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黒太子伝 クレシーの戦い
14世紀後半に黒太子の腹心たるジョン・チャンドスの紋章官が書いた黒太子伝である。
誇張や脚色が多いと言われるが、黒太子を直に見てきた人物の筆に拠るものであり、黒太子を知る上では一番の史料だといえる。
ここでは、1346年8月26日に
フランス王とイギリス王が激突したクレシーの戦いの部分だけを翻訳した。

クレシーの戦い

「如何にフランス王が三人の王と大規模な軍と共にクレシーへ来てイギリスと戦ったか。」
フィリップ王がこれを聞いた時、心の底から悲しくなり怒っていった。「聖パウロよ、余は裏切りだと思うぞ」。
それと同時に急いで準備をしてアブピルを通過した。彼の服装は他の三人の王、マヨルカ、ボヘミア、ドイツ王と同様にとても豪華だった。
そこにいた公や伯も十二分に豪華だった。彼らは遅滞することなくクレシー近郊のポンティエユへ前進して停止した。
エドワード王はこの日、前衛部隊を指揮する太子と共にここでキャンプを張った。停止して直ぐに両陣営は敵の隊列が直ぐ近くにいるのを見たと語った
続いて叫び声があがり、各々の部隊は作法に従って戦闘態勢を布いた。

「クレシーの戦い:如何にボヘミア王、ロレーヌ公、8人の伯と多くの者がこの戦いで殺され、3人の王と多くの者が敗北して逃げ出したか。」
この日の戦闘で最高に勇敢な者でさえ怯えるほどの恐ろしいことが起きた。フランス王の強力な部隊の見映えはもの凄いものだ!
激しい憎しみと怒りで両軍は対面し、騎士風の装備の彼らの武器の応酬が起こり、この激しい戦いでキリストの降臨は起こりえなかった。
金やシルクで刺繍された多くの旗がはためいていた。イギリス兵は全員歩行で、戦いを待ち望み準備を整えた。
善良なる太子はここで前衛を率い、不思議に思えるほど勇敢なるが故に礼儀正しかった。
太子は誰よりも早く攻撃のチャンスを掴んだ。彼は勇敢で力強かった。彼らはこの日、イギリスが敵を打ち負かすまで戦い続けた。
高貴で礼儀正しいボヘミア王はここで殺され、最も高貴な指揮官たる善良なるロレーヌ公も、高貴なるフランドル伯、王の兄弟アランソン伯、ジョニア伯とアルコートも殺された。
一人の王と、一人の公、7人の伯、60名以上のナバレットがここで殺された。3人の王は戦場を離れ、他多くの者が逃走した。
−−どのくらいの人数か私は知らないし、数えた人数は正確ではなかった。
しかし、私はこの日、勇猛で高貴な太子が前衛で戦ったことは正確に知っている。そして我々は戦場での勝利が太子や太子の人柄を通してきていることを覚えている。

Richard Barber編 The Life and campaigns of the Black Prince BOYDELL 1979年」 88から89頁より翻訳

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