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ヘンリー・ボーフォート史料集
シェイクスピアの「ヘンリー6世」で金に汚い腐れ坊主と描写され、ジャンヌダルクを死刑に処す為に尽力し、
フス派を叩き潰す為にヨーロッパ中に支援を呼びかけて集めた軍と物資を勝手に百年戦争に転用した詐欺師野郎。
なかなか、悪い評価の絶えないボーフォートだが、
ランカスター公ジョン・オブ・ヘントの庶子として生まれて肩身の狭い思いをしながらも、
ウィンチェスター司教に登りつめてイギリスの教会を牛耳って莫大な財をなし、
対立するグロスター伯を政争で蹴飛ばしてイギリスの政治の中心にも登りつめた凄いやつ。
それが、ヘンリー・ボーフォートだ!
そこで、ヘンリー・ボーフォートの実像を史料の中に見いだそうかと思って史料訳なんぞ始めてみやした。

目次

  1. リチャード二世のボーフォート家の承認
  2. ボーフォートとグロスター公の喧嘩
  3. 対フス派遠征軍のフランス戦への転用契約

リチャード二世のボーフォート家の承認
1397年にランカスター公ジョン・オブ・ヘントの庶子だったジョン、ヘンリー、トーマス、ジョアンを正式の王族の一員として承認し、ボーフォート家を起こすことを認可した証書である。これによりヘンリーも正式な王族として立身出世の糸口を掴んだのだ。承認前、ヘンリーは王家に属する単なる役人だったようだが、これ以降彼は貴族としてより高い地位ヘ昇ることとなる。
 王の命により議会、司法官は15日の火曜日に、王の非常に卓越した人柄と、王の立派な叔父たるギュイエンヌおよびランカスター公と公の血族に敬意を抱く我らが聖なる父たる教皇が我が主たるジョン・ボーフォートと彼の兄弟や姉妹の承認を宣言した事を記憶しておくように。そして、イングランドの王国において皇帝の如き我らが主たる王が彼の血筋の名誉にかけて望み、王室の全力を挙げて王の権威に基づき、前述のジョン、彼の兄弟、姉妹を承認し、はっきりとおおやけに王の証書の形式に従って承認した。それ故にこの証書は議会で公開されて読み上げられ、前述のジョンと、彼の兄弟、姉妹の父たる公へ渡される。証書は以下である:
 リチャード、神の恵みによりイギリス、およびフランスの王にしてアイルランドの支配者より、最も親愛なる貴族、騎士のジョン、クラーク(王室役人)のヘンリー、若きジェントルマン(郷士)のトーマスへ、愛すべき貴婦人にして若人たるジョアン・ボーフォートへ、親愛なる叔父たるランカスター公ジョンの子供らへ、我らの臣下達へ、我ら王室の権威において挨拶と慈悲を贈る。我らは我らの叔父の誠実な愛情や父の如き愛と、我らの内なる十分な助言により祝福された絶え間なく誠実な意志を通して、彼らの上品な人柄の値打ちと熟慮についての我らの知識に基ずく合理性と価値感を通して、大いなる価値や生活や態度の誠実なことにより輝き、王家の血筋から生まれ、多くの徳と善良なしるしを与えられている諸君に、我らは特別な特権の恵みと好意と祝福を与える。そして、我らの叔父、諸君の父の祈りによって生じ、諸君は血統に欠陥を持ち...我らは名誉、尊厳、卓越性、状態、地位、公私の官職、永続的か一時的か、封と貴族...に関わらず望む...それは我らから仲介されて或いは直接に...諸君は完全に、自由に、合法的に、諸君が合法的な結婚によって生まれたかの如く、与えられ、維持し、行使できる...我らの王国の状態と制度は国の状態に関わらず存在し...そして我らは王室の力と議会の賛同の十分なる徳による権利の存在により権利を諸君に行使し、我らは諸君を承認する...そして諸君は子供を持つことができる。

「David.C.Douglas編 English Historical Documents 1327-1485 Vol.4 EYRE&SPOTTISWOODE 1969年」169頁より翻訳

ボーフォートとグロスター公の喧嘩
1425年に発生したジョン・ボーフォートとグロスター公の対立に端を発した騒動の記録である。この二人は犬猿の仲だったようでシェイクスピアの「ヘンリー6世」の中でもよく喧嘩している姿が描かれている。

15世紀のロンドン市民の書いた年代記の一部「グレゴリーの年代記」
そして同じ年(1425年)に市長が9月29日にウエストミンスターで宣誓した;そして市参事会員や良き市民と共に食事をすべく家に来た時、市長達が食事を終える前に、グロスター公が市長達を呼び寄せて話をしようと市長達を喚んだ。そして市長達が来た時に、公は市長に夜も都市を十分に警戒して、よく見張るように命令した。この頃、我が主たるグロスター公とウィンチェスター司教の仲は良くなかったので、それは全夜において行われた。朝には我が主たるグロスター公と市長の指揮の元に男達がロンドンの橋の門を警戒した。九回と十回の鐘の間にウィンチェスター司教の部下達がやって来て、サウスワーク・サイドの端にある橋を封鎖していた鎖を外した。この男達には騎士や準騎士と多数の弓兵達がいて、戦いの準備をし、まるで戦争でもするかのように窓を封鎖して障害物を用意した。彼らは王の巨民に対して戦いを仕掛けて和平を破壊しようとしていた。都市の人々はそれを聞きつけ、急いで店を閉じ、都市の管理する橋の門と王の敵に対する都市の救済のことが伝わり、ロンドン中の店が一時間で全て閉店した。次にカンタベリーの主とポルトガルの公がやって来てグロスター公とウィンチェスター司教の交渉を取り持ち、この日、彼らは公と司教の間を八回往復した。神に感謝する。市長と市参事会の良き市会を通して皆に知らせが届き、皆家へ帰った。市にまったく被害がなかった事を神に感謝する。

ロンドン年代記の一部
その直ぐ後でウィンチェスター司教は海の向こうのフランスにいるベドフォード公へ手紙を出した。内容は以下である。
 「正しく高貴で力強き公へ...私は私の情熱と愛情の全てをもって貴方にお勧めします;貴方が我らが君主たる王とイギリスとフランスの王国の幸福を、そして貴方自身の幸福を、そして我ら全てのそれを望むのと同じくらい、急いでここに来てください;確かなことは貴方が遅れるようなことがあれば、この地で戦いが起こる危険があることです。貴方の弟のように貴方もここに。イギリスの幸福におけるフランスの繁栄の位置付けをよく知る貴方の学識によって神は弟を良き男とします。高貴にして力強き公よ、伏してお願いいたします...貴方の侍従、ウィリアム・ボッテラー卿にお預けします。貴方に三位一体の祝福あれ。聖夜の前日に大いに急いで書いています。貴方の真実の使用人として私の人生の終わりに。ヘンリー・ウィンチェスター」
 そしてクリスマスにベドフォード公はフランスを出てイギリスへ向かった。王はクリスマスをエルザムで過ごし、ウィンチェスター司教はメルトンで過ごしていた。なぜなら、公は病気のせいでそこにいてロンドンに来なかったからで、クリスマスの後、評議会は聖アルバンにあった;しかし、グロスター公はそこにこなかっただろう。この時、評議会はレスターに議会を招集して四旬節に議会を開始するように命令した。精神的にして現世の主の良き交渉と仲裁によってグロスター公とウィンチェスター司教の間で良き団結の合意がなされた。

「David.C.Douglas編 English Historical Documents 1327-1485 Vol.4 EYRE&SPOTTISWOODE 1969年」239から240頁より翻訳

対フス派遠征軍のフランス戦への転用契約
1429年にヘンリー六世と枢機卿ヘンリー・ボーフォートの間に結ばれた契約
1427年に対フス十字軍の教皇特使に任命されたウィンチェスター司教ヘンリー・ボーフォートに対してイギリス王ヘンリー六世は遠征軍の派遣を承認した。しかし、フランス戦の情勢が悪化し、対フス遠征軍はフランス戦へ転用される事になり、王と枢機卿の間で取り決めが結ばれたのだった。

 6月の最初の日にロチェスターで王の評議会の助言によって王を一方とし、我が主の従兄弟の枢機卿を一方として同意が結ばれて問題が解決した。
 最初に、王は評議会の助言により、キリスト教を堕落させようとしている異端者を減少させ、征服すべくボヘミア王国へ枢機卿と同伴するイギリス王国の臣民たる250名の槍兵と2500名の弓兵を連れ出す事を枢機卿に許可された。それでも、王と評議会は最近起きた巨大で悲しむべき、不運にして幸運な戦争に飛び込むべきか同じくらい考慮した。王の臣民へ前記の許可を出して王の叔父で我が主たるベドフォードとフランス王国内の誠実なる従属民の残りを大いなる危険の中に立たせたことで、フランス王国は失われ、破壊されたも同然な状態になる。そうしない為には迅速かつ遅滞なくイギリス王国で救援を手配して派遣することで支援と救援の手を差しのべる必要がある。そこで、枢機卿が用意した武装兵と弓兵があらゆる意味で王にとり絶対必要なものとなった。枢機卿は上記の件を王と王の全ての土地と臣民、特にフランス王国のベッドフォードの我が主とここの臣民を支える最高で単一の愛と、熱心さと、優しさをもって細かく検討し、以下の件について同意した。
 我が主たる枢機卿は自身と共に王の臣民たる自らの家臣を率いてベドフォードの我が主の元たるフランス王国へ行き、ここで忍耐をもって、彼の全家臣の忍耐による枢機卿の最大の力をもって、王との合意に基づき半年の間、フランス王国の戦争に王のために従事する...
 王は高名なる前述の聖職者へ前述の費用と同じ額に相当する十分な担保と報酬を提供する。この支払いは長く遅滞することも遅れることもなく、次の2月の最後の日に半分が支払われ、5月の最初の日に残り半分が支払われる。

「David.C.Douglas編 English Historical Documents 1327-1485 Vol.4 EYRE&SPOTTISWOODE 1969年」244から245頁より翻訳

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