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ギリシアの覇権はホモのモノ その2

重装歩兵戦術
 アルゴスの覇権確立には、当時完成へ向かい始めていたある新戦術の力によるところが大きい。その戦術とはホプライトとか、ファランクスとか、重装歩兵戦術とか、呼ばれている戦術である(1)
 この戦術は前八世紀頃に現われ始め(2)アルゴスでは前七世紀中頃にフェイドンにより導入されたと考えられている(3)この戦術の発達は前八から七世紀頃の初期、前七世紀後半から前六世紀後半頃の前期、前六世紀以降の盛期の3つの段階に分けることができる。初期は貴族だけで編成されており、装備の多くはブロンズ製で極めて重く、通常は騎馬で移動し、戦場では下馬して戦う。個人戦闘を中心とした頃の名残で長剣や投槍なども使われていた。隊形も個人戦闘を行なう余地があるほどにルーズな形であった(4)前期に入ると、貴族だけでなく、裕福な平民も兵士として参加するようになり 、行軍 時 には騎馬と徒歩の重装歩兵が混在した情 況があらわれた。装備もより重装歩兵戦術に合わせて純化し、長剣や投槍は殆ど姿を消し、隊形もより密集したものとなり、個人戦闘の余地は殆どなくなってしまう(5)盛期に は、装備が軽量化し、ブロンズ製の胸甲は麻や皮製に変わり、更には麻や皮と金属を組み合わせた複合型の胸甲が現れる。ヘルメットも頭全体を覆う形から帽子の様な形に変化し、全体として大量生産が容易な材料や形に変化した。その結果、重量が軽くなり機動力が増し、価格が下がることで、より多くの者が重装歩兵の装備を手にできるようになり、重装歩兵数が増大して部隊の隊形もより厚くより広いものとなり、騎馬の重装歩兵は姿を消した(6)
 アルゴスでは重装歩兵戦術を本格的に取り入れたことで貴族の地位は低下しており、フェイドンは重装歩兵の主力たる民衆を支持母体としていた(7)そうなると、重装歩兵の形態は前期重装歩兵制なのだろう。他国はどうだろうか。前650年頃の作品といわれているコリントス式の壷、「キジ」の壷絵には前期重装歩兵と見られる絵が描かれている。ここから、フェイドンの頃にはコリントスでも前期に入っていたことが推測できる。アテナイもだいたい同じ時期と考えられている(8)

ズーム

通称「キジ」の壺 紀元前7世紀の原コリントス式の壺。
ローマ、ヴィラ・ジリア国立美術館所蔵

 アルゴスの宿敵スパルタでは貴族の力が強く、軍事力は貴族が握っており(9) 平民と貴族は土地問題で対立していた。これに関して、こんな逸話がある。ヒュシアイの戦い頃、スパルタでは党派争いが激化していた。それを、テルパンドロスという詩人が音楽の力で鎮めたという(10)対立する人々が音楽だけで和解したとは考えずらい。実際には、テルパンドロスが組織したカルネイア祭において、貴族達が重装歩兵戦術を使った模擬演習を行ない、平民を恫喝した結果、平民がおとなしくなっただけのようだ。カルネイア祭とは貴族達が新たに取り入れた重装歩兵戦術のお披露目会でもあった(11)そうなると、平民を排除した形の重装歩兵制だから、スパルタは初期重装歩兵制となる。こうなると、貴族だけで兵員数も少なく、個人戦闘の余地がある程に隊形密度が薄いスパルタと、平民が主で兵員数が多く、密集した隊形のアルゴスが戦ったら何が起きるかは容易に想像がつく。
 更にスパルタは二つの王家により治められており、この二つの王家の外交方針が異なっていた。アギス家は南部とメッセニア方面への拡大を計ろうとし、ウエリュポン家はアルゴス方面への拡大を狙っていた。要するに勢力が二分されていたのである(12)それに対してアルゴスはフェイドンの指導の下に一丸となっていた。この点でもスパルタがアルゴスに対して不利な情況にあった。ヒュシアイの戦いでウエリュポン家は大損害を被ったが、まだアギス家は健在であり、十分に余力を残していたので、アルゴスはスパルタを直撃できなかったようである。現にこの戦いの直後、メッセニアで反乱が起きたが、スパルタはすぐに軍をメッセニアへ派遣している(13)
 アルゴスの覇権確立には重装歩兵制の発達と、民衆の力によるところが大きかったようだ。 

前7世紀のスパルタ王家の進路

注釈

  1. 岩波講座世界歴史1 岩波書店 1969年」内「安藤弘著 重装歩兵制の発展と貴族政社会」487から502頁によると、重装歩兵戦術の登場に関する説には、重装歩兵の全装備・戦術がいきなり採用されて完成したとする説と、重装歩兵にまつわる各装備や戦術が段階的に採用されていき最終的な完成を見たとする説と、両者の折半ともとれる、全装備・戦術の基本形はいきなり採用されたが当初は完成形からは程遠く、段階的に各装備が発達を続けて戦術も整えられて完成に至ったとする、三つの説がある。ここでは、安藤氏の第三の説を土台として話を進めていく。
  2. 岩波講座世界歴史1 岩波書店 1969年」内「安藤弘著 重装歩兵制の発展と貴族政社会」486頁
  3. A.Andrewes著 The Greek Tyrants Harper&Row刊 1957年」40から41頁。
  4. 岩波講座世界歴史1 岩波書店 1969年」内「安藤弘著 重装歩兵制の発展と貴族政社会」493から497頁。この初期重装歩兵制の戦いの様子は「ホメーロス著 呉茂一訳 イーリアス 岩波書店 1958年」中巻239から242、下巻14から20頁(Homer liad 13.125-168 , 16.125-217)に描きだされている。
  5. 岩波講座世界歴史1 岩波書店 1969年」内「安藤弘著 重装歩兵制の発展と貴族政社会」497から500頁。
  6. 岩波講座世界歴史1 岩波書店 1969年」内「安藤弘著 重装歩兵制の発展と貴族政社会」500から502頁。
  7. A.Andrewes著 The Greek Tyrants Harper&Row刊 1957年」42頁。
  8. A.Andrewes著 The Greek Tyrants Harper&Row刊 1957年」33頁。
  9. 新村祐一郎著 スパルタの対アルゴス策 京都大学史林58巻1号 1975年」15頁、「清永昭次著 第二次メッセニア戦争期スパルタの土地問題 学習院大学文学部研究年報24 1977年」22頁。
  10. プルタルコス著 戸塚七郎訳 モラリア14 京都大学学術出版会 1997年」215頁。(Plutarch Moralia 1146b)
  11. 清永昭次著 第二次メッセニア戦争期スパルタの土地問題 学習院大学文学部研究年報24 1977年」23頁。
  12. 新村祐一郎著 スパルタの対アルゴス策 京都大学史林58巻1号 1975年」7から9頁。根拠としては「パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」117から188頁(Pausanias 3.2.1-3.7.6)で、この部分のスパルタの各王家の歴 史を概説すると、アギス家はアルゴスとの北部国境地帯に侵攻してこの辺りを破壊し、その後南に転じてエウロタス河に沿って南下しながら支配領域を拡大し、最後はラコニア湾に面したヘロス市でアルゴスと戦い、これを打ち破ってヘロス市を破壊した。次に、北へ転じてメッセニア北部へ侵攻してこれを占領している。一方、エウリュポン家はアルゴスへの侵攻を繰り返しているだけである。
  13. 新村祐一郎著 スパルタの対アルゴス策 京都大学史林58巻1号 1975年」15頁

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