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ギリシアの覇権はホモのモノ その5

ペルシア戦争
 ホモホモパワーでスパルタがギリシアの覇権を握った頃、中東では巨大な帝国が生まれ出ていた。ペルシア帝国である。ギリシアの植民市が多数存在するイオニア地方(現在のトルコの西岸地帯)を席巻したペルシア帝国はいよいよ本土攻撃にうって出た。最初の攻撃目標はアテナイ。そして、ペルシア軍はアッティカ地方東岸のマラトンに上陸した。アテナイは早速ギリシア諸国に援軍を求める使者を送り、自らも戦闘体制を整えた(1)
 しかし、アテナイもやはりギリシアの一等国である。この頃にはアテナイもホモホモパワーを手にしていた。例えば、前六世紀頃のアテナイの立法者ソロンは後にアテナイの僭主になるペイシストラトスと恋仲にあったし(2)アリストゲイトンとハルモディオスのホモカップルは、ハルモディオスに時の僭主ヒッピアースの弟ヒッパルコスが言い寄ってくると、二人で協力してヒッパルコスを殺害し、アテナイ人から僭主殺しと称賛されたが、それが原因で僭主ヒッピアースの圧政が始まっている(3)但し、どれ も美少年の外形の美しさに引かれての同性愛であり、スパルタのような心の愛ではなかった。そう、肉の愛なのである。
 マラトンに上陸したペルシア軍は無理に海を渡ってきただけあり、兵力は乏しく、騎兵隊は補給の関係から退却準備中で戦場におらず、弓兵はアテナイ軍の駆け足戦術で無力化された。そのせいで、ペルシア軍は両翼を打ち砕かれ、中央も包囲の危機に曝されて全軍潰走の憂き目にあってしまう(4)本当は数千のホモイ人々が突撃してくるのを見たペルシアの将兵は貞操の危機を感じて逃げ出してしまっただけかもしれない。戦い終わった翌日に、軽装の一人の使者が二日かけて走破した数百キロの道程を完全武装で僅か三日で走破した二千名のスパルタ軍が到着したが、その時には全てが決していた(5)
 ペルシア王は懲りもせずに、再びギリシアに攻め込んでくる。今度は一気に海を渡って敵の心臓部を突くのではなく、陸軍はアジアからヘレスポント海峡を渡り、トラキア、マケドニアを通って テッサリアに至った。海軍もエーゲ海沿岸に沿ってエウボイア島北部に到達した。一方ギリシア軍はスパルタ、アテナイ軍を中心に同盟し、テッサリアから更に南下する際に通る要衝、テルモピュライに布陣した。テルモピュライ峡谷は狭く、大軍の力を発揮できない所であったが、それでもペルシア軍は数にものを言わせて、まずメディア人部隊が突撃を行なったが、大損害を受けて退却した。次に、ペルシアの精鋭部隊「不死部隊」が攻撃を行なったが、この部隊の攻撃も失敗する。その後もペルシア軍は次々と部隊を繰りだして、波状攻撃を続けたが、先陣のスパルタ王レオニダス率いる三百名の王親衛隊を突破できずについに退却した。しかし、ペルシア王は現地人から間道の存在を知らされ、直ちに精鋭「不死部隊」をこの間道へ派遣した。間道にはギリシア軍の別働隊、ポキス軍が配置されていたのだが、やはりスパルタ軍とは違いパワー不足の彼らは「不死部隊」に打ち破られ間道通過を許してしまう。この事態を知ったレオニダス王はスパルタ軍以外の軍に帰国を命じた。レオニダス王も帰ればよかったのにと思うのだが、そうはいかない。なんと、スパルタは「王が死ぬか、祖国が異人に蹂躙されか」との神託を受けていた。いつものごとく純真なスパルタ王はこの言葉を信じて死ぬ気でいた(6)
 更にこの王には戦いに勝つ為のホモホモパワーが不足していた。彼の妻は才女として名高い先王クレオメネスの娘ゴルゴであった。ゴルゴはテルモピュライの戦いの頃、30前後だった(7)ゴルゴは8か9歳の時に、父を買収しようとした外国人を見て父を諌めて その見識を父に認められ(8)ペルシア戦争前夜には、誰も解けずにいたペルシア軍到来 を通報した手紙の謎を解いた(9) 皮肉も得意らしく父を買収しようとした外国人が奴隷に靴を履かせているのを見ると「お父さま、この外国人は手を持っていません」とか言ったそうである(10)

ズーム

前5世紀のレオニダス王像
スパルタ美術館所蔵

 一方レオニダスは50代後半で、ゴルゴとは20歳以上も歳が離れていて(11)二人の間にはまだ幼い息子のプレイスタルコスがいた(12)結婚したのはレオニダスが即位する前で、当時レオニダスが王になると考えていた者は少なかったという(13)故にこの結婚には、国王が国王候補に娘を嫁がせて王位継承をスムーズに運ぼうとの政治的配慮が働いたわけではないようだ。
 テルモピュライに出陣する夫に妻が贈った言葉は「私は何をすればよいのでしょうか」。相手に何をすべきか尋ねるとは気の強いゴルゴの言葉とも思えぬが、それに対する夫の返事は「よき夫と結婚し、よき子供達を生め」であった(14)この言葉からすると不倫自由なスパルタにおいて彼女は不倫もせずに夫一筋だったようだ。夫は神託を聞いて死を覚悟しているから妻には幸せになってほしいとの願いがあったのかもしれない。いやいや、本当は、幾ら若いとはいえ頭のよい妻は小煩くてかなわず、このまま結婚生活を続けるくらいなら死んだほうがましだと、考えていたのかもしれない。
 とにもかくにも、妻とラブラブなレオニダス王がホモーンな道に走るはずもなく、ホモホモパワー不足で死を覚悟して戦いに望んだためか、後半戦前半でいきなり戦死してしまう。残ったスパルタ兵は王の死体を取られまいと、ペルシア兵は死体を奪って手柄にせんものと激しい争奪戦を繰り広げ、その最中にペルシア王の二人の兄弟が討ち死にする。そして、迂回部隊がスパルタ軍の背後に現われるに及んでついにスパルタ軍は総員枕を並べて打ち果ててしまう(15)

現在のテルモピュライに立つレオニダス像

ズーム

ジャック・ルイス・ダヴィッド作
 「テルモピュライのレオニダス」
1814年 油絵
 ルーブル美術館所蔵

 最初の防衛ラインが破られると、アテナイは占領されるし、ペロポネソス同盟諸国はペロポネソス半島への撤退を主張し始めるし、とギリシア同盟軍はがたがたになってしまう。そこに、彼らに活をいれ、再び全軍をまとめてペルシアにあたらせた人物が現われた。アテナイのテミストクレスである。ギリシアの全艦隊がサラミス水道と呼ばれる狭い海峡に集結していた時、テミストクレスは裏切りを装ってペルシア王に「ギリシア艦隊がサラミスから逃げちゃうよ」と伝えたのである。これを聞いたペルシア王は慌てて水道を封鎖し、これこそギリシア艦隊を大軍で以て包囲殲滅するチャンスと考えたが、逆に狭い水道で動きが取れず、散々に打ち負かされてしまう(16)


「古代ギリシア人名辞典 原書房 1994年」232頁より

前5世紀のテミストクレス像
オスティア博物館所蔵

 ペルシアの大艦隊を打ち破ったテミストクレスとは如何な人物であったか。実は、ちょこっとラブしか持たない、ちょこっとホモだった。彼は何に付けても名声が大好きで、自分以外に名声を勝ち得た人物を見るとやたらと敵愾心を燃やす。テミストクレスが政界に討って出たばかりの頃、その温厚な性格と堅実な政策で名声を博していた政治家アリステイデスに対し、彼を精神的に傷つける目的で彼の愛人の美少年ステシラオスに手を出している。そう、テミストクレスとは愛よりも名声を取る人物なのだ。しかし、この極端なまでの名声欲が結果的にギリシアを救った。当時アテナイは公有でラウレリオン銀山の採掘を行なっていた。ここで揚がった収益は市民の間で分配する事となっていたが、テミストクレスはこの金で大規模な艦隊建造を提案した。大規模な艦隊で制海権を握っておけば他の海軍大国に邪魔される事無く商業が営めると考える市民も結構いたらしくこの提案は受け入れられ他のギリシア諸国を遥かに凌駕する大艦隊が建造された(17)なにせ、サラミス海戦時、ギリシア連合艦隊の半数はアテナイの船であったというからそのシーパワーは大変なものである(18)
 サラミス海戦の勝利を導き巨大な名声を手にしたテミストクレスだが、この後が拙かった。巨大な名声を手にしたことに有頂天になり、好き勝手放題やっていたら、案の定多くの市民の不興を買って追放の憂き目にあい、更にはスパルタからも嫌われてギリシアには住めなくなり最後はペルシアで客死するはめになる。やはり、ギリシア人はあざといちょこっとホモは嫌いらしい(19)
 サラミスの海戦で敗退したペルシア海軍と王は本国へ逃げ出したが、陸軍の一部は引き続きギリシア攻撃を続行すべく残留した。この頃テミストクレスはアテナイ市民のブーイングを浴びて、追放の憂き目にあっていた(20)やっぱり、総大将は覇権国家スパルタの人でなきゃだめだとばかりに、ペルシア残留部隊攻撃のギリシア連合軍の司令官に納まったのはスパルタ王族に属するパウサニアスである。本来なら、スパルタの法では軍司令官は王がなると決まっており、当時のスパルタ王はレオニダス王の一子プレイスタルコスだから彼が司令官に納まるべきなのだが、彼はいまだ幼少の身なので、彼の後見役たるパウサニアスが司令官となった(21)パウサニアスはプラタイアでペルシア残留軍を打ち破り(22)更に進んでペルシア領のキュプロス島を攻略し、ビザンチオン市を降伏に追い込んだ(23)


「古代ギリシア人名辞典 原書房 1994年」264頁より

パウサニアス像
ローマ、カンピドリオ美術館

 しかし、パウサニアスはやっぱり素朴で単純なスパルタ人であった。ペルシアと戦う内に、田舎者が都会に出てきた時と同じようにペルシアの豪華な生活に魅了され、陣営でペルシア風の生活を始めるまではよかったが、ついにはペルシア王と内通する始末。挙げ句にスパルタ流のうぶな心の愛をやめて、アテナイ流のよりアダルトな肉の愛に傾倒した。パウサニアスはペルシアへせっせと密書を送り、その際必ず密書に「この密書を届けた者を殺してください」と記していた。ある日、パウサニアスは妾のとある美青年に密書を持たせてペルシア王の元へ送った。青年は密書を届けた者が誰も帰らないことに疑念を持ち、もしやと思い密書を明けて見ると、そこには自分を殺すように書いてあるではないか。そう、青年は捨てられたのだ。青年は愛しい人に捨てられて逆上し、密書をスパルタの監督官の元に持ち込んだ。この後の調査でパウサニアスの裏切りが明白になり、パウサニアスは本国に呼び戻された。帰国したパウサニアスは人々の様子が変なことに気付き、慌ててミネルウァ神殿へ逃げ込んだ。ギリシアにおいては、神殿へ逃げ込んだ者はたとえどのような罪人であっても手出ししてはならないというのが掟である。そこで、スパルタ市民達は裏切り者許すべからず、だけど神殿は血で汚しちゃいけないからと、神殿を封鎖してパウサニアスを餓死に追い込んだ(24)田舎者が都会に出てきてその豪華さに魅了されて下手な猿真似やり過ぎたり、貧乏人がいきなり成金になってド派手な生活をしたりして破滅するのと同じである。
 スパルタ人が実は只の田舎者だとばれてしまい信用を失うと、今度は洗練された文化人と目されていたアテナイに皆の注目が集まってきた。アテナイは今までペルシア王の支配下にあったイオニア(現在のトルコ西岸地帯)諸都市や、エーゲ海沿岸、及び島々の諸都市を糾合してデロス同盟を結成する。目的は当然ながら対ペルシア同盟である(25)

注釈

  1. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻258から264頁(Herodotus 6.102-110)。
  2. プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑摩書房 1987年」内「村川堅太郎訳 ソロン伝」103から104頁(Plutarch Solon 1)
  3. トゥーキュディデース著 久保正彰訳 戦史 岩波書店 1966年」下巻79から85頁(Thoukydides 6.54-59)
  4. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻265から267頁(Herodotus 6.112-113)。ペルシア軍の状態については「中井義明著 マラトン遠征 西洋史学 164号 1991年」33頁。古代の著述家や歴史家の多くは、ペルシア軍はアテナイ軍を凌駕する兵力であったとしているが、マラトンに接岸可能な艦艇数と、それら艦艇の輸送能力から算出すると、ペルシア軍の兵力は九千名程度となる。アテナイ軍の兵力は一万と言われている。
  5. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻269頁(Herodotus 6.120)と同、中巻260頁(Herodotus 6.106)。
  6. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻47から134頁(Herodotus 7.54-211)。
  7. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻147頁(Herodotus 5.51)によると前500年頃に始まったとされるイオニア反乱直前にゴルゴは8か9歳だったといわれる。テルモピュライの戦いが前480年といわれているから差は20年である。ということは30前後ということになる。
  8. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻147頁(Herodotus 5.51)
  9. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻152頁(Herodotus 8.239)
  10. Plutarch著 Frank.C.Babbitt訳 loeb No.245:Moralia3 Harvard刊 1931年」456と457頁(Plutarch Moralia 240e)
  11. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻140頁(Herodotus 5.41)によると、先王クレオメネスが生まれた時に、レオニダスの母は長男のドリエウスを身篭もり、長男誕生後つづいてクレオメネスを身篭もった。ドリエウス出産直後にクレオメネスを身篭もったようなので、クレオメネスとレオニダスの年令差はおおよそ2歳前後と考えられる。「新村祐一郎著 スパルタ王クレオメネス一世とその時代 大谷大学大谷学報69巻二号 1989年」17頁によるとクレオメネスの即位した年は520年頃。レオニダスが戦死したのは前480年。差は40年。クレオメネスが20歳で即位したとするとレオニダスの死亡した時の歳は60近いことになる。そこで、ここではクレオメネスとレオニダスの年令差を2から5歳とみて、クレオメネスの即位した歳を20歳としてレオニダスの享年を50代後半と見る。
  12. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻242頁(Herodotus 9.10)
  13. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻130頁(Herodotus 7.205)
  14. Plutarch著 Frank.C.Babbitt訳 loeb No.245:Moralia3 Harvard刊 1931年」456と457頁(Plutarch Moralia 240e)
  15. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻142から144頁(Herodotus 7.224-228)
  16. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻176から204頁(Herodotus 8.48-97)と「プルタルコス著 村 川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑 摩書房 1987年」内「馬場恵二訳 テミストクレス伝」162から174頁(Plutarch Themistocles 9-16)
  17. プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑摩書房 1987年」内「馬場恵二訳 テミストクレス伝」152から155頁(Plutarch Themistocles 3-4)
  18. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻174頁(Herodotus 8.44)
  19. プルタルコス著 村川堅太郎編 プルタルコス英雄伝 上巻 筑摩書房 1987年」内「馬場恵二訳 テミストクレス伝」182から183頁(Plutarch Themistocles 22)
  20. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻222頁(Herodotus 8.125-126)
  21. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻242頁(Herodotus 9.10)
  22. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」下巻257から284頁(Herodotus 9.29-74)
  23. トゥーキュディデース著 久保正彰訳 戦史 岩波書店 1966年」上巻141から142頁(Thoukydides 1.94)
  24. コルネリウス・ネポス著 山下太郎/上村健二訳 英雄伝 国文社 1995年」33から36頁(Nepos 4.3-4)
  25. トゥーキュディデース著 久保正彰訳 戦史 岩波書店 1966年」上巻143頁(Thoukydides 1.96)

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