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ギリシアの覇権はホモのモノ その3

スパルタの台頭
 アルゴスに負け、属国メッセニアの反乱に翻弄され、エリスやアルカディア諸国から嫌がらせを受けて苦しみ続けていたスパルタはこの苦しみをはねのけ、その経験を基にリュクルゴス体制といわれる特殊な国政を作り上げる。あの有名なスパルタ教育もこの時完成したといわれている(1)しかし、そこに至までには長く苦しい戦いの歴史があった。
 スパルタはアルゴスに敗退した後、メッセニアとの戦争に突入した(2)アルゴスと同盟諸国はメッセニアへ援軍を送り、当初はメッセニア有利の内に戦況は推移し、スパルタは戦闘の継続を断念する寸前まで追い詰められた。しかし、この時一人の詩人がスパルタを救った。スパルタは戦いに際してデルポイの神託所からアテナイから助言者を求めよという神託を受け取っていた。そこで、スパルタがアテナイに助言者を求めると、アテナイはスパルタに便宜を図るのはいやだが、神託に逆らうわけにもいかず、片足が不自由な教師を送った。彼は歌の力で、すっかり落ち込んだスパルタ人の戦意をよみがえらせた。彼の名はテュルタイオス、彼の歌はこの後末長くスパルタで軍歌として、教育用の合唱歌として歌われ続けた(3)
 その詩の一篇を紹介する。

 つまり見事に殺されるという事とは、父祖伝来のものを巡る戦いにおいて先陣で勇敢に立派に倒れる事である。そして、都市や豊かな畑を捨て去る者は最高の苦しみの中で疑いなく乞食をすることになる。親愛なる母や年老いた父や小さな子供達と供に、正妻と供に、放浪することになる。憎しみは更にに続くものであり、欠乏に身を委ねて憎むべき窮乏が生じる中で、祖国を辱め、高貴な概念を非難し、あらゆる不名誉や悪業を纏わらせる。そしてもしあなたがこうした放浪者ならば、誰も気遣わず、許しも、神の恩恵も、哀れみも帰させられない。愛国心で祖国の為に我々は戦い、子供達の為に死に、もはや命を惜しまない。若者達よ、互いにしっかりと隊列を組んで戦うのだ。恥知らずに逃げだしたり、恐怖に駆られてはならぬ。胸の内には強く、雄々しき勇気をもて。そして、敵どもと戦うときに命を惜しんではならぬ。老人達は膝が軽くはないのだから、置き去りにして逃げだしてはならぬ。まさにこれは恥知らずなことである(4)

 テュルタイオスは兵士達の前で、力強く、はっきりとした声で、兵士達の心に語りかけるように、自ら丹精込めて作った歌を歌い上げた。
 彼は歌い終わって兵士たちの方を見ると、兵士達は腕を目に押しつけ、両手を顔に当て、地に顔を伏せ、空を仰ぎ見、声を上げ、或いは声を圧し殺して泣いていた。しばらくすると兵士達は彼の周りに歩み寄り、口々にさけびだした。
 「先生、俺達が間違っていました!」
 「先生、俺、メッセニア人を殺して殺して殺しまくってやります!」
 彼は兵士達を宥めながら呟き続けていた。
 「もういいんだ。もういいんだ。」と。
 うーん、まるで青春映画か何かのような場面を思い浮べてしまう。しかし、あの単純素朴なスパルタ人を思うと、こんな場面が本当にありそうなのだ。
 余談になるが、スパルタ人というのは、実に純粋というか、単純というか、なぜか音楽に魅了されることが多い。テルパンドロスが歌えば内乱が収まるし、タレタスが歌えば疫病が治まり(5)テュルタイオスが歌えば勇気百倍に早変わり。 そう、アニメ「超時空要塞マクロス」に出てきたゼントラーディー人みたいな連中なのだ。しかし、スパルタの 歌人は皆むさいおっさんばかりで、ミンメイのごときうら若き女性シンガーが出てこないのが残念である。いやいや、少女達の音楽教師として小アジアから招かれたアルクマンの作る詩を、戦場に赴く男達への贈り物として歌った女性達もいたのかもしれない。たとえば「この金の玉と、かわいいかやつり草を花輪にして、あなた様に私はお祈りいたします。(6)なんて具合に。
 脱線ついでにどんどん脱線してみよう。
 スパルタに音楽学校を作り、スパルタで行なわれる全ギリシア的な音楽の祭典、カルネイア祭を組織したテルパンドロスはレスボス島出身の詩人である(7)レスボス島というと、女性の同性愛、レズビアンの語源となった島である。なぜかというと、前七世紀頃この島にはサッフォーお姉さま、という極めて有名な女流詩人がいたからである。彼女の詩は恋愛を扱ったものばかりで、お相手はたいてい女性だったといわれている(8)一例出してみよう。

 女心はいともたわめやすいもの、それはいまのわたしの心に、はるか彼方の地にいるアナクトリアーを想い起こさせる。
 ああ、あの娘の愛らしい歩き振りやあの顔のはれやかな耀きをこの目で見たいもの、リューディア人の戦車や、さては美々しく身を鎧うた戦士らなどよりも(9)

 サッフォーおねえさまは学校等という仰々しいものではなく、彼女の名声に引かれてギリシア各地から集まってきた貴族や上流階層の娘を相手に、一種の音楽サークル的な形で音楽を教えていた。彼女のサークルはお祭りや結婚式等に招かれて合唱を行なうことも多々あった(10)サッフォーおねえさまが愛の詩を捧げた女性の多くは、恐らく彼女から音楽を学んでいた少女達である。うーん、レズでロリコンとはなかなかの詩人だ。
 そうなると。
 サッフォーは合唱に興じる少女達の中に、一際透き通る声で歌う、顔立ちは整っているがまだ幼さ残る一人の少女を見付けた。合唱が終わり、少女達が解散していくと、彼女はその少女に近付きそっとささやいた。「あなた見込みあるわよ。今夜、私の部屋にいらっしゃい。」
 少女は顔を真っ赤にしてうつむき、小さな声で答えた。「はい先生。」
 彼女は少女の頭にキスし、そっと少女から離れていった。
 なーんて事があったのかな。
 ギリシアの愛とは、男性に限られてはいなかったようだ。

ズーム
「世界の美術館 ローマ美術館 講談社 1967年」より
サッフォー  ローマ国立美術館所蔵

 さて、元へ戻ろう。
 メッセニアでの苦しい戦いも、テュルタイオスの歌と買収作戦で挽回し、メッセニア軍は最後の拠点ヘイラ山要塞に追い詰められてしまう。メッセニアの同盟諸国は互いに相争ったり(アルゴスとエリス)、買収されたり(アルカディア諸国)して全て去ってしまう(11)しかし、この程度で根を上げるメッセニア人ではなかった。密かに出陣してはスパルタ人の土地での掠奪を繰り返していた。これが原因で、スパルタ人の間に内紛が生じたが、今度も歌の力で内紛は収まる。テュルタイオスが内紛を収めるために歌った(又もや「先生、俺達が間違っていました!」なのだ)。ヘイラの戦いが始まってから十一年目、一人のスパルタ奴隷がヘイラに逃亡してきた。彼はヘイラに住み着き、ある人妻と恋いに落ち、二人は夫が城壁の守りへ出掛ける都度、密会を重ねていた。ある豪雨の夜、夫が出掛けると二人はいつものごとく禁じられた愛に身を焦がしていた。そこへ急に夫が帰ってきたが、間一髪妻は彼を隠し、夫に気付かれずにすんだ。夫は豪雨が酷いのでメッセニア軍が守備を解いた事を妻に話した。家の中に隠れていた彼はこの話を盗み聞きし、急いでスパルタ軍の陣営に駆け込み、メッセニア軍が守備を解いている件を彼の元主人であったスパルタの将軍に伝えたのである。スパルタ軍はこの機を突いて直ちにヘイラ城塞内に乱入し、3日に及ぶ攻防戦の末にヘイラを占領した(12)男女の愛が、一つの国を滅ぼしてしまった。やはり、古代ギリシアは同性愛でなければならなかったのだろうか。
 メッセニア戦争を通して、スパルタではより多くの兵員の必要から貴族達は平民の助けを求めざるおえなくなり、結果的に平民の地位は上昇したが、いまだに貴族の力は強く、貴族政が維持されていた(13)
 メッセニアを完全に降し、全領土を支配していきあがるスパルタは次にアルカディアへ矛先を向けた。アルカディア諸国は陰に陽にとメッセニアの反乱を支援しており、メッセニア支配を安定させる為には、どうしても打ち破っておかなければならない相手であった(14)メッセニアを攻略してから約五十年後の前六百年頃、スパルタはアルカディア征服に乗りだした(15)
 最初の標的となったのは北部国境に接する都市、テゲアである。スパルタ勝利の神託を得た純心なスパルタ人は、神の言葉を信じてテゲア人捕虜を縛る為の足枷を持って出陣したが、逆に敗退して持っていった足枷をはめられる始末だった。話が違うと、再び神託を求めると、前回はいい忘れたのか、神は次ぎなる言葉をスパルタ人に与えた。「オレステスの骨を手に入れれば勝利できる」と。オレステスとはトロイ戦争のギリシア軍指導者にしてペロポネソス半島全域を統治したアガメムノン王の息子である。それを聞いた純粋なスパルタ人は「そうか、骨さえ見付ければ勝てるんだ」とばかりに、スパルタ老人会(αγαθοεργοι:直訳すると「善い行いをする人々」で、王の親衛隊を定年退職した老人で構成された団体)の老人達が全ギリシアへ派遣された。そしてついに、リカス老人が骨を発見した。灯台下暗し、なんとその骨はテゲアの鍛冶屋の中庭に埋まっていた。リカス老人は骨を密かに掘り出す為に、スパルタで追放刑を受け、鍛冶屋に祖国を追放された哀れな老人に部屋を貸してくれと頼み込み、鍛冶屋に居候しながらテゲア政府にも鍛冶屋にも見つからぬように骨を掘り出してスパルタへ持ち帰った。
 こうなると単純な分、スパルタ人は強い。骨のおかげで神の加護があるとばかりに勇気百倍で戦争を継続し、テゲアはおろか、テゲア以外のアルカディア諸国をも攻撃し、相次いで勝利を収めていった。中にはオルコメノス人に対したように大敗を喫することもあったが、ともかくも全てに対して有利に戦いを進め、テゲアに対しても最終的な勝利を収めてペロポネソス半島全域を支配下においた(16)

前六世紀のスパルタの勢力範囲

注釈

  1. 二次メッセニア戦争が原因でスパルタの体制がリュクルゴス体制に移行したとする説は少なくても日本では主流となっている。代表的な例を出すと「桜井万里子/木村凌二著 世界歴史5 ギリシアとローマ 中央公論社 1997年」97頁、「伊藤貞夫/木村凌二編 西洋古代史研究入門 東京大学出版会 1997年」44頁など。
     しかし、日本におけるこの時期のスパルタ研究者を代表する清永氏は「清永昭次著 Chilonの改革 学習院大学文学部研究年報30 1984年」78頁で、新村氏は「新村祐一郎著 第2メッセニア戦争とスパルタ 西洋古典学研究21 1973年」26頁で第二次メッセニア戦争ではなく、その後に起こったアルカディア戦争後にリュクルゴス体制への移行が始まったとする説を唱えている。但し、移行の原因を清永氏は前六世紀中頃の筆頭エポロイにしてギリシア七賢人の一人として知られるキロンに帰し、新村氏はアルカディア戦争に帰している。たぶん、アルカディア戦争を戦い抜いた経験と、それにより力を付けた平民の後押しでキロンが改革を行なった、というところなのだろう。
     そこで、ここではリュクルゴス改革はアルカディア戦争後、キロンにより始められたとして話を進める。
  2. 清永昭次著 第一次メッセニア戦争後のスパルタと戦争 学習院大学文学部研究年報20 1973年」123頁や、「新村祐一郎著 スパルタの対アルゴス策 京都大学史林58巻1号 1975年」16頁によると、ヒュシアイの戦いを第二次メッセニア戦争の直前に置き、第二次メッセニア戦争の原因をヒュシアイの敗戦におく考えが主流をしめているようなのでこの考えに従う。
  3. パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」226から268頁。(Pausanias 4.15.6-4.16.6)
  4. J.M.Edmonds編 LOEB CLASSCAL LIBRARY No.258:GREEK ELEGY AND IAMBUS1 HARVARD刊 1931年」58頁のギリシア語文よりの試訳(Tyrtaeus No.10)。「桜井万里子/木村凌二著 世界の歴史5 ギリシャとローマ 中央公論社 1997年」94頁参照。
  5. プルタルコス著 戸塚七郎訳 モラリア14 京都大学学術出版会 1997年」215頁(Plutarch Moralia 1146b)
  6. アテナイオス著 柳沼重剛訳 食卓の賢人たち 岩波書店 1992年」386頁に掲載されたアルクマンの詩より。
  7. プルタルコス著 戸塚七郎訳 モラリア14 京都大学学術出版会 1997年」175頁(Plutarch Moralia 1134b)、「D.A.Campbell編 LOEB CLASSCAL LIBRARY No.143:GREEK LYRIC HARVARD刊 1988年」295から297、301から303頁(Athenaeus 14.635ef , Clem.Alex Strom 1.16.78.5 , Sud M.701)
  8. 沓掛良彦著 サッフォー詩と生涯 平凡社 1988年」283から293頁。但し、サッフォーが同性愛者であったかどうかの確定的な結論を出すことは不可能であるとの、断り付きではある。
  9. 沓掛良彦著 サッフォー詩と生涯 平凡社 1988年」19頁から引用。
  10. 沓掛良彦著 サッフォー詩と生涯 平凡社 1988年」263から265頁。
  11. パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」269から271頁(Pausanias 4.17.2-10)と本文「アルゴスの覇権」の章。
  12. パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」275から279頁(Pausanias 4.20.5-14.21.10)
  13. 新村祐一郎著 第2メッセニア戦争とスパルタ 西洋古典学研究21 1973年」25頁と「清永昭次著 Chilonの改革 学習院大学文学部研究年報30 1984年」50頁。
  14. 新村祐一郎著 紀元前六世紀後半期スパルタの対外政策 大谷大学研究年報34 1981年」3頁と「清永昭次著 Chilonの改革 学習院大学文学部研究年報30 1984年」50頁。
  15. 新村祐一郎著 スパルタの対アルゴス策 京都大学史林58巻1号 1975年」15頁と「清永昭次著 第一次メッセニア戦争後のスパルタと戦争 学習院大学文学部研究年報20 1973年」138頁。
  16. 清永昭次著 第一次メッセニア戦争後のスパルタと戦争 学習院大学文学部研究年報20 1973年」138と139頁。「パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」180頁、「ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」上巻52から54頁。(Herodotus 1.65-66 , Pausanias 3.3.5-7) 、「ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳 ギリシア哲学者列伝 岩波書店 1984年」上巻107頁(Diogenes Laertius 1.115)。

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