ、人も馬も共に多くが打ち倒された。
一度倒れると、自力で立ち上がることは出来なかった。
勇敢で高貴なボヘミア王カールは高貴な皇帝ルクセンブルクのハインリヒの息子だ。
しかし、後者はほとんど目が見えず、彼は息子に戦闘の手順を説明した。彼は部下の騎士たちに息子のカールが何処にいるか尋ねた。
騎士たちは答えた。「陛下、我らは存じ上げません。ご子息は戦場の他の場所で戦っておられます。」
勇敢なこの公はいった。「諸君。諸君は私の部下であり、友人であり、同胞だ。私は諸君にお願いする。この日の戦いで我が剣を振るえるよう私を導いてほしい。」
公の周りにいた騎士たちは公に応えた。ロード・モインとルクセンブルクの良き騎士たちは公を後方に残していきたかった。彼を失わないために。
何人かの騎士は雨に打たれて疲れていた。先頭に王を立てて王の望みを達成すべく前進した。
実際の所、フランス王の軍には多くの騎士や諸侯がいたにも関わらず、
戦いがこの日の遅くに始まり、フランス軍は到着した時には既にくたくただったせいで、彼らが達成した注目すべき功績はもの凄く少ない。
彼らは同じ方に押し寄せ、不名誉に逃亡することより死を選んだ。
ボヘミアのカールはドイツ王に呼ばれて合図を受け、武装に耐え、良好な状態で戦場にたどり着いた。
しかし、カールはフランス軍が不利なのを見ると、離脱しようと思った。私は彼がどの道をとったかは知らない。
王なのにカールの父は戦場へと更に前進し、剣を4度以上振り回し、家臣と同様に勇敢に戦った。
彼らはより前へ前進しようとして全員殺された。彼らの遺体は次の日発見された。彼らの主人たる王の周囲で、自身の馬の手綱を握りしめて死んでいた。
フィリップ王は一握りのイギリス兵によって自軍がズタズタにされたことに激怒し、
エノーのジョンが退却を進言したにも関わらず、小さな丘の上に立つ王の兄弟アランソン伯の旗を見ていたのにアランソン伯とも合流せずに、前進した。
アランソン伯は良好な状態でイギリス軍に向かって前進し、弓兵隊を突破してウェールズ公の部隊と激突するのに成功し、長い間、勇敢に戦い続けた。
同様にフランドル伯も別の場所で戦っていた。
フランス王は是が非にでもアランソン伯と合流したかったが、弓兵の大規模な防壁と装甲兵が崩壊もせずに立ちはだかっていた。
朝に、フランス王はサー・ジャン・エノーに素晴らしい黒い軍馬を与え、彼はそれを別にまわして旗手のサー・ジャン・ドゥ・フューゼルがその馬に乗った。
馬ははみを噛み、騎手を乗せ、エノーの旗を運び、イギリス軍の中を軽々と走り抜けた。騎手が最後の反転をした時、馬がよろめき、穴に落ち、矢が当たった。
サー・ジャン・ドゥ・フューゼルは従者が追いついて来れなかったので死にそうになり、従者は戦場の周囲をウロウロとしていた。
従者が馬のせいで動けなくなっている彼を穴の中で見付けた。イギリス軍は戦列を乱してまで捕虜を捕ろうとはしなかったので、危険はなかった。
従者は主人を助け、彼らは各々別の方法で帰還した。
クレシーとラ・ブライの間で行われたこの戦いの残酷なこと、残忍なこと、多くの功績などが記録されていない。
戦いが始まった時は既に遅くなっていて、なによりも夜が近づいていたせいで多くの騎士や従者が指揮官を見失い、彷徨い、切れ切れになってイギリスを攻撃しては直ぐに全滅した。
朝、イギリス軍は敵が自軍に対してあまりに大きいので、捕虜も捕らず、身代金も求めないことと決めていてた。
フィリップ王の甥のブロア伯、アランソン伯はイギリス軍と戦うべく旗の下に家臣を集め、堂々とみごとな活躍をし、同じようにロレーヌ公も活躍した。
多くの人々は戦闘が朝始まっていたら、多くの際だった功績をフランス側が立てていただろうと言った。
フランスの騎士や従者、ドイツやサボイの者が太子の前面の弓兵を突破して装甲兵同士の肉弾戦に突入した。
ノーザンプトン伯とアランデル伯の率いる第二陣が援護に駆けつけたが、直ぐにではないが激しく押しまくられた。
第一陣は危なくなっていた。王は風車のある丘の上にいたサー・トマス・ノリッジを派遣した。
「陛下」、とトマスは言った。「陛下のご子息と共にあるロード・ウォリック、ロード・オックスフォード、サー・レジナルド・コーブハムはフランス軍に押されています。
彼らはこれ以上フランス軍の数が増せば太子は打ち負かされると考え、陛下に援軍を求めています。」
「サー・トマス」、王が答えた。「私が息子を助けられないと、息子が死ぬのか、倒れるのか、重傷を負うのか?」
「よし、サー・トマスよ、戻ってこう伝えよ。我が息子が生きている限り、私からはいかなる助けも出せない。
こう言うのだ。私は息子が名声を得ることを望んでいる。私は神に願ったのだ。
今日は息子のためにあるべき日で、息子と私が息子に委ねた者共による勝利で栄光と名誉がもたらされるようにと。」
サー・トマスは戻って王の伝言を伝えた。王の伝言に彼らは大いに勇気づけられ、助けを求めたことを恥じた。
彼らは以前よりも大きな功績を挙げ、大きな名声を得るべく持ち堪えた。
ここでは間違いなく私の知らない数多くの偉大な功績がうち立てられた。確かな事もある。
太子の部隊のサー・ゴッドフレイ・ハーコートは兄弟を助けるべく努力した。彼の兄弟の騎手はサー・ゴッドフレイに対したフランス軍と戦っていた。
この時、サー・ゴッドフレイは兄弟の所へいけなかった。彼の兄弟は戦場で殺された。そう、オーマール伯の甥である。
他のところでは、アランソン伯とフランドル伯が旗の下で部下を率いて激しく戦っていたがイギリスの力に対抗しきれなかったようだ。
彼らは付き従ってきた騎士や従者達と一緒に殺された。ブロア伯ルイと義兄弟のロレーヌ公と彼らの騎手と部隊は戦場の他の場所で勇敢に踏み止まっていた。
しかし、彼らに情けをかける気のないイギリスとウェールズの部隊に包囲され、彼らの全ての勇気は無駄になった。
サン・ポル伯とオーセール伯、二人の勇気ある騎士も殺され、その側で他の多くの者も殺された。
日没頃、夕べの祈りに近づき、フィリップ王は戦場を離れた。完全な敗北である。彼の周りには50人の諸侯しかいなかった。
サー・ジャン・エノーは取り巻きの筆頭で、共にロード・モンモリヨン、ボージュ、オービニ、モンフォールがいた。
王は嘆き当惑しながら、ラ・ブロイの城へ向かった。門についた時、夜−−深く暗い夜−−になっていたので、門には鍵が下ろされ、橋は上がっていた。
王は城に入るべく城代を呼び出すように命令した。城代が呼び出されて城壁に現れ、夜中に呼び出したのは誰だと大声で答えた。
フィリップ王はこれを聞いて大声でいった。「開けろ、開けろ、城代!不幸なフランスの王だ。」
城代は王の声に気がついた。城代はこの日の敗北を城を通過していった敗残兵から聞いて知っていた。城代は橋を下ろして門を開けた。
王は5人のお供と共に城に入り、深夜まで逗留した。しかし、王はここに留まらなかった。
彼らはワインを飲み、この地域をよく知るガイドを連れて出ていった。彼らは深夜に出発し、夜明けにアミアンにつくまで激しく馬を走らせた。
王はここの修道院で止まり、戦場で横たわる、或いは逃げてきた自分の臣民に会えるまでこれ以上先には行かないと言った。
さて、クレシーのイギリス軍の場所に話を戻そう。土曜日の間中、皆で熱心に頑張り、戦列を崩壊させずに済んだ。自身の部署を保ち彼らに対してなされた攻撃を跳ね返した。
これがフランス王が勝ち得なかった唯一の理由である。諸君らが聞いたようにフランス王はとても遅くまで戦場に留まっていた。
敵の直ぐ近くにいた時ですら彼の周りには60人以下の家臣しかいなかった。
サー・ジャン・エノーは王の馬のはみを握っていた。王は一度馬を乗り換えていた。馬が殺された時に彼はいった。
「陛下、直ぐに来てください。陛下を危険に曝すわけにはいきません。今日は陛下が敗北しましたが、次は陛下がお勝ちになります。」
彼は王を無理に戦場から連れだした。
この日、イギリスの弓兵隊は途方もない有効性を発揮した。多くの人々がこういった。彼らの射撃により今日は勝利できたのだ。
そして、騎士たちは礼儀正しく取っ組み合って戦い、勇気の応酬をした。
弓兵隊は15000名のジェノバ人相手の最初の射撃で敵を退却に追い込み一つの巨大な業績をうち立てた。
そして、良い武具と乗馬、豪華な衣装を身につけたフランスの装甲兵が逃げ出したジェノバ兵に絡みつかれ落馬したりして二度と起きあがることが出来ずに打ちのめされた。
そしてイギリス陣営のナイフで武装した歩行のコーンウォール人とウェールズ人は弓兵と装甲兵の間に進み(これが彼らの戦い方だ)、苦しい時にフランス兵と出くわした。
彼らは伯や、諸侯、騎士、従者を落馬させて無慈悲に殺した。イギリス王はこれらの貴族の身代金を取れなかったことにいくぶん腹を立てたのだった。

Jean Froissart著 John Jolliffe編訳 Froissart's Chronicles PENGUIN BOOKS 2001年」 142から149頁より翻訳

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