表紙へ  英仏の闘争へ


フロワサールの年代記 オーブロッシェの戦い
エドワード三世妃フィリッパの従者のフロワサールがの戦いに参加した者から聞いて書いた記述である。
こここでは、1345年10月21日にダービー伯率いる遠征軍とフランス王が派遣したガスコーニュ遠征軍が激突したオーブロッシェの戦いの部分だけを翻訳した。

オーブロッシェの戦い
ダービー伯がオーブロッシェの前でラ・イル伯と、9人以上の伯と副伯を捕虜にした。
全ての発言、伝令の扱い、手紙の内容、オーブロッシェの危険な状況がフランス軍内のダービー伯のスパイにより伯の知るところとなった。
そこで伯はペリグーにいたペンブルック伯へ、合流する場所と時間を指示した命令を送った。
リブルヌにいるロード・スタフォードとサー・ステファン・トムベイにも同様の命令を出した。
次にダービー伯はサー・ウォルター・マーニーと共に可能な限り密かにオーブロッシェへ向かう道を進んだ。
伯はこの道を知り尽くしたガイドを連れていた。
彼らはリブルヌに来て、この日は一日中ペンブルック伯を待ったが知らせはなく、困難な状況に陥っている友人を救いたくて我慢できず、
ダービー伯、オックスフォード伯、サー・ウォルター・マーニー、サー・リチャード・ヘイスティングス、
サー・スティーブン・トムベイ、ロード・フェラーラ、他騎士たちはリブルヌを出発した。
夜通し馬を馳せ、翌日にはオーブロッシェから2リーグの所に来た。
彼らは森へ入り、馬から下り、馬を木に繋ぎ、馬に秣を食べさせ、ペンブルック伯の来訪を期待していた。
彼らは昼になるまで何をしたのかわからないくらい、無駄にすごした。
彼らの兵力は300人の槍兵と、600名の弓兵しか無く、フランス軍は1万から2万いた。
彼らが近くに来た時、フランス軍は友人を失うがままになにもしない卑怯者になるだろう。
少なくても、サー・ウォルター・マーニーはこう言った。
「諸君、我らはここで馬に乗り、この森を周り、敵の宿営地に着くまで前進する。
宿営地の近くに来たら、馬を杭に繋ぎ、大声を上げて敵に襲いかかる。襲撃は夕飯時になるだろう。
敵は大混乱し、二度と回復することはないだろう。」
騎士たちはそれを実行すると答えた。各々が馬に向かい、ベルトを締め直し、鎧をしっかりと装着した。
小姓や、人夫、馬丁にここに留まるように命令した。
彼らは小さな川の広い谷にあるフランス軍の宿営地と反対側に来るまで森の脇を静かに前進した。
次に彼らは旗や旗指物を広げ、馬を杭に繋ぎ、フランス・ガスコーニュ軍の真ん中へ突っ走った。
フランス・ガスコーニュ軍は晩飯の準備に忙しく、多くは食事をするために座り込んでいて、まごつき、迎撃準備も出来なかった。
イギリス軍は充分に準備を整えて、叫んだ。「ダービー、ダービーよ永久に!」
彼らはテントや大テントを切り刻み、自らの流儀で斬り殺し、傷を負わせた。フランス軍は驚き、為す術を知らなかった。
彼らは平原を確保した時、ここにいた敵主力がいたら、弓兵とクロスボウ兵は自身の武器を巧みに操り、殺し、四散させた。
ラ・イル伯はテントの中で酷い怪我を負って捕らえられた。ペリグー伯と彼の叔父のサー・シャルルもテントで捕らえられた。
ロード・デュラスは殺され、サー・アメリー・ド・ポワティエも殺されたが、彼の兄弟のヴェレンティノス伯は捕虜になった。
誰もが我先にと逃げようとした。
城の反対側ではコミュネゲス伯、カルマイン伯、ウィルマー伯、ブリュニクレ伯、ロード・デ・ラ・バーデ、デ・ラ・トライデ他、
1/4の兵力が旗を並べ、部隊を展開して平原へ行軍していた。
しかし、イギリス軍はすでに軍の主力を撃ち破り、士気が高まっていた。
この戦いで、多くの勇壮な行いが示され、多くの者が捕虜を獲り、多くの者が同僚に助けられた。
オーブロッシェ内にいたフランク・フォン・ハルとサー・ジョン・レンダルは騒ぎを聞きつけ、
友人の旗印を確認し、急いで全ての家臣と共に武装を整えた。
馬に乗り、要塞から出撃し、平原に出て、戦いの中へ突っ走り、イギリス軍を大いに勇気づけた
私はこの長い物語を作り得ただろうか?
ラ・イル伯の軍の全ての者が敗れ、ほとんどの者が捕虜になるか殺された。
直ぐに夜が来なかったなら、逃げられた者はいなかっただろう。
9人の伯と副伯が捕虜になり、多くの諸侯、騎士、準騎士も捕虜になった。
一人で2、3人を相手にしなかったイギリス軍の装甲兵はいなかった。
オーブロッシェ前での戦いは1344年の聖ルカのイブ(8月10日)に行われた。
イギリス軍は捕虜を友人のように扱った。
彼らは多くの者を約束した日にボルドーかペリグーに降伏した者の所へ戻るという約束の元で解放した。
イギリス軍はオーブロッシェへ入城した。ダービー伯は伯や、副伯、諸侯に騎士などの大半の捕虜を夕食に招いて歓待した。
彼らは、一万に登る敵に打ち勝つことが出来たことを神に感謝し賞賛した。
この時に彼らの兵力は千に満たず、各人がオーブロッシェの町や城にいる友人を救おうとしていた。2日あれば城は奪われていただろう。

「Clifford.J.Rogers編 The Wars of Edward III BOYDELL 1999」114から116頁より翻訳

表紙へ  英仏の闘争へ

inserted by FC2 system