狂える鳩に永久の騒音あれ鳩の遠吠え

がんばれジョン様
ムガル皇帝フマユーン 参考文献

(担当 客人の例のにゃあにゃあ)

  1. 石田保昭,ムガル帝国,吉川弘文館,1965,pp.31-38
     フマユーンの情報は少ないけど、シェル・シャーの改革についてどちらかと言えば否定的な説が解説されている。
     フマユーンは、イギリスの歴史家達からは酷い評価をされているけど、ムガル帝国の歴史家達からは寛仁大度を讃えられている。フマユーン没落の原因は父バーブルが諸候を抑え付けられるだけの帝国の土台を作る前に死去して上にフマユーンに諸候を押さえ込めるだけの力量が不足していたからってことみたい。
     シェル・シャーは旧ムガル帝国領に行財政機構を整えた偉大な君主って評価が多いけど、シェル・シャーが整えたとされる制度、例えばすべての軍馬に国家の所有物としての烙印を押すとした制度はアクバルの時代に始めてみられる制度でシェル・シャーの時代には実験的に行われた可能性はあるが、ほぼない。官僚制度もアクバル期以降に始めて現れている。シェル・シャーの治世は諸候に対する抑えつけが強化され、地方に対しても村共同体などに対する弾圧が強まったというだけ。まさに力で押さえ込んだだけで何かが作られたというわけじゃないって感じだ。
     シェル・シャーの治世の記録「ターリーケ=シェール=シャーヒー」のシェル・シャーの治世の一節の引用もある。簡単にまとめると、シェル・シャーが怖くて、逆らうことが出来ません。といった感じだ。


  2. 間野英二,バーブル・ナーマの研究I-IV,松香堂,1995-1998
    1巻はバーブル・ナーマのチャガタイ・トルコ語原文で読めない。2巻は原文の索引でこれも読めない。
    3巻はようやく日本語の登場。バーブル・ナーマの日本語訳と注釈。カザン本と呼ばれているロシアで出版されたバーブル・ナーマのおまけの翻訳もある。この付録はバーブル・ナーマ以後に誰かがバーブル・ナーマに追加たものらしい。邦訳の初めには当時の政治状況とバーブルの生涯についての簡単なまとめがある。ナーマに合わせた解説なので邦訳を読む前に読んでおいたほうがいいように思う。4巻組の本だけど解説も注釈もすべて3巻にまとめてあるので他はいらないような気もする。全体は三部に分かれていて、899から908年の中央アジアにいたころ、910から926年のアフガニスタンにいたころ、932から936年のインドにいたころに分かれている。これにカザン本の付録が付いた形だ。バーブルはけっこう素直に心の内を書き記している。例えば男を好きになった話とか、妻と寝室に入るのが苦痛だったとか、そんな感じだ。日記というほど細かくないが年ごとの出来事はおおむね記録している。
    4巻はバーブル・ナーマにまつわる研究論文集で、バーブル・ナーマの影響で生まれたバーブルの娘が書いたフマユーン・マーナとか、バーブルのいとこが書いたターリーヒー・ラシディーなどの紹介などもあってフマユーン関係の史料検索にもすごく使える。チャガタイ・トルコ語が分かればもっといろいろと有用なのだろうけど、その辺りはわからない。

  3. 渡辺建夫,タージ・マハル物語,朝日新聞社,1988,pp.33-70
     フマユーンの性格を表すエピソードを紹介してる。父バーブルがフマユーンを猫可愛がりして、最期はフマユーンの代わりに死んでもいいっていってほんとに死んでしまう話で始まる。
     箱入り息子として育っただわりには、フマユーンは性格は温厚で実直、宗教心に熱く、気弱で情に溺れやすかった。簡単にいうと君主向きではない。フマユーンの優柔不断な所を示すエピソードが紹介されている。メワールがグジャラート王の攻撃を受けた際に、メワール王の母カマルヴァティがフマユーンに腕輪を送ってきた。ヒンドゥー教では女性が男性に腕輪を送ったら、送られた男性はその女性を守らなければならないとする風習がある。同時に、グジャラート王がフマユーンにこれは異教徒を打つ聖戦だから介入するなと伝えてきた。フマユーンは女性に頼られた男としてグジャラートと戦うか、イスラーム教徒として聖戦に協力するか、迷いに迷ったあげく、何もしなかった。国益に照らしてどうか、という考えは浮かばなかったみたい。結局、メワールはグジャラート王の手に落ち、メワールの45000人もの人々が虐殺されたり、自殺したりしてしまい、フマユーンに腕輪を送ったカマルヴァティも自殺してしまう。この虐殺の話を聞いて、ようやくフマユーンはグジャラートと戦う決意をし、メワールを取り戻した後で、カマルワヴァティに対する罪滅ぼしにカマルワヴァティの息子を王位につけている。
     チャウサーでシェル・シャーに負けた時に、フマユーンはガンジス河へと追い詰められた、そしてある人夫に王座に座らせてやるから革袋を貸してくれとといい、人夫の革袋を浮き袋代わりにして河を渡って難を逃れた。後にこの人夫が宮殿に来た時、フマユーンは律儀にも約束を守り、王座に座らせただけじゃなく、2日間もその人夫に全権を委ねたのだった。シェル・シャーが首都に迫ってきている中でのこの2日間は致命的で、フマユーンはシェル・シャーに敗北して国を失う。この話を聞き知った弟のカムランは妹のグルバタンに「兄はなんと下らないことにかかずらっているのか」と怒りを露わにしたとか。
     フマユーンの恋の話しもある。国を失ったフマユーンは33歳の時に弟ヒンダルの恋人で14歳のハミーダに恋をして、40日も粘ってようやく結婚の承諾を取り付けている。だけど、当然弟のヒンダルは激怒して配下の者を連れて兄の元を去ってしまう。有力な味方より、自分の恋を優先したって事みたい。その後、事態はさらに悪化して砂漠を逃げ回ることになり、妊娠していたハミーダの馬が倒れた時に家臣に代わりの馬を用意するようにいっても誰も答えてくれずに仕方なく自分の馬をハミーダに与えている。流浪生活の中で家臣からの人望もすっかり無くしている。息子のアクバルが生まれたのはこうした逃亡生活の最中で、息子の誕生を祝って香料を一片を燃やして家臣達にこう言っている。「これがわが児の誕生を祝って諸君に贈ることのできるすべてである」。もう僅かな家臣と家族以外は何もかも失っていたみたい。
     ペルシャ王の支援でようやく軍を整えて、弟たちとの戦いを始めるけど、優しいフマユーンは弟たちに手心を加えてしまいなかなか戦いが終わらず、とうとう家臣達が怒りだしてようやく、弟に断固たる態度で望み、目を潰した上でメッカへの巡礼に送り出している。
     弟たちとの戦いに決着をつけてようやく帝国の再建に乗り出し、旧領を取り戻した。翌年、デリーで天文学者と討論をした後で、階段を下りようとした所、夕べの祈りの合図が聞こえたので引き返して祈ろうと思い、振り返ったら、脚を服の裾に引っかけて階段を転げ落ちてしまい、こめかみを強打して三日後に死去してしまう。
     エピソードはこんなところ。他にフマユーンの伝記の話がある。フマユーンの伝記はフマユーンの妹のグルバダンがペルシャ語で書いたものが残っている。なぜペルシャ語かというとフマユーンがペルシアびいきだったせいみたい。他にもペルシャから文学や芸術などを数多く導入している。


  4. アンドレ・クロー,ムガル帝国の興亡,法政大学出版局,2001(orig.ed.1993),pp.47-64
     フマユーンの伝記だけど、フマユーンが気弱な快楽主義者で君主失格という立場で記述している。政治史中心だけど、戦史は余り無い。ムガル帝国と周辺国の関係とフマユーンと兄弟の争いの話が多い。最初の失敗は弟たちに領土を分け与えたことでこれにより兄弟相噛む戦いの原因を作ってしまう。それでも治世最初の頃はそれなりに勝利を収めて帝国の拡大に一役買っている。シェル・ハーンの登場で、一気に敗北して帝国を失ったって感じだ。フマユーンがバカ騒ぎを繰り返しているうちに、シェル・シャーが力を蓄えて、フマユーンを追い落としたって感じに描かれているように見える。
     フマユーンの伝記なのに、殆ど同じくらいシェル・シャーの業績も描かれている。シェル・シャーがアフガン人の小貴族から身を起こして策謀と戦いをとおして領土を拡張し、ついにはフマユーンを撃ち破ってムガル帝国を乗っ取ってしまう。その後、行政システムや調剤システムを整え、氏族を基礎にした封建的な軍から常備軍を中心にした近代的な軍を創設している。商業にも力を注ぎ、通商路や宿場の整備にも力を注いでいる。大規模な建設事業も幾つか興して、首都デリーの防備と首都機能強化に務めている。とにかく、現代の一部の歴史家からインド・イスラーム君主の中で最も偉大な君主と言われるだけのことはある。だけど、息子は才能に恵まれず、シェル・シャー死後は混乱が巻き起こり、フマユーンにあっさりと帝国を取り戻されてしまう。
     帝国奪還に際してフマユーンは兄弟達に断固たる処置を執って兄弟喧嘩を治めてから一気に帝国奪還に動いた。だけど、一時帝国をシェル・シャーに奪われていたことはかえってフマユーンにとって嬉しい結果をもたらしたみたいだ。シェル・シャーが整えた行財政組織に軍隊はその後のムガル帝国にとって非常に有益な物だったからで、まるで一時別の人に国を預けて国制を整えて貰った後に国をかえして貰うって感じだったみたい。
     だけど、フマユーンの伝記というより、シェル・シャーの伝記という気がしてならない。

  5. サティーシュ・チャンドラ,中世インドの歴史,山川出版社,1999(orig.ed.1990),pp.219-234
     この湾のフマユーンの章は戦史を中心にしている。フマユーンが阿片中毒で惰弱な王だとするのは間違いで、フマユーンは極めて優秀な軍事指揮官だったという立場に立っている。ただ、シェル・シャーがフマユーン以上に優秀だっただけってことみたい。前半がフマユーンの章で即位からシェル・シャーに負けて帝国を失うまでが描かれている。年代順に各戦役を筋道をつけて描いているので読み易い。まず、グジャラート王バハードゥル・シャーがフマユーンに戦争を仕掛けてきたので、フマユーンが反撃してグジャラートの大半を制圧するが、占領地を弟のアスカリーに任せたせいでグジャラート王の反撃にあって占領地を失ってしまう。だけど、グジャラート王の脅威を取り除くとした当初の目的は完全に達成され、フマユーンは次の強敵のシェル・シャーとの対戦に全力を注げる体勢を整えることができた。グジャラート戦役はフマユーンの軍事的才能が遺憾なく発揮された戦いってことみたい。だけど、流れをよく見るとフマユーンの怠慢でグジャラートを失ったような印象も受ける。
     次のシェル・シャーとの戦いではフマユーンの油断のせいでシェル・シャーの罠にはまって敗北するけど、この戦役の中でもベンガルからの撤退などではその軍事的才幹を発揮している。最終的に弟のカームラーンの裏切りで敗北を喫して帝国を失うって感じだ。だけど、ここでも終始シェル・シャーのペースにはめられて、右往左往している内に敗北したって感じにも見えてくる。
     後半はシェル・シャーの話で、シェル・シャーの生い立ちと、フマユーンを破った後で最期の敵マールワール王を撃ち破る話がある。フマユーンを破ってから5年後の話だ。後はシェル・シャーの作り上げた行財政システムや商業システムの話などが続いている。シェル・シャーは通商路の整備と、その道を維持する官僚の刷新、拠点や宿場町の整備に力を尽くし、関税システムを簡素化して貨幣制度を安定させている。行政管区も再編し、中央集権的な体制を整えた。軍も領主主導の形ではなく、兵士の名簿を整備し、軍の馬には烙印を押して帝国所有という形にして常備軍を整備し、帝国各地に軍の駐屯地を設置して帝国支配の強化に務めている。司法改革にも取り組んだが、これは次の代のイスラーム・シャーの代に引き継がれることになり、イスラームシャーの治世にあるていど完成された物になった。
     ややっこしい言い回しを避けて、分かり易い書き方をしている。写真とか地図も豊富にある。流石にインドで高校生用の教科書として作られた本だけはあるって感じだ。


  6. ジャワーハルラール・ネルー,父が子に語る世界歴史3,みすず書房,2002(orig.ed.1934),pp.120-121
     情報量は極めて少ないけど、インド初代首相ネルーが書いたものだから、載せてみた。この本はネルーが刑務所にいた1930から1933年の間に娘へ贈って手紙で、イギリスのSF作家HGウェルズが書いた世界史を主要な参考資料にしたそうだ。
     フマユーンについては教養があるが軍事は苦手といった感じだ。あまり関心がないみたいに見える。むしろ、シェル・シャーに大きな賛辞を送っている。シェル・シャーはインド・アフガンの支配者としては最も有能な人物で、効率的な国家組織を整えた。しかし、傑出した独裁者であっただけアリ、彼の帝国は彼の死と共に瓦解してしまう。シェル・シャーの帝国の瓦解に乗じてフマユーンが帝国を回復する。たった二頁の簡単な内容だ。評価をまとめると、フマユーンはどうでもいい、シェル・シャーは当時のインド最高の君主、こんな感じ。
     ネルーが書いたからと言ってインド中心になっている訳じゃない。どちらかと言えばヨーロッパ中心だ。参考資料がウェルズではしかたないのかも。


  7. デヴィド・ニコル,インドのムガル帝国軍 1504-1761 火器と戦象の王朝史,新紀元社,2001(orig.ed.1993)
     16から18世紀のムガル帝国軍を解説した歴史絵本で、カラフルなイラストの多く、当時のミニアチュールの写真も数多く使われている。アクバルの治世の解説が多いから、フマユーンの頃の軍を知る上ではちょうど良い。解説は騎兵、歩兵、像、砲兵と兵種毎に行われている。騎兵が軍の中核を占め、4種類に分けられていた。精鋭部隊は常備軍だったが、士官が個人的に招集した騎兵やインドの土着勢力の騎兵などの徴募騎兵も使われている。歩兵の多くは戦いのつどに招集する徴募兵だった。ただし、銃兵だけは常備軍で構成され歩兵全体の1/4を占めた。銃は火打ち式より、火縄式が好まれていた。他の歩兵は刀剣や槍、弓矢クロスボウなどで武装している。像は輸送と、指揮官の指揮所として機能している。砲兵はムガル帝国がインドを支配するきっかけになったパーニパットの戦いでも重要な役割を果たしている。フマユーンは小型砲700問、大型砲21問を有している。16世紀中頃には大砲だけでなく、ロケット砲も登場している。
     兵種以外のところでは、補給、戦術、行軍方法、攻城戦のやり方などが解説されている。行軍時には偵察部隊を前方に多数展開して、周囲の安全にかなり気を使っている。戦術は既に一定の形が出来上がっているみたいだ。攻城戦では主に大砲が使われたが、インドでは泥壁が主流で大砲の威力を十分に発揮できなかったみたいだ。
     ムガル軍の大まかな構成とか、特徴をみるには、図像資料の多さも手伝ってけっこういい。著者は西洋の鎧の専門家。


  8. チョプラ,インド史,法藏館,1994,pp.125-143
    インダス文明からインド独立までの歴史を記した本で、フマユーンの記述自体は非常に少ない。シェル・シャーにインドを逐われて、シェル・シャー死後にインドに帰ってきて死んだという程度しかない。ページ数にして1頁。フマユーン関係の人物の解説では当然息子のアクバルの話が多いが、ついで多いのが宿敵のシェル・シャーの記述である。この時期に現れた歴史上の人物に焦点を絞って一人づつ節を設けて解説している。シェル・シャーはインド史上最も偉大な人物の一人と大絶賛してる。特に行政組織の全国的な整備と、それに伴う道路・通信網の整備、貨幣制度の改善など行政改革について大きな評価を与えている。アクバルの宿敵としてヒーム・チャンドラも紹介されている。フマユーンがインドを奪還した時のスール朝の宰相だった人物だ。アクバルがフマユーンの後を継いだ後はアクバルに対抗してパーニパッドの戦いで戦死してしまう。パーニパッドで不慮の死を迎えなければアクバルの台頭はなかったかもしれないと考える歴史家もいたみたい。それだけ優秀な人物だと評価されている。


  9. 佐藤正哲,ムスリム王権の成立と展開;世界の歴史14ムガル帝国から英領インドへ,中央公論社,1998,pp.108-116
     フマユーン関係は3つの章に分けられている。最初は即位から弟たちとの戦いに勝利するまでの政治史で、フマユーンが領土を失った原因は弟たちにありって感じ。そして、家臣のバイラム・ハーンのおかげでペルシャの援助を得られて弟たちを成敗する。
     第二章はシェル・シャーの話し。祖父は馬商人で、商売でパンジャブにやってきてそのままそこに住み着いてしまう。父は地方領主の家臣になり、シェル・シャーもその後を継ぐ。主人が死んだ所でその地位を乗っ取り、そこから領土を拡大していき、グジャラート王と手を組んでフマユーンを撃ち破り、インド北部全域を支配下に治める。だけど、爆発事故で死んでしまい、次男のイスラーム・シャーが即位するけど、恐怖政治をしき家臣の不満が鬱積し、死去すると同時に内乱が勃発して、そこをフマユーンつかれてシェル・シャーの立てたスール朝は滅亡してしまう。ムガル帝国の復活が成し遂げられる。
     最期の章はフマユーン個人についてと、グジャラート戦役について。フマユーンは教養はあるけど政治的決断力と軍事的能力はないって評価がなされている。メワールから軍事援助の要請があり、フマユーンの優柔不断でメワールを見殺しにした話は事実ではないとする説が有力だそうだ。グジャラートとは敵対関係にあったけど、表面的には友好的で、あるきっかけが原因で一気に緊張状態に入り、開戦ってことみたい。フマユーンは徹底的にグジャラート王を追撃してるけど、本国で反乱が起きたことを聞いて追撃を中止して反乱鎮圧したけど、後はだらだらと過ごしている。グジャラートは弟のアスカリーに任せていたけど、アスカリーもだらだらと過ごして、グジャラートを取り戻されてしまう。最期に、フマユーンは弟達の勝手な行動を許し、顧問の助言を無視し、優柔不断で怠惰な生活ばかりしていたから帝国を失うことになったとまとめている。
     全体としてフマユーンの個人評って感じだ。


  10. gul-badan-begam,the history of humayun,delhi,1902
    フマユーンの妹のグル・バダン・ベギムが書いたフマユーンの伝記。フマユーン史料としては父バーブルのいとこミールザー・ハイダルの「ターリーヒ・ラシーディー」と並んでフマユーンを知る上で最重要史料だ。16世紀ごろにイスラーム世界では女性が著作を残すことは珍しく、その意味でも非常に貴重な史料なんだそうだ。フマユーンの生涯すべてを書いているのではなく、1552年に弟のカムラーンの両目をくりぬくところまでしかない。「ミルザ・カムラーンの両目をつぶせ」潰した後で我が皇帝は・・・。これで終わり。途中で途切れてる感じだ。残りの部分は発見されていないのだろう。続くインド奪還からフマユーンの死までの部分がない。
    記述は主に身内の人がどうなったかとか、なにを言ったかなど家族の歴史のような感じだ。戦いの記述などは勝った、負けて何人死んだといった程度であっさりしている。逆に親族が大きく関わるところ、例えばフマユーンの結婚の部分などでは誰が何を言って何をしたかまで事細かに書いてある。後半には訳者によるフマユーンに関わる親族などの女性たちの人物紹介、102人分ある。フマユーン・マーナにある情報に少し付け加えた感じで一言で紹介が終わっている人物もいる。グル・バダン・ベギムの関心が親族の女性に偏っていたってことみたい。最後にペルシア語原文もある。


  11. gurcham singh sandhu,a military history of medieval india,new delhi,2003,pp.433-488
    10世紀から16世紀のインドの戦いをここに解説した本でインド軍の元将官が書いている。ムガル帝国の戦いも幾つかの章に分かれて紹介されている。
    フマユーンの戦いは二章に分かれている。一つはムガル側から見た章でフマユーンと父バーブルの戦いで、バーブルはパーニパットの戦い、カーンワの戦い、ガーガラの戦いの三つで戦いにまつわる戦役の流れと一緒にしるされている。フマユーンはシェル・シャーとのチャウサー、カナウジ、インド奪還戦のマシュワール、シルヒンドの戦いがある。シェル・シャーとの対決からインドを奪還するまでの軍事行動について簡単な概説もある。戦いの解説ではちゃんと地図もある。
    フマユーンの戦いは最初の二つあたりだと、シェル・シャーにしてやられてばかりのフマユーンって感じで、インド奪還の時の戦いではフマユーンの若き将軍のバイラーム・ハーン大活躍って感じだ。最後はバーブルからフマユーンの時期の軍事制度や組織などが紹介されている。
    もう一つはスール朝の章でこちらにはフマユーンの時代個々の戦いの解説はないが、スール朝の各君主の時代の戦役の解説やそれにまつわる政治史などが紹介されている。フマユーンの次のアクバルの時代の第二次パーにパッドの戦いなど二つが紹介されている。軍事組織なんかの解説も当然ある。
    兵力なんかは思い切った推測によったところもあるみたい。原史料からの引用もそれなりに使われていて面白い。サー・オーマンの「中世の戦い」のインド版のような感じだ。

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