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ペドロ1世伝 ナヘラの戦い
カスティリア王エンリケの家臣でナヘラの戦いにも参加したロペス・デ・アヤラが14世紀後半に書いたペドロ1世伝である。
ここでは、1367年4月3日に
フランス王の後押しを受けたカスティリア王エンリケとイギリスの黒太子の後押しを受けたペドロ1世が激突したナヘラの戦いの部分だけを翻訳した。

ナヘラの戦い

今回利用した史料集に収録されているアヤラ伝は一部省略されていたので、残念ながら部分訳。


エンリケ王、我らが言ったように、彼がいる地点と、ペドロ王と太子が通る地点の間にナヘラ河の流れが来る場所でキャンプをした。
そして、河を渡って、敵が到来しつつあるナバレットの反対側にある広い場所で会戦することに決め、実行に移した。
そして、王と共にいた者の多くが頭を抱えた。
なぜなら、彼らは王が前にいた場所の方が新たに来た場所より地の利があるとしてキャンプを続けた方がよいと考えていたからであるが、
エンリケ王は非常に大きな勇気持つ人だった。・・・・・・(省略)
王はいかな利点が無かろうと、あらゆる方法を使って平原での会戦を求めていた。
ペドロ王と太子の軍は4月3日の土曜日にナバレットを離れた。・・・・・・(省略)
太子の軍はエンリケ王がいる場所に着く遙か前で全員下馬した。・・・・・・(省略)
彼らが戦いに参加して、敵に対する暴力が荒れ狂い、両陣営で兵らは槍を地面に落として接近し肉弾戦を展開し、剣や斧、短剣で斬り合い、
ペドロ王と太子の軍は「ギュイエンヌ、聖ジョージ!」と雄叫びを挙げ、エンリケの軍は「カスティリア、聖ジェームズ!」と雄叫びを挙げた。
太子の前衛が僅かに後れをとり、エンリケ王の前衛は勝利を確信して、敵に向かって更に激しく前進し、大いなる勢いで襲いかかり始めた。
ドン・テロ、エンリケ王の兄弟。・・・・・・(省略)
彼はエンリケ王の前衛の左手で馬上にあり、戦いに参加しようとはしなかった。太子の前衛の右翼に当たる。・・・・・・(省略)
ドン・テロを攻撃した。そして太子と太子の部下達は攻撃を躊躇しなかったが、対する左翼は逃げ出し全面崩壊に陥った。
太子の右翼は騎馬隊の潰走を見て、エンリケ王の前衛歩兵部隊の背後に向かって旋回した。・・・・・・(省略)
歩兵隊は直ぐに殺され始めた。そして他の翼、太子の前衛の左手では相手となる騎兵が見いだされずに同じことが始まっていた。
エンリケ王の前衛の歩兵隊は太子の左翼に襲われたが、歩兵隊を助けられる者は誰もおらず、敵に全周を包囲され、全員殺されるか捕虜になった。
エンリケ王は歩兵隊を助けようと、二度と三度と馬に乗った。彼と共にいる馬上の者達が同じように行動するだろうと考えて。・・・・・・(省略)
しかし、誰も戦おうとしないのを見て、退却した。王はもの凄く力強い男だが、これでは敵に立ち向かうことはできないだろう。全騎兵隊は退却した。
彼らは戦場を捨て去り、イギリス人とガスコーニュ人、ブレトン人が彼らの後を追ってナヘラの町に入った。
エンリケ王の前衛は・・・・・・(省略)
殺された・・・・・・(省略)
四百人の装甲兵にのぼった。

「David.C.Douglas編 English Historical Documents 1327-1485 Vol.4 EYRE&SPOTTISWOODE 1969年」113から114頁より翻訳

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