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トーマス・ダグワースの報告書 ラ・ロッシュ・デリアンの戦い
ラ・ロッシュ・デリアンの戦いでイギリス軍の指揮を執ったトーマス・ダグワースが本国へ送った報告書。

この上なく親愛にして尊敬すべき主よ、陛下にブルターニュからご希望の報告をお送りします。
サー・シャルル・ド・ブロワはラ・ロッシュ・デリアンの町と城を攻城していました。
彼の軍は上品な物言いの騎士と従者の装甲兵1200名、その他の装甲兵600名、この国の弓兵600名、クロスボウ2000名と民兵で、民兵の兵力はわかりません。
サー・シャルルは陣地の周りに大規模な塹壕を築き、要塞の外周にあらゆる方法で壕や柵を築き、周囲半リーグを占めるか破壊したために、
我が弓兵は彼や彼の軍の優位に立つことができないどころか、開けた場所で戦っても当然お終いになります。
そして彼と臣民は私がやって来ることをスパイを通して知っていまして、夜通し軍を集結させ、戦闘準備を進めました。
我が軍と私は6月20日の日没1時間前に彼らへ向かって進み、神の祝福のおかげで彼は戦場を失い、完全に敗退し、そこで神を称えました。
私の部隊は300名の装甲兵と400名の弓兵です。
他に、サー・リチャード・トーテシャム、イープルのハネキン、晴れた日に出帆して我が軍に編入されたラ・ロッシュ・デリアン守備隊がいました。
彼らは我らに向かいました。我らに対して敵はもの凄く騎士らしくありました。
我々は日が昇る前に1部隊づつ4部隊の敵と戦いました。
この日、ロード・ラバル、ローハンの副伯、ロード・シャトーブリアン、ロード・マルトストロット、ロード・クィンティン、ロード・デルバルと彼の息子、サー・ラルフ・デ・モントフォート、
他の多くの騎士や従者(600から700の装甲兵)、民兵を殺しました。私は陛下に一部のことしかお話しすることしかできません。
そしてサー・シャルル・ブロワ、サー・ガイ・デ・ラバル、この戦いで死んだロード・ラバルの息子で後継者、ロード・ロシュホール、ロード・ビーアマナー、ロード・ローハ、
ロード・メリク、ロード・ティンテニー、他の多くの指揮や従者をこの戦いで捕らえました。


「Clifford.J.Rogers編 The Wars of Edward III BOYDELL 1999」140から141頁より翻訳

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