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ギリシアの覇権はホモのモノ その1


 荒俣宏原作のアニメ「アレクサンダー戦記」を見ていたら、ふと変な疑問が湧いてきた。アレクサンドロスが鉄ふんどしを付けている。いや、ふんどしなんて生易しいものではない、これは貞操帯だ。だが、男に貞操帯。どうも妙だ。アレクサンドロスだけじゃない。若い連中はみんな付けてる。アレクサンドロスに対峙しているテーベ軍もみな付けている。これはなんなのだろうか。そういえば、ギリシア人の愛といえば同性愛をさす。テーベの精鋭部隊といえば、同性愛者のカップルを集めて作った「神聖隊」。そうか、やっぱりこれで身を護る必要があるんだ。アレクサンドロスの側近部隊は戦友隊、ギリシャ語ではヘタイロス(εταιροs)の複数形ヘタイロイ(εταιροι)。この語の女性形はヘタイラ(εταιρα)。ヘタイラはたいてい高級娼婦とか、遊女とか訳される。ヘタイロスだって、娼夫とも訳せるし愛人という意味も持っている。そうなると、戦友隊とは、娼夫隊。おお、彼らはアレクサンドロスの愛人部隊だったのか。だからアレクサンドロスは他の奴に手を出されないように彼らに貞操帯を付けたのだな。
 こういう見方もおもしろくていいな。
 そうなると、アレクサンドロス以前にギリシアの覇権を握っていた連中はどうだったのだろうかな。

アルゴスの覇権
 最初にギリシア史に現われる覇権ポリスは前七世紀の独裁者フェイドン(或いはペイドン)率いるアルゴス(1)フェイドンはメッセニアを降していきあがるスパルタを前669年にヒュシアイの戦いで降し、スパルタが征服して間もないメッセニアの反乱を支援。スパルタはメッセニア反乱の鎮圧および、メッセニア残部の征服におわれ、覇権争いから脱落した(2)彼はアルゴスの支配領域を、南はアルゴス湾の沿岸地帯全域に、北はコリントス湾西南岸のシュキオン市に至るまでに、東はサロニカ湾の西岸地帯一帯に広げ、ラコニア湾の入り口に浮かぶキュテラ島をも支配下に納めた(3)サロニカ湾ではこの海域の支配権をかけてアテナイと争い、アイギナ島の戦いでアテナイ軍の生存者が一人しかいなかった、と伝えられる程の大勝利を納めてアイギナ島を勢力下に入れた(4)更にアルカディア諸国と同盟することでペロポネソス半島の横断を可能にし、ピサと 同盟してオリュンピアを管理していたエリスを降し(5)オリンピア競技会を取り仕切るまでになり、ここにアルゴスの覇権が確立した(6)この後、フェイドンは西に転じコリントスの内紛に介入したが裏切りにあい、コリントスを勢力下に納めるのに失敗して死んだ(7)
 さてさて、フェイドンとはどういう人物だったの。
 「自らオリュンピアの競技を主宰するという、他のギリシア人にはとうてい真似のできぬ専横を敢えてした人物である。」(8)
 「ギリシアの僭主のなかでも、とりわけ非道な僭主だったアルゴスのペイドン(9)
 余り評判のよい人物ではなかったよう。
 彼は元々アルゴス王であったが、後に僭主(一種の独裁者)になったといわれている(10)ギリシアにおいて王は貴族達により権力を制限される傾向にあるが、僭主は民衆を支持母体として貴族の力を抑えて絶対権力を振るう場合が多い。逆に言うと僭主と王の表面的な違いはこの権力の大きさと支持母体の違いにある。となると、当初フェイドンは権力を制限されていたが、民衆の力を背景としてクーデターか何かで絶対権力を手にしたのだろう(11)
 彼は度量衡を定め、刻印付きの銀貨を作り始めた最初の人だとも言われている(12)ここから、彼が貿易や商業を重視し、中小商人や農民、いわゆる平民を重視していた点が窺える。なぜなら、度量衡が安定していなければ、地域の有力者毎に勝手な単位が使われ、公正な商売が期待できなくなるが、度量衡が統一的に定められれば地域の有力者の気紛に左右される事無く、公正な商売が期待できる。更には、貨幣も統一して刻印という形で保障を与えることで、貨幣価値の統一も期待できる。中小商人にとっては実にありがたい政策である。しかし、地方の有力者、たいていの場合は貴族にとって、今まで好き勝手にして利益をあげられたのに、それができなくなるのだから、実にありがたくない政策である(13)
 彼は重装歩兵戦術を本格的に採用した最初の人物だった。他の国がいまだに貴族制を土台としており、重装歩兵戦術を本格的に採用できないでいるなか、僭主となったフェイドンは他の国に先駆けて重装歩兵戦術を採用し、戦術的優位を確保した。フェイドンの覇権確立にこの戦術的優位は大きな力となった(14)
 彼は公正な人であったらしい。なぜかというと、彼がオリュンピアを牛耳っていたと目される時期(前7世紀後半)の優勝者リストを見ると、敵国の優勝者ばかりで、アルゴスの優勝者が一人もいない。前669年のヒュシアイの戦い以降を見ると、2回を除き毎回スパルタ人優勝者がでている。もしかすると、スパルタ人優勝者の出なかった、前652年の第32回と、前644年の第34回のどちらかだけを彼が主宰したのかもしれない(15)特に、第34回はアルゴスの同盟者ピサ主宰の大会だけに、彼が関わっていた可能性は大きい(16)どちらにしても、大会を牛耳っても自国民を優勝させていない点を見る限りでは、それなりに公正な人だったのだろう。
 エリスに対する裏切りや(17)コリントスに友好的な態度で「勇敢な若者千人送ってくれ」等といって人質を取る策略などを見ると(18)目的の為には手段を選ばぬ、なかなか冷酷な策士だったのかもしれない。いやまてよ。コリントス攻略作戦前に千人の若者をコリントスに要求したのは別のわけがあったのかもしれない。

 「ほーもっもっもっも。」
 フェイドンはコリントスから友好を求めてやって来た使節達を高笑いで迎えると、すぐに高飛車な態度で要求を突きつけた。
 「余はペロポネソスの支配者フェイドンぞよ。コリントスにはたくましい美青年がごじゃまんといるそうよな。そこでじゃ、コリントスの美青年を千人、余に差し出すのじゃ。さもなくばコリントスは滅亡ぞよ。」
 余りの要求と、高慢な態度にコリントスの使節達はたじろいぎ、おののいた。「こんなホモイ奴を敵に回すのはやばい」。そう直感的に感じた使節達は二つ返事で要求を全て受諾してしまった。
 とかね。

 ちなみに、コリントスからアルゴスへ送られた千名の若者がどうなったかというと、フェイドンの側近が裏切り、コリントスへ逃げてしまった。更にこの側近はフェイドンのコリントス攻撃計画を若者達にばらしてしまい、自らもコリントスへ亡命した。これが原因で、フェイドンのコリントス攻撃作戦第一弾は失敗してしまう(19)
 フェイドンの家族で分かっていることはレオケデスという名の息子がいたということだけである(20)妻や愛人のことは、いたのかどうかすら分かっていない。世間に公表できる息子がいるということはたぶん妻がいたのだろう。
 フェイドンは貴族政花盛りの頃に民衆を土台とした政権を打ち建てた為に、評判が悪かったのではないだろうか。これ迄の史料をフェイドンに有利なように拡大解釈すると彼は、民衆の為の政治を遂行した公正明大な君主で、指導者として外交官として将軍として有能な人物であり、更には度量衡の統一、貨幣の発行、新戦術の採用と、新しいことを考えだしたり採用していく進取の気質をもつ開明的な君主であった。同時に目的の為には手段を選ばず非情な策略すらもあえて行なう、冷酷な策士でもあった。味方にしたら頼りがいがあるが油断ができず、敵にまわすと極めて厄介な人物である。彼の国の民衆にとっては、外に強く、内に優しい、理想的な君主である。さて、アルゴスはホモイ国だったのかというと、そのような史料は見当らないし、フェイドンもたぶん同性愛者でも、両性愛者でもない。とりあえず彼らはノーマルな人々だった。ということで最初にギリシアの覇権を握ったのは、ノーマルな国であった。

前7世紀のペロポネソス半島

注釈

  1. の時期のアルゴスの歴史については不明な点が多く、フェイドンについても前8世紀の人であるとした説や、コリントスのフェイドンという伝説的な立法者とのとり違いであるとした異説も唱えられており、現在でも明確な歴史像が構築されずにいる。ここでは、それらの説の中でフェイドンは実在し、彼の活動を最も大きく取り上げている説を土台とした。その案内として「Thomas Kelly著 A History of Argos to 500BC University of Minnesota Press刊 1976年」112から129頁を使った。但し、この本ではフェイドンの時世を前6世紀頃と定義しているが、あえて新村氏が「新村祐一郎著 スパルタの対アルゴス策 京都大学史林58巻1号 1975年」14頁で言うところの多数説をとりフェイドンの時世を前7世紀中頃とし、それに Kelly 氏の説に当てはめて記述する。
  2. パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」142、143、264から266頁。(Pausanias 2.24.7, 4.14.8-4.15.8)
  3. Thomas Kelly著 A History of Argos to 500BC University of Minnesota Press刊 1976年」117頁によると、根拠となっているのはヘロトドスのアルゴスの勢力に関わる「ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」上巻66、中巻167から171、252と253、下巻189と190頁(Herodotus 1.82 , 5.82-88 , 6.92 , 8.73)の記述で、これらの地域はフェイドンの時世にアルゴスの勢力下に入ったのだろうと現代の学者達は推測している。
     新村氏(注1参照)によると前7世紀説が有力なのだから、これらの出来事が前7世紀に起きたとも考えられる。アイギナ島については、「ストラボン著 飯尾都人訳 ギリシア・ローマ世界地誌1 1994年」695頁(Strabo 8.376)にもフェイドンの支配下にあった事を匂わせる記述がある。
  4. Thomas Kelly著 A History of Argos to 500BC University of Minnesota Press刊 1976年」119頁。「ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻167から171頁。(Herodotus 5.82-88)。
  5. 新村祐一郎著 スパルタの対アルゴス策 京都大学史林58巻1号 1975年」16頁によると、アルカディア諸国との同盟の根拠は「パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」266頁(Pausanias 4.15.7)で、アルゴスがアルカディア 諸国、エリス、シュキオンと共にメッセニアに援軍を送っており、ここからアルゴスを 中心としたペロポネソス半島全域を覆う同盟関係の存在が推測できる。
     但し、アルゴスと争っていたはずのエリスが参加しているのが解せない。たぶん、エリスの援軍出発後にアルゴスがエリスへ攻め込んだのだろう。「ストラボン著 飯尾都人訳 ギリシア・ローマ世界地誌1 1994年」662頁(Strabo 8.358)によると、エリスはアルゴス・ピサ連合軍が攻め込んだ時に平和の保障が与えられていたので非武装であったという。この平和の保障とはアルゴスとの同盟であろうことが推測できる。そして、「その他の諸地域も相手の支配に服従したままだった。」とある。相手の支配とはとりもなおさずアルゴスの支配であろう。ここからもアルゴスを中心とした同盟の存在が推測できる。その後、エリスがメッセニアから軍を引き上げたのもアルゴスとの不和が原因ではないかと考えられる。但しこれは私の推測に過ぎず、このような考えを持つ研究者を私は知らない。
     研究者達の説には「清永昭次著 第一次メッセニア戦争後のスパルタと戦争 学習院大学文学部研究年報20 1973年」145頁によると、前二世紀のアテナイの文法家アポロニウス「F.Jacoby編 Die Fragmenta der Griechischen Historiker 2b Weidmansche Buchandlung刊 1929年」1120から1121頁(244.Apollodoros von Athen F334) の記述を元にエリスをピュロスと読み直す説と、ここを誤記としてエリスをスパルタの同盟者と読み直す説がある。
  6. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻273頁(Herodotus 6.127)。「パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」424頁(Pausanias 6.22.2)。
  7. Gerd Zorner 講義録 Kypselos und Pheidon von Argos Marburg/Lahn刊 1971年」71頁より、ダマスカスのニコラオスの断片35ギリシア語原文の試訳「フェイドンは友好関係に基ずき党派争いをしているコリントス人に対して救援攻撃を行い友人の行いにより死んだと言われている」。Gerd Zorner氏は この記述を裏切りにより死んだと解釈している。「Plutarch著 H.N.Fowler訳 loeb No.321:Moralia10 Harvard刊 1936年」6から9頁(Plutarch Moralia 772d-e)によるとフ ェイドンのコリントスに対する最初の作 戦 が裏切りにより失敗したとあるだけで、裏切りによって死んだとは記されていない。「Gerd Zorner 講義録 Kypselos und Pheidon von Argos Marburg/Lahn刊 1971年」69頁によるとロドスのアポロドロス著の「アルゴナウティカ」4歌1212行の注釈に裏切り者の名前が違うがほぼ同様の記述がある。
  8. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻273頁より引用。(Herodotus 6.127)
  9. パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」424頁より引用。(Pausanias 6.22.2)
  10. アリストテレス著 山本光雄訳 政治学 岩波書店 1961年」260と261頁頁(Aristotle Politics 1310b)
  11. Thomas Kelly著 A History of Argos to 500BC University of Minnesota Press刊 1976年」113頁。「岩波講座世界歴史1 岩波書店 1969年」内「清永昭次著 貴族政の発展と僭主の出現」479から481頁によると、僭主には有力貴族の出の者が多く、彼らがより大きな権力を望んだ時、貴族の敵対勢力たる平民と結び、民衆指導者としてたちあらわれてくる。そうなると、生れながらの最有力貴族たる王が僭主になるのも不思議ではない。僭主の大多数が民衆指導者であったという根拠は主にアリストテレスによる「アリストテレス著 山本光雄訳 政治学 岩波書店 1961年」260頁(Aristotle Politics 1310b)。
  12. ストラボン著 飯尾都人訳 ギリシア・ローマ世界地誌1 1994年」662と695頁、「ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻273頁。(Herodotus 6.127 , Strabo 8.358 , 8.376)
  13. Thomas Kelly著 A History of Argos to 500BC University of Minnesota Press刊 1976年」114頁。「岩波講座世界歴史1 岩波書店 1969年」内「清永昭次著 貴族政の発展と僭主の出現」481頁によると支持母体たる平民に迎合する政策を取るのも僭主の特徴である。
  14. A.Andrewes著 The Greek Tyrants Harper&Row刊 1957年」41頁。
  15. ニコラオス・ヤルウリス/オット・シミチェク監 成田十次郎/水田徹訳 古代オリンピック 講談社 1981年」289頁。
  16. パウサニアス著 飯尾都人訳 ギリシア記 龍渓書舎 1991年」424頁。(Pausanias 6.22.2)
  17. 5の考えに基ずいて、アルゴスはエリスを裏切ったと見る。
  18. Plutarch著 H.N.Fowler訳 loeb No.321:Moralia10 Harvard刊 1936年」6から7頁(Plutarch Moralia 772d)
  19. Plutarch著 H.N.Fowler訳 loeb No.321:Moralia10 Harvard刊 1936年」8から9頁(Plutarch Moralia 772d-e)
  20. ヘロトドス著 松平千秋訳 歴史 岩波書店 1972年」中巻273頁。(Herodotus 6.127)

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