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年表

年代英仏の衝突イギリスでの出来事フランスでの出来事その他
1337年仏王フィリップ六世が英領ギュイエンヌの没収を宣言。
イギリスはフランスに宣戦布告。
ウォルトン法の制定:国王権力と財政の強化
1338年英王エドワード三世がフランドルに上陸し、大陸の同盟者達と会合して帰国。
1339年英王エドワード三世がカンブレーを包囲。仏王フィリップ六世もこれに対応して出陣し両軍は遭遇したが戦闘に至らず。英王エドワード三世はカンブレーの囲みを解いて帰国。
1340年スロイスの海戦:フランス艦隊が大敗し、イギリスが制海権を握る。英王エドワード三世がガン市でフランス王即位を宣言。
1341年ブルターニュ継承戦争勃発一方のモンフォール伯ジャンは英王を主君と宣言し、他方のシャルル・ド・ブロアは仏王に援助を求める。
1342年モーレイクスの戦い:ブルターニュ継承戦争でモンフォール・イギリス連合軍がブロア・フランス連合軍を敗る。
ヴァンヌの戦い:ブロア・フランス連合軍がモンフォール・イギリス連合軍を敗る。
英軍が英王エドワード三世がブルターニュに上陸し、領土の一部を占領。仏王フィリップ六世もブルターニュへ出兵するも英王とは戦闘に至らず。
1343年エスプレシンの休戦条約教皇クレメンス六世の仲裁で休戦する。
1345年南仏のバヨンヌにランカスター公ヘンリー率いる英軍が上陸。
1346年英王エドワード3世がノルマンディーに上陸し、カン市を占領。仏王フリップ六世も対応して自ら出陣。
クレシーの戦い:英王と仏王の直接対決はイギリスの決定的勝利。
英王は会戦後、カレー市を包囲。
スコットランド王デービット二世がイギリス領へ侵攻する。
ネヴィル・クロスの戦いイギリス王妃フィリッパがスコットランド王デービット二世を敗る。
1347年仏王フリップ六世はカレーへ出陣するも、カレーを救えず退却し、カレー市は降伏。
ロッシュ・デリアンの戦いブルターニュ継承戦争でモンフォール・イギリス連合軍がブロア・フランス連合軍を敗り、シャルル・ド・ブロアを捕虜にする。
カレー休戦条約で五年期限の休戦条約締結。
西ヨーロッパで黒死病が蔓延。
1348年ガーター騎士団創設
1349年 労働者勅令発布:議会で労働者の最高賃金を定めた。
1350年ウィンチェルシーの海戦英王エドワード三世がカスティリア海軍を敗る。仏王フリップ六世が没し、ジャン二世が後を継ぐ。
1351年労働者勅令発布:1349年の勅令を補足。
聖職者任命無効令:教皇庁の聖職者任免権を否定。
1351年の勅令発布:国王が物価高騰に対し、物価制限や販売競争の促進など一連の対策を定めた法令を発布。
1353年上訴禁止令:教皇庁への上訴を禁止する。1351年の聖職者任命無効令と合わせて、教皇庁からの自立強化。
1355年英皇太子エドワード(黒太子)が英領ギュイエンヌから南仏へ侵攻。
英王エドワード三世がカレーに上陸するが、直ぐに帰国。
1356年英皇太子エドワード(黒太子)が英領ギュイエンヌから北上。
ランカスター公ヘンリー率いる英軍がブルターニュから南下。
仏王ジャン二世が出陣し、ポワティエで黒太子の軍を補足。
ポワティエの戦いフランスが大敗し、仏王ジャン二世は捕虜になる。
スコットランドがイギリスへ侵攻する。
イギリスが反撃し、スコットランド軍を押し返して国境地帯を荒らす。
1357年全国三部会開催:国政改革「大勅令」を発布。
1358年エティエンヌ・マルセルの乱パリ市長の扇動した乱だが、彼の暗殺で沈静化。
ジャックリーの乱フランス北東部での大規模な農民一揆だが、直ぐに鎮圧される。
1359年英王エドワード三世がカレーに上陸し、ブルゴーニュへ侵攻。ゲクラン率いるフランス軍がゲリラ戦を仕掛け、英軍退却。
1360年ブレティニーの和約休戦とジャン二世の一時釈放
1362年黒死病が再び蔓延。
1363年ブルゴーニュ公国の興起。
1364年オーレーの戦いブルターニュ地方でモンフォール・イギリス連合軍がゲクラン率いるブロア・フランス連合軍を敗る。
ゲランド条約ブルターニュ継承戦争がモンフォール派の勝利で終わる。
ジャン二世が没し、シャルル五世が後を継ぐ。
1366年仏王とアラゴン王の後援を受けてエンリケがカスティリア王に即位。
1367年前国王ペドロ一世と英皇太子(黒太子)が同盟し、カスティリアへ侵攻。
ナヘラの戦い黒太子率いるイギリス軍が、ゲクランとカスティリア王エンリケ率いるフランス・カスティリア連合軍を敗り、ペドロ一世をカスティリア王に復位させる。
1368年 イギリス大陸領ガスコーニュで反乱
1369年仏王シャルル五世が大陸の全イギリス領の没収を宣言。
ゲクラン率いるフランス軍がカスティリア軍を敗り、ペドロ一世を捕虜にしてエンリケ二世をカスティリア王位につける。
リシニャンの戦い、ショービニーの戦い:フランス軍の連勝。
黒死病が再び蔓延
1370年ポンヴァランの戦いゲクラン率いるフランス軍が、カレーから南下してきたイギリス軍を撃破する。
1372年ラ・ロシェールの海戦南仏支援に向かったイギリス艦隊がカスティリア海軍に敗退する。
ゲクラン率いるフランス軍がギュイエンヌ地方の大半を制圧。
1373年ゲクラン率いるフランス軍がブルターニュ地方の大半を制圧。
1374年ランカスター公率いるイギリス軍が彼に上陸し、ボルドーへ向けてフランス横断を行う。これに対してゲクラン率いるフランス軍がゲリラ戦を展開する。
1375年ブリュージュ条約二年間の休戦条約。イギリスの大陸所領はカレー、ブレスト、ボルドー等の数都市に過ぎなくなる。フランドル伯に対してフランドル諸市が蜂起する。黒死病が再び蔓延。
1376年ウェストミンスターで「模範議会」開催:王側近の粛正と3年間の関税徴収を承認。
英国の皇太子、黒太子が没する。
1377年第一回人頭税の徴収
英王エドワード三世が没し、リチャード二世が後を継ぐ。
アヴィニョン教皇がローマへ帰還し、アヴィニョン虜囚終わる。
1378年カスティリア海軍がコーンウォルを襲撃。
イギリス軍がフランスのシァーブルを攻略。
アヴィニョンで教皇が就任してローマ教皇と対立し、教会大分裂が始まる。フランスはアヴィニョン教皇を支持し、イギリスはローマ教皇を支持する。
1379年フランス・カスティリア海軍がイギリス南部沿岸を広範囲に攻撃し、ワイト島を占領する。
ゲクラン率いるフランス軍がブルターニュへ侵攻する。
第二回人頭税の徴収黒死病が再び蔓延
1380年カレーにバッキンガム伯率いる遠征軍が上陸し、成果なく退却する。戦費調達を目的に議会が開かれ、人頭税徴収が決まる。シャルル五世が没し、シャルル六世が後を継ぐ。ゲクランが病死する。
1381年第三回人頭税の徴収:ワット・タイラーの乱を誘発。
ワット・タイラーの乱イングランド南東部の富農や商工者や中小領主などが参加した反乱。
ニヴェルの戦い:フランドル都市ガンがフランドル伯に敗退。
1382年パリで反乱が起こる。
ブリュージュの戦い:ガン市がフランドル伯を撃ち破る。
フランスがフランドルの騒乱に介入。
ローゼベケの戦い:ガン市が敗北する。
1383年 十字軍として英軍がフランドルに侵攻するが、失敗する。
1384年シャルル六世が親政を開始。
フランス・スコットランド同盟が成立
1385年 リチャード二世自らスコットランドへ遠征したが成果なく終わる。 トゥルネの和約:フランドルの騒乱が終わる。
1386年ランカスター公がカスティリアに遠征。
対仏戦の戦費調達を目的に招集された議会で王の側近達の解任が求められ、諸侯派と王派が対立する。
1387年イギリス艦隊がフランス・カスティリア連合艦隊を敗る。ラドコット・ブリッジの戦い英王リチャード2世の側近アイルランド公が諸侯派グロスタ公・ダービ伯に敗れ、王の力が弱まる。
1388年「無慈悲議会」と呼ばれるこの年の議会で王の側近の多くが処刑される。
ドイツ・ハンザ特権の再確認。
1389年英仏休戦条約が締結される。英王リチャード2世が親政を宣言し、諸侯派の高官の多くを解任する。黒死病が再び蔓延。
1392年シャルル六世が精神病を患い、ブルゴーニュ公フィリップが国王執政となり国政を統括。
1394年 リチャード二世がアイルランドへ遠征する。
1396年フランスとイギリスが28年期限の休戦条約を結ぶ。議会で諸侯が和平に反対する。
1397年英王リチャード2世が私兵と側近団を強化し、反対派を弾圧する。
1398年英王リチャード二世がランカスター公ヘンリーを追放する。
1399年英王リチャード二世自らアイルランド遠征を行う。
ランカスター公ヘンリーがイギリスに上陸し、英王リチャード二世も帰国するが、反対派に捕らえられる。
英王リチャード二世が廃位され、ヘンリー四世が即位する:プランタジネット朝が終わり、ランカスター朝が始まる。
1400年元英王リチャード二世が殺害される。
英王ヘンリー四世がスコットランドに侵攻する。
1401年 ウェールズで反乱が起こり、ヘンリー四世自ら数度に渡り遠征を行ったが成果なく終わる。
1402年 ウェールズにヘンリー四世自ら遠征を行ったが成果なく終わる。
ハミルドンの戦い:スコットランド軍が南下を開始したが、ノーサーバーランド伯に撃ち破られる。
1403年ブルターニュ沖でイギリスとブルターニュ海軍が戦闘を交え、ブルターニュ海軍がイギリス艦隊を撃破する。ノーサーバランド伯が反乱を起こす。
シュルーズベリの戦いヘンリー4世自ら軍を率いて反乱軍を撃破し、ノーサーバランド伯は捕虜になる。
1404年 イギリスのカレー守備隊がフランス北東部を攻撃し、その報復としてフランス海軍がイギリス南岸を攻撃。
1405年フランスの遠征軍がウェールズに上陸し、ウェールズ反乱軍と合流する。ノーサーパランド伯が反乱を起こすが、目立った戦闘もなく鎮圧される。
ヘンリー四世自らウェールズ反乱鎮圧のためにへ遠征するも失敗する。
ブルゴーニュ公フイリップが没し、ジャンが後を継ぐ。
1407年ブルゴーニュ公ジャンがオルレアン公ルイを暗殺し、アルマニャック(オルレアン)派とブルゴーニュ派の対立が激化する。
1408年ブラナムの戦いノーサーバラント伯が戦死し、反乱が鎮圧される。
ドイツ・ハンザのプロシアグループと通商条約を結ぶ。
皇太子ヘンリー(後のヘンリー五世)がウェールズに遠征し、中部ウェールズを制圧する。
1411年ブルゴーニュ公がイギリスと同盟を結び、アランデル伯率いるイギリスの遠征軍がフランスに渡りブルゴーニュ公の軍に合流する。パリで、ブルゴーニュ公ジャン率いるブルゴーニュ派がアルマニャック派を敗る。
1412年アルマニャック派とイギリスが同盟を組み、クラレンス公率いるイギリス軍がブルターニュに上陸し、プールジュを包囲しているブルゴーニュ公ジャン率いるブルゴーニュ軍を撃退する。アルマニャック派とブルゴーニュ派の和約が締結され、パリはアルマニャック派の手に入る。
1413年英王ヘンリー四世が没し、ヘンリー五世が後を継ぐ。
異端ロラード派の反乱が失敗し、ロラード派の大弾圧が起こる。
ガボッシュの乱:パリで民衆反乱が起こったが、アルマニャック派に鎮圧される。黒死病が再び蔓延。
1414年英王ヘンリー5世が仏王シャルル六世にフランス王位継承権や大陸の旧イギリス領を要求する。アルマニャック派がコンピエーヌ等、フランス北東部を占領する。
1415年英王ヘンリー五世がノルマンディーに上陸し、アルフルール市を占領。
アルマニャック、ブルゴーニュ両派の貴族により編成されたフランス軍が出陣。
アザンクールの戦いフランスの大敗。アルマニャック派の領袖オルレアン公シャルルが捕虜になる。
1416年 アルフルールの戦い:アルフルール市を巡り、陸海で英仏が激突し、イギリス艦隊がフランス艦隊を撃ち破り、イギリスがアルフルール市を確保する。
1417年ラ・ウーグの海戦フランス艦隊が壊滅し、イギリスが制海権を握る。
ヘンリー五世率いるイギリス軍がノルマンディーを占領。
スコットランド軍がイギリスへ侵入したが、撃退される。アヴィニョン教皇とローマ教皇が辞任し、新たなローマ教皇を選出してローマ教皇一本に統一する事で教会大分裂が終わる。
1418年ヘンリー五世率いるイギリス軍がルーアンを占領。ブルゴーニュ派がパリを占領。
1419年ヘンリー五世率いるイギリス軍がオルレアンを占領。ブルゴーニュ公ジャンが暗殺され、フィリップが後を継ぐ。
1420年ラ・ロシェールの海戦イギリス艦隊が敗退。
トロワの和約ブルゴーニュ公フィリップと仏王シャルル六世が英王ヘンリー五世と条約を結び、ヘンリー五世にフランスの王位継承権を認める。
1421年ボージェの戦いフランス総督クラレンス公率いるイギリス軍がアルマニャック派の軍に破れ、クラレンス公が戦死しす。サブレ条約ブルターニュ公がアルマニャック派と同盟を結ぶ。
1422年英王ヘンリー五世が没し、ヘンリー六世が後を継ぐ。
ベッドフォード公がフランス総督に就任する。
仏王シャルル六世が没し、ヘンリー六世とシャルル七世が後を継ぐ(但し、両者とも正式な即位はしていない)。
1423年ブールヌーフの戦いイギリスの敗退。アルマニャック派がパリ近郊を占領。
1424年ヴェルターユの戦いベッドフォード公率いるイギリス軍がアルマニャック派を敗り、イル・ド・フランスの一部を占領。
1425年ベッドフォード公率いるイギリス軍がメーヌ州に侵攻。
1426年サッフォーク公率いるイギリス軍がブルターニュに侵攻。
1427年モンタルジスの戦いフランス軍がイギリス軍を敗る。黒死病再び蔓延。
1428年イギリスとブルゴーニュ公の連合軍がオルレアン市を包囲。
1429年鰊の戦いアルマニャック派の軍がオルレアン近郊でイギリス軍の補給部隊を攻撃して大敗する。
オルレアン市にジャンヌ・ダルク率いる援軍が到着し、包囲を破る。
アルマニャック派がランスへ向けて進軍を始める。
パテーの戦いイギリスが大敗する。
アルマニャック派がランスを占領し、シャルル七世は正式の戴冠式を行う。
フランス軍(以後アルマニャックではなくフランスと呼ぶ)はパリを攻撃して失敗する。
1430年コンピエーニュの戦いブルゴーニュ派との戦いでジャンヌ・ダルクが捕虜になる。
1431年ジャンヌ・ダルクはイギリスに渡され、裁判の後に処刑される。
イギリス・ブルゴーニュ連合軍がパリ周辺のフランスの拠点を占領する。
英王ヘンリー六世がパリで仏王として正式に即位する。
1433年黒死病が再び蔓延
1435年リッシュモン率いるフランス軍がノルマンディーへ侵攻。フランス総督ベッドフォード公が死去する。アラスの和約ブルゴーニュ派とアルマニャック派が和解し、両派ともシャルル七世を正式の王として認める。
1436年リッシュモン率いるフランス軍がパリを占領する。
フランス軍がカレーを攻撃するも失敗。
1437年ヨーク公率いるイギリス軍がパリを攻撃するも失敗する。ドイツ・ハンザと相互の商業特権の条約が結ばれ、イギリス商人はハンザの牙城プロシア諸都市で自由に商業を営めるようになる。
1439年イギリス軍がブルターニュへ侵攻するも失敗する。ブールジュ国本勅書:フランスの教会がローマ教皇からの自立強化。
1440年フランス総督にヨーク公が就任する。プラグリーの反乱王太子とブルボン公を中心にした反乱が起きたが、仏元帥リッシュモンにより鎮圧される。
1441年フランスがシャンパーニュとイル・ド・フランス地方の大半を制圧。
1442年仏王シャルル7世率いるフランス軍がギュイエンヌ地方に侵攻。
サマセット公率いるイギリス軍がブルターニュに上陸。
海洋管理のための法令発布ドイツ・ハンザに対する実質的な宣戦布告
1443年サフォーク公一派の独裁体制が確立する。
1444年トゥール休戦条約ブルターニュが正式にフランス側に立つ。
1445年サマセット公率いるイギリス軍がブルターニュに侵攻。リッシュモンによるフランスの軍制改革で常備軍の設置
1446年フランス総督のヨーク公が解任され、ドーセット候が就任する。
1447年対仏強硬派の筆頭と目されていたグロスタ公が逮捕され、急死する。
ヨーク公はアイルランド総督になる。
1448年フランスのメーヌ地方からサマセット公の指揮で全面撤退が行われる。
1449年リッシュモン率いるフランス軍がノルマンディーに侵攻し、大半を制圧する。ドイツ・ハンザに対して大規模な通商破壊を行う。
1450年フォルミニーの戦いイギリス軍が大敗し、ノルマンディーを完全に失う。サフォーク公が失脚して殺害され、サマセット公が権力を握る。
ジャック・ケイドの乱ケント州を中心にした乱で、一時ロンドンを占領した。政府はこの乱を鎮圧できず、赦免状を出して反乱軍と和解した。
ヨーク公がアイルランドから帰還する。
1451年仏王シャルル7世率いるフランス軍がギュイエンヌ地方に侵攻。
1452年ヨーク公がサマセット公の処分を求めて軍事的示威行動を起こすが失敗し、逮捕される。ジャンヌ・ダルク復権裁判
1453年カスティオンの戦いイギリスが大敗し、ギュイエンヌを失う。
この時点で大陸でのイギリス領はカレーだけとなり、百年戦争が終わる。
英王ヘンリー六世が精神病を患い、サマセット公が失脚して逮捕される。

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