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トーマス・サムソンの手紙 ネヴィルズ・クロスの戦い
クラーク(王の役人)のトーマス・サムソンがネヴィルズ・クロスの戦い直後に戦いの様子を報告した手紙。

そしてここ(ボールペール)で彼らはテントを広げ、このような場所では見ることすらないような最も高貴で豪華な大型テントが広げられ、
いくらでも供給できるくらい、あらゆる種類の食糧が充分に積み上げられていた。
これほどのことが素晴らしき神の祝福を受けたヨーク大司教と、他の偉大な北部の人々−−アンガス伯、ロード・パーシー、モーブレイ、ネヴィル、デインコート、モウレイ、
レイボーン、スコープ、ムスグレイブ、ヨーク州シェリフ、サー・ロバート・ロベルトラム、ノーザンバーランド州シェリフ、他多くの貴族により成し遂げられ、
リッチモンドで騎手が参集し、バーナード城の敵へ向かって移動した。そしてここからアウクランドの城へ向かった。そしてここの広場で宿営をした。
そして、我らが主イエス・キリストの顕現から1346年と10ヶ月と17日目に、イギリスの王国と聖なる教会、住民の防衛の為に、敵に対するべくダラム市へ向かって移動した。
スコットランド王と全軍は我が軍に向かって進み、両陣営は到来し、部隊を整列させた。
我が陣営の第一の部隊はロード・パーシー、ネヴィル、モウレイ、スコープ、ムスグレイブ、ノーザンバーランド州シェリフ、旗手同様のサー・アンドリュー・フィッツラルフである。
第二の部隊は大司教猊下、アンガス伯、ロード・デインコート、サー・ロジャー・・ラ・ゾウチェ、ラルフ・ヘイスティング、
ビバリーの主席司祭、トゥビルの旗手、我らが淑女の旗手、聖ヨハネの旗手である。
第三の部隊と後衛はロード・モーブレイ、ロード・レイボーン、ヨーク州シェリフである。
ここにいる我らの兵士は1000名の優良なる装甲兵と、1000名を越える軽騎兵、10000名以上の弓兵、ちょうどトレントとハンバーの北から来た20000名の民兵である。
そして彼らは対戦し、十二分に戦い、この戦いで敵が完全に敗退するまでに、朝から昼までの驚くほど長い時間戦い続けた。
2度、我が軍の弓兵と民兵は退却した。されど、我が軍の装甲兵は弓兵と民兵が回復するまで善戦した。
そして神が祝福と徳を我らにお与えくださり、勝利できた。そしてデーヴィド王とスコットランド軍は敗れた。そしてこの戦いで、殺されるか捕らわれた。
デーヴィド王は負傷してジョン・コープランドに捕らえられた。モーレイ伯、その他の伯、貴族、諸侯などのスコットランドの騎士たちは捕らえられるか殺された。
彼らの名前はこの手紙の裏に全て書き記してある。
ロード・ルーシーは多くの装甲兵を率いて急いで来たが、戦いには間に合わず、敗走兵と出会って熱くなって追撃を行い、敵がスコットランドにたどり着く前に多くを殺して捕虜にした。
ロード・ティベトフトはベリックの町を守り、敗北の知らせが届くまで、彼の部隊は町の広い範囲を掌握していた。
ダンバーの城より遠くで敵と出くわし、多くを捕らえ、殺害し、ほとんど値打ちのない者たちが逃げ切った。
神に感謝します!

「Clifford.J.Rogers編 The Wars of Edward III BOYDELL 1999」138から139頁より翻訳

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