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エドワード三世の手紙

目次

  1. トーマス・ルーシーへの手紙
1346年9月3日 エドワード三世からトーマス・ルーシーへの手紙
この手紙はクレシー戦役を終えてカレー攻城戦のさなかに本国に当ててこれまでの戦況を伝えた手紙である。上陸からクレシーの戦いまでが記述されている。

 エドワード、神の恩恵によりフランス、イギリスの王にしてアイルランドの支配者より、親愛にして誠実なる騎士トーマス・ルーシーにご挨拶申し上げる。諸君は我らのニュースを喜んでくれるであろう。
 バルフルール近郊のラ・ウーグへ7月21日に全員無事に到着し、ここで神を讃えた。我らは続く火曜日まで兵員や馬、物資を下ろすためにここに留まり、バローニュに向かい、城と町を占領した。そして進軍を続け、敵に破壊されたドゥーヴ河に架かる橋を修復して渡り、カランタンの城と町を占領した。ここから真っ直ぐサン・ローへ行き、我らの進撃を遅らせるために破壊されたポン・エベールの町の近くで橋を見つけた。そこで橋を架けなおした。
 翌日、町を占領してカーンへの道をとった。ラ・ウーグを出発してからここに来るまで一日も休息していない。カーンではすぐに宿営地を作り、町の攻撃準備に入った。カーンは非常に強力な町で、だいたい1600名の武装兵と三万名の武装した市民が防御を固め、十二分に勇敢に戦える状態にある。戦いは激烈で長引いた。しかし、神の恩恵により兵を失うことなく町を力ずくで奪い取った。捕虜にはウー伯にしてフランスのコンスタブル、チャンバー、タンカーヴィルと約140名の旗手と騎士、同数の準騎士と富裕市民を捕らえた。多くの高貴な騎士やジェントルマンを殺し、それより多くの市民も殺した。我らと共にここに留まっていた艦隊はハーフラーからカーン近郊のコルビルの堤防までの沿岸全域を焼き払い破壊してきた。艦隊はシェルブールとそこにいたすべての船を焼き払った。全部で百隻を超える数の大型船やその他の敵の船を焼き払ったのだ。そして四日間、補給と休養のためにカーンに留まった。ここから敵がルーアンに来ているとの確証を得て、敵へ真っ直ぐに向かう道をとった。
 敵がルーアンの橋を破壊して渡れない事を我らは知り、同時にリジューで教皇特使二人と会合した。特使達は和平交渉を理由にここに留まるよう申し入れてきたが、それでは行軍が遅れてしまう。我らが正当なる答えを用意できるのなら仲裁をしようと申し出られたが、我らは手短に時を失うわけには行かないと答えた。ルーアンの橋が破壊されたとの知らせに接した時、パリに極めて近いセイン河岸で宿営をしていた。そしてセイン河に沿って行軍を続けた。すべての橋が破壊されるか、強力に防御され、敵がいる方へ渡る術がなかった。敵は我らに近づこうとしなかったが、対岸を一日行程で追跡してきていた。これに我らは非常に苛立た。パリ近郊のポアシーに着いた時に破壊された橋を見つけた。敵は全員パリに居座り、パリへ渡れないようにサン・クルーの橋を破壊していた。我らは敵が戦いを挑んできた場合に備えてポアシーに三日間留まり、橋を修復した。橋を修復している最中に敵の大軍が作業を妨害しようと現れたが、橋の修復を終える前に何名かの兵が梁を渡って敵の防御陣を攻撃して多くを殺害した。この時、敵は近づこうともせず戦いを避けていた。我らは敵地域を荒らして敵と散発的な戦いを繰り広げた。我が軍は橋を渡り、敵を戦いに引き込むべくピカルディへ向かった。
 ソンム河に来ると橋は破壊されていた。そこで引き潮で現れる浅瀬を渡るべくサン・ヴァレリーへ向かった。到着すると大勢の兵士と市民が我らを渡らせまいと防御を固めていたが、敵を物ともせずに武器によって強引に押し渡った。神の恩恵により肩を並べて千名の者が渡り切った。その前に三度か四度も渡河が試みられての危うい成功だ。我が軍は三十分か一時間で安全に渡河を完了した。防御していた敵の多くを捕らえ、より多くの者を殺したが我が方に損害はなかった。同日すぐに河を渡ると、対岸に敵の物凄い大軍がやって来た。敵は我が軍が準備をする間もなくすぐに現れたのだ。我が軍はここで戦闘準備を整えこの日はここで待ち、翌日も昼まで待っていた。結局、敵は渡ってこないでアブビルへ引き返し、我が軍は敵に対して反対側が森になるクレシーへ向かった。
 8月26日の土曜日に我が軍がクレシーに来た朝には敵が近くにやって来ていた。敵の大軍は8千人のジェントルマンと騎士と準騎士を含む一万二千の装甲兵である。我が軍は戦列を引き徒歩で昼頃まで待ち、開けた場所で両軍は相対した。戦いは激烈で長く続き昼から夕暮れまで続いた。敵は気高く持ち堪え、何度も回復したが、最後には神の祝福により打ち破られて逃げ出した。ここでボヘミアとマヨルカ王、その他多くの伯や諸侯に大貴族、名も分からぬ者が殺された。最初の突撃が行われた小さな場所ですら千五百人以上の騎士や準騎士が死に、そことはまったく別のところでも戦場のいたるところで多くの者が死んだ。勝利の後で、我々は一昼夜飲まず食わずで食をとらずに過ごした。翌朝、敵を追撃して更に四千名の装甲兵や、ジェノヴァ兵、その他の武装兵を殺した。
 敵は敗退後にアミアンへ行き、ここで裏切り者として多くのジェノヴァ兵を殺した。そして敵が再び我らを攻撃すべく新たな軍を集結させているとの報告が来たが、我らは神を信じ、神がこれまで通りに我らに恩恵を与え続けて下さるように祈った。そしてイギリスからの増援と補給を受けるべく海へ向かって進軍した。装甲兵と装備、その他に必要なものがあった。なにせ我らは長い行軍を続けてきたのだから。しかし、我らは神の助けで戦争を終わらせるまではフランス王国を離れるわけには行かない。1346年9月3日にカレーにてプライベートシールを押した。

Richard Barber編 The Life and campaigns of the Black Prince BOYDELL 1979年」 20から23頁より翻訳

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