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娼婦列伝 ローマ編

目次

  1. アッカ・ラレンティア
  2. キュンティア
  3. パエキア
  4. レスビア

アッカ・ラレンティア
左の絵はリッキ・セバスティアノ作「子供の頃のロムルスとレムス」 1708年 油彩画
http://www.hermitagemuseum.org/ より

 アッカ・ラレンティアはローマを建国した伝説の兄弟ロムルスとレムスの養い親です。ローマ建国者の養い親と言うだけあり、レランティアには多くの伝説や異説がまとわりついています。ラレンティアはアルバ王アムリウスの奴隷ファエストゥルスの妻で、娼婦も営んでいたようです。夫のファエストゥルスがロムルスとレムスの双子の男の子を拾い、ラレンティアとファエストゥルス夫妻はこの双子を育てることにしました。当時、娼婦のことを雌狼と呼んでいたところから、ロムルスとレムスは狼に育てられたとの伝説が生まれたと言われています。
 ロムルスとレムスが成人したある日、アムリウス王の牧人達と王の弟ヌミトルの牧人達の間で騒動が起こり、レムスがヌミトルの牧人達に捕まって王の元へ突き出されます。これが原因となり、ロムルスとレムスがヌミトルの娘の子供であることが分かり、二人を捨てたアムリウス王はロムルスとレムスが主導した反乱にあい、殺されました。その後、ロムルスとレムスは養い親と共に新しい町を作る為に旅立ちますが、二人は新たに町を作る場所を巡って争いになり、レムスが死にます。ラレンティアとファエストゥルスはレムスを丁重に葬ったそうです。この夜、夫婦の枕元にレムスの亡霊が現れ、夫妻にこの日をレムスを祭る日としてくれと頼みました。翌朝、夫妻はロムルスにレムスの亡霊の言葉を伝え、ロムルスは5月9日をレムスの日と定ました。以来この日にレムリア祭と呼ばれる祭りが行われるようになりました。
 この後の彼女の足跡は分かっていません。たぶん、夫と共にローマに留まったのでしょう。ローマでは建国者の養い親を祭る為に、12月23日をラレンティアの日と定めて、ラレンタリア祭と呼ばれる祭りが行われるようになります。当然、この祭りの起源についても異説はありますがね。

参考文献
・オウィディウス著 高橋宏幸訳 祭暦 国文社 1994年
・プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 中 筑摩書房 1987年 太田秀通訳「ロムルス」

キュンティア

 キュンティアは紀元前一世紀頃にローマで上流階級の男達を相手にした娼婦です。彼女は奴隷でも、解放奴隷でもない自由身分の女性だったようです。彼女は特定のパトロンを持つタイプではなく数多くのパトロンを抱えるタイプの娼婦です。彼女を見初めた客の一人に後の時代へキュンティアを伝えることになる詩人のプロペルティウスもいました。プロペルティウスは当時のローマの上層階層の人としては珍しく、純情で一途な性格だったらしく、初恋の人がキュンティアで思いを告げる事ができず一年近く悩み続けました。彼はキュンティアが娼婦をしていることはおろか、厚化粧をしていることすら許せないと感じるようなマジメくんでしたが、思いを遂げるべくキュンティアを買春し、彼女を独占したいと強く望んだのです。ほんとに、マジメくんの恋は盲目的で相手構わずなところがあって困りものです。だけど、キュンティアにとってはこの手のお客は扱いやすく、手頃な金ずるに見えたみたいです。時に邪険にし、時に甘えたりしてと巧みにプロペルティウスの心を掴み続けます。例えば、プロペルティウスが東方に出かけようとした時、泣きわめいて彼を止め、彼を殴りつけることもありました。逆に、プロペルティウスに思いっきり甘えてみたり、誕生日には彼と始めて合った時に来ていた服を着て彼を歓待したりもしました。
 キュンティアはお客の要求に従って盛んに旅行に出かけていました。プロペルティウスはキュンティアを引き留めようと彼女に懇願したりしましたが、キュンティアは彼の頼みを無視して各地を飛び歩いていたのです。旅に出ている間も彼の心をつなぎ止めておく手は打っていました。まれに旅行先から手紙を出して滞在先に来るように誘ったりしたのです。彼女は多くのお客をつかまえていたせいでとても忙しく、ローマにいる時ですらプロペルティウスが彼女を抱けたのは十日に一度だけでした。他の日は他のお客の相手をしていたのです。
 五年目のある日、さすがのプロペルティウスも彼女の心意を悟ります。彼女にとって彼はただのお客の一人に過ぎないのです。プロペルティウスは彼女の元を去りました。それから、暫くしてキュンティアは亡くなったようです。キュンティアはローマ近郊の街道沿いに埋葬されました。当時の平均的なローマ市民は街道沿いに埋葬されるのが常だったそうですから娼婦としてはかなりよい結末だったといえるでしょう。

参考文献
・ヴィオレーヌ・ヴァノイエク著 橋口久子訳 図解娼婦の歴史 原書房 1997年
・中山恒夫編訳 ローマ恋愛詩人集 国文社 1985年 「プロペルティウス詩集」

パエキア

 パエキアは紀元前一世紀の三頭政治が成立する少し前、後に三頭政治の一翼を担うポンペイウスが頭角を現し始めた頃、ローマの実権を握っていたケテグスを籠絡し、殆ど意のままに操り権力を握った娼婦でした。どうも、ケテグスだけじゃなくて他にも多くの政治家を操っていたみたいです。だからといって、女の武器を使って男共を虜にしていった、というわけではないのです。娼婦としては三流と見られていて、愛嬌の良さだけで売っている様な娼婦でした。ですが、とても頭の切れる女性で、政治的な権謀術策に長け、彼女が計画した策謀は成功率が高いと評判になり、男達は彼女の優れた頭を利用しようとして、逆に彼女に利用されたみたいです。持ち前の切れの良い頭でローマ政界を渡り歩き、ついにはローマの実権を裏から握り、彼女の助言なくしてローマの政治は動かないと言われるまでになりました。この当時ポンペイウスと軍事的功績を争い、ローマでも最も有能な将軍達の一人と目されていたルクルスはアジア、今で言うところのトルコで新たな戦争を起こして富と名声を手にしようと目論み、パエキアに近づき、実に多くの贈り物を贈ったそうです。この後、ローマは軍事的功績の大きな人々、ポンペイウスやルクルス、その少し後にはカエサルという人々に権力が集中し、人々の注目も彼らに集まるようになり、パエキアの存在は忘れ去られていったようですが、おそらくパエキアのことですから新しく出てきた権力者達の間をも巧みに渡り歩き、得意の権謀術策で陰から彼ら権力者達を籠絡し続けた事でしょう。

参考文献
・ヴィオレーヌ・ヴァノイエク著 橋口久子訳 図解娼婦の歴史 原書房 1997年
・プルタルコス著 河野与一訳 プルターク英雄伝7巻 岩波書店 1955年 「ルークルルス」

レスビア
左の絵はサー・エドワード・ジョン・ポユンター作「レスビアと雀」 19世紀末から20世紀初頭 油彩画
http://www.artmagick.com/より

  レスビアは不倫好きの既婚女性とも言われていますが、カトゥルスの詩を別の視点で見ると娼婦と見る事もできます。というより、その方が自然な気がします。彼女は特定の男性をパトロンに持ち、更にパトロン以外の男性も相手にするタイプの娼婦だったようです。レスビアの本名はクローディアと言いい、紀元前一世紀頃、ローマでメテルルスをパトロンにして生活していました。パトロンのメテルルスが死ぬ少し前に、レスビアの名を後世に伝える事となったカトゥルスと出会います。彼はローマの上層社会の快楽を欲しいままにした、悪く言えば放蕩者で、女性の扱いにも手慣れた強者だったようですが、女性慣れしたローマ貴族達を手玉に取ってきたレスビアの敵ではなかったようです。レスビアは思わせぶりな態度を取って邪険にしたり、思いっきり甘えてみたり、たまには思いを遂げさせてと、様々な手法を上手く組み合わせてカトゥルスを籠絡し、振り回します。カトゥルスはレスビアに夢中になり、レスビアのパトロンになり、ずいぶん搾り取られたみたいです。時に彼は友人に「財布の中は蜘蛛の巣だらけ」と愚痴を漏らしています。カトゥルスは一生懸命、レスビアに尽くしましたが、最後は捨てられてしまいます。絞れるだけ絞ってうまみが無くなってしまったのでしょうか。飽きちゃったのかな。捨てられてしまったカトゥルスはその思いを詩にしたためてレスビアを思い続けたみたいです。ですが、どれほどの年月が経っての事でしょうか、カトゥルスは町中で客引きをするレスビアを見かけたのでした。当時の娼婦は若くて男達が注目している間はいい思いができるのですが、若い間に一生面倒を見てくれるようなパトロンを捕まえられないと、「わずか十ドラクマで身を売りながら、しょっちゅう走りまわって飯にありつき、強い酒をあおってそのあげくお陀仏なんだ。」と、ギリシアの喜劇作家メナンドロスのこの言葉通りの状態に落ちてしまうのです。もしかするとレスビアも。
 レスビアは一羽の雀さんを飼っていました。この雀さんが死んだ時、レスビアは目を泣き腫らしたそうです。もしかすると、この雀さんこそ、レスビアの唯一の友達だったのかもしれません。

参考文献
・ヴィオレーヌ・ヴァノイエク著 橋口久子訳 図解娼婦の歴史 原書房 1997年
・中山恒夫編訳 ローマ恋愛詩人集 国文社 1985年 「カトゥルルス レスビアの歌」
・高津春繁編 ギリシア喜劇全集2 人文書院 1961年 「メナンドロス サモスの女」

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